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【読書】不完全は完全。

不完全だと思っていたものが、
実は完全なこともあるのかもしれない。

「一線の湖」砥上裕將より引用
以下引用は全て同様


何度も泣きながら
嗚咽してボロボロになりながら
読みました。


決してドラマティックな悲劇は
1作目の続きのみで、
2作目には書かれていないのに。


主人公の参加した
3回の揮毫会。

出られなかったのは抜いて、
最初は大失敗。
その後の2回の描写で
心が揺すぶられない人なんて
果たしているのでしょうか。


この本を読みました。

一線の湖。


こちら↓の続編です。



すごいんだ。
読んでいると、絵が見える。


それぞれ個性的に描かれた
師匠や先輩の絵師さんたちが
描いている様子が見える。



私、最近も幾つか本を読んだけど
ダメでした。



52ヘルツのくじらたち、
はじまらないティータイム、
スモールワールズ......。



書店でも評判の良いものなのに
記事にするほど感動できない。


題材が今どき
似通っているものが
多いからかもしれない。
疲れていたからかもしれないけど。


もしかしたらこの本も
ダメかもしれない、と思ったのは
杞憂でした。


文章が、飾り立てている
訳ではないのに
それに引き込まれていく。

母と上の姉に勧めたら
図書館で借りて感動して、
2人とも、2冊とも買ったそうです。



私はしがない日本語教師なので
図書館で予約の順番を
待ちに待って、
遂に読み終えました。


今回は私の生業と似通った
描写が幾つも出てくるので
心を惹きつけられっぱなし。
例えばこんな描写です。

誰かのすごく良いところは、
実は欠点のように見えるものの中に
隠れてるって。
大きな可能性は簡単に
見てとれるようなところには、
隠れていないんだって。

そうなんです。
学校で「問題がある」と
言われていた子が
大きなことを成し遂げる。

悪く言われていたのが
嘘みたいって、言われる。


あんな小さな教室にいた
たった少しの時間だけを切り取って
学生の全てを分かり切ったように
話すことは出来ないし、
ましてや否定することなど出来ない。


思いを伝えられる時、伝えなければ、
その機会は永遠に失われてしまう。
失われてしまった後、どんなに呼びかけても
それは二度と帰ってこない。
こんな、小さな出来事の中にも、
それは潜んでいる。


少し、伝えるのに勇気がいること。
恥ずかしいと思ってしまうこと。
それをことばにすることの積み重ねが
どんなに力になることだろう。


過去のこんな記事を
思い出しました。


これは主人公が
大きな悲しみや大失敗から
立ち直り成長していくお話です。




悲しみや失敗を引きずっていて
前に進めないとき、
自分が世の中に何も還元できない
ダメな人間のように感じてしまうけど、

そんな時間さえも、
後で大きな力になるって
教えてくれる。

あれほど何もせず、
自分の内側に閉じこもり続けただけの時間さえ、
今は力に変わっている。
空虚な日々は、心の内側に広さを与えた。
その空間に大きな力が満ちていることがわかる。
広大な空間に何かが1つ、ぽつんと置かれると、
思いもかけないものが始まるような気がする。


そうだ。
引きこもっているからダメだ、なんて
失敗したからダメだ、なんて
短期間で、その人の一部を見ただけで
どうして判断出来ようか。


何だって糧にする人はするし、
しない人はしない。

誰が前者で誰が後者か、なんて
誰にも分からない。


私はこの本を読んで
自らが、また教え子が
前者になれるように
気をつけようと思えた。


感情が揺さぶられて
それをうまくことばに出来ない。
だけどその感動から
教わったことがたくさんある。
そんな本でした。

出逢いに感謝。

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