多様性なんて、簡単に言うけれど。
めろさんに
メールを頂きました。
企画になっていた
ピリカグランプリに応募した作品(短編小説)に
感想を下さる、というものです。
読んで
えーん、えーん、と
泣きました。
嬉しくて。
涙より鼻水が
いっぱい出て困りました。
我が家は私が鼻炎のため
ティッシュの消費量がものすごいのですが、
何故かダンナが
ふるさと納税で
ティッシュ段ボール一箱、という
返礼品を選んでくれたので
問題ないのであります。
ふるさと納税って
その地域の特産品じゃなかったっけ?
超高級
金粉入りティッシュだったら
どうしよう。
めろさんに頂いた感想は
「伝播」という作品です。
私、しつこいようですが
創作をGackt、いや違う(勝手に変換した)
書くと落ち込むので、
このお心遣いにすごく救われたのと同時に、
この熱量でこの企画に応募された方
全員に返されているのか、と思うと
並々ならぬ愛情の深さに
尊敬の念を頂きました。
ティッシュ、ティッシュ。
めろさん、
本当にありがとうございます。
伝播は、
普段ハッピーエンドばかり書く私が
あえてそうしたくなかった作品です。
だって、こういうことが
本当にあるんです。
あまりにも多くの人が
この問題に苦しんでいるんです。
私の勤務校はマンモス校で
毎年、ダブル(ハーフ)の学生が
存在します。
ミャンマー人とネパール人の
ダブルとか、
中国人とミャンマー人の
ダブルとか。
或いはダブルではなくても
国籍とは別の国で幼少期から
育った子とか。
ダブルの人って
遠くの血が混じるから
容姿が良くなったり、
または帰国子女でも
バイリンガルだったりして、
「羨ましい」「妬ましい」
という要素の方が
多いように感じませんか。
だけど、
本人は決してそうではなくて、
上手く人付き合いを
やっている子もいますが、
苦しんでる学生も
少なくないのです。
3〜4年前に教えた学生は
ロシア育ちのウズベキスタン人でした。
この子はちょっと
ウズベキスタン人ぽくないな、
と思っていたら
ロシア育ちだと教えてくれました。
彼は言いました。
「さみしい、と、さびしいの違いは何ですか」
「私はいつも心がさみしいです」
「友だちと一緒にいるとき
人が周りにいるとき、
独りでいるよりさみしいです」
穏やかで優しく真面目な
紳士タイプの学生でした。
ああ、アイデンティティが
二つあるからだ、と思いました。
どこに行っても
「自分は異質だ」と
思ってしまうのでしょう。
私はそのとき上手く
返事が出来ませんでした。
「文化を2つ、知っているのは
素晴らしい長所です。
人の気持ちもよく
分かるようになるでしょう?」
そんなようなことを
言ったと思いますが、
何と言っても
生粋の日本人が返したことばでは
薄っぺらく聞こえてしまった
感じがしました。
彼の支えになることが
出来なかった自分を
今でも後悔しています。
昨年度は
ロシア人と中国人のダブルの学生を
教えました。
「先生、私は中国人名で
入学しましたが、
ロシア人名に変えてください」
そう言ってきた彼は
金髪とグレーの瞳、白い肌を持ちつつ、
背格好が中国人でした。
彼は、たくさんいる中国人の
グループに入れませんでした。
中国人は日本人ほど和に固執しないので
話しかければ入れたのでしょうが、
彼は自分から壁を感じているようでした。
後で、担任の先生から
彼は
家族の誰とも縁がなく
友だちが1人もおらず
相談できる相手もいなくて
深い孤独の中にいるんだ、と聞きました。
孤独で、ゲームに依存して
休憩時間はずっと
ゲームを独りでやっていました。
話しかければ
綺麗な日本語で答えてくれました。
だけど、
ずっと寂しい眼をしていました。
私はこの時も
どうしたらいいのか分かりませんでした。
今年、週1回
とあるネパール人の女の子を
教えています。
特に悪い意味ではなく
この子はネパール人ぽくないな、
と思っていたら
インドで育ったんだそうです。
確かに勉学への向き合い方が
少しインド人ぽいと思いました。
彼女は最初
隣に座ったネパール人の
男の子と仲良くしていましたが、
そのうちその男の子が
別の席に行きました。
次に別のネパール人の女の子が
隣に来て
楽しそうにしていましたが、
ある時からまたその女の子が
離れてしまいました。
今、その彼女は
一番前の席に
独りで座っています。
周りは彼女を中心として
ドーナツのように席が空いています。
決して空いているクラスでは
ないのですが、
彼女の後ろ、両脇、斜めだけが
不自然に学生がいないのです。
あるとき、みんなで遠足で
遊園地へ行くことになりました。
その子はずっと嫌がっていました。
「私はアルバイトが休めません」
そう言って何としても
遠足の日は休もうとしていました。
普段は個でいる学生でも
遠足の際は大抵
世話焼きの学生がいて
誘われて仲良く楽しむことが多いので、
私はこう言いました。
「いやだと思っても
行くと楽しいものですよ」
その子は頑として首を
縦に振りませんでした。
そこで私は心配になり
そのクラスの日本語担当の先輩に
聞いてみました。
日本語担当は週2日、
同じクラスで教えるために
ともすると週1しか教えない
担任の先生よりクラスのことが
詳しいのです。
「ああ、あの子ね。
私はネパール人にもインド人にも
どちらにもなれないって
言ってた。
どうすればいいの、悩んでる、って。
そんなこと私、知らないわ」
この先輩は口は悪いけれど
心根は優しい先生です。
「遠足は、私も嫌いだったって
言っといた。
私、友達がいないから
みんなで行動するのが嫌だったって。
もしかしたら私みたいに
遠足が嫌いな人も
いるかもしれないし、
それでいいと思うけど、
出席率が落ちるとビザが取れなくなるから
気をつけてね、って」
私はこの先生が彼女の日本語担当で
良かったと心から思いました。
私の返事より余程
安心するだろうし、
上っ面をなぞっただけじゃない
話だったからです。
私が高校生の頃、
アメリカ帰りの帰国子女の子が
転校してきました。
この学校は私立の女子校で
お嬢様学校でした。
ご両親は
アメリカ育ちの娘さんを心配して、
公立に入れるより
育ちの良いお嬢様の多い
私学に、と思ったのかもしれません。
ところが
たった数ヶ月でその子は
他校に転校して行きました。
同族意識の強い女子校で
ただでさえ転校生など
滅多に来ない珍しい状況下で、
当時流行っていたB'zの
「英語の発音が全然良くない」と
彼女が言ったことが
瞬く間に全クラスに伝わり、
誰もが、
彼女を見たことのない人でさえ、
彼女の悪口を言っていたのを
今でも覚えています。
酷く性格が悪い、って。
B'zの悪口を言うなんて
何様だ、って。
伝播に話を戻しますと、
私はこの主人公を簡単に
救いたくなかったんです。
主人公のような境遇であれば
私の教え子たちのように、
大人になっても
アイデンティティの確立に悩み、
いつまでも孤独に苦しむ
可能性が高いからです。
それは、深い闇です。
もがいてももがいても
簡単には抜け出せないでしょう。
大人だったら
いろいろとストレスを抱えながら
生きているから、
気の合う人とだけ仲良くすれば良いと
私は思います。
だけど、そうすると
こういったダブルの人や
帰国子女などの場合、
どうしても
「何かあの人は私と違う」
と、思われてしまい
不協和音を奏で
敬遠されてしまうのです。
それでも、
こう言った人たちが
一見華々しく見えるようで
実はこんなに深い闇を抱えて
苦しんでいることが多い、
と周りが知っていれば、
もしかしたら何か救いに
なるのかもしれない、と思ったんです。
多様性なんて簡単に言いますが、
実は
「人と違う」というのは
深い傷になり得る酷なことです。
それは、週に1回だけ
たった90分の授業しか
していない私でも
「この子は何か違う」
と、気づいてしまうほど目立ちます。
きっとより近くにいる周囲の人々には
心がざわめく不安要素になりかねません。
だけど、
誰もがその痛みを知っていたら。
知って心を慮ることが少しでも出来たら。
何か違うかもしれない。
そう思って書きました。
幸せで良かった、に
したくなかったんです。
だって周りにいるかもしれないから。
苦しんでいる人の胸の内は
そんなに軽い悩みじゃないから。
救ってくれる人も今は
そんなにたくさん存在しないから。
あなたの心に少しでも
引っかかって、
この痛みを抱えている人の闇を
ほんの数ミリでも
明るくしてもらえるように
他力本願を、したかったんです。