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0764.『香君』 / 世界をなめてはいけない


やっと上橋菜穂子の新刊『香君』を読みはじめる。手元にはずいぶん前から届いていて、けれどどうも手に取る気にならない、という日々だった。



そういうとき……読もうと思って買ったのにちっともその気にならないようなとき、白黒つけたい気持ちになっていると「もうこういう小説はわたしには必要ないのかな」と、結論めいた理論がほしくなる。読みたいと思って買ったのに、読んでいない自分が「きもちわるい」からだ。
なので、なんらか理解できるラベルをつけて安心したいと思う。

わたしがよく使うラベルは「もういらないや」「もうわたしの中では終わり」みたいな、ぶった斬りラベル方式。めちゃくちゃ使う。

まあでも、世の中そうそうぶった斬れるものでもないし、わたしも大人になってきた。

ので、「寝かせる」という方法を選ぶことができるようになってきた。そういうときもあるさ~、と思って、寝かせる。


松村先生も、買ったばかりの本はまだ自分になじまないので、なんとなく部屋に置いておいて、読まないまでも、手にとって触ったり、パラパラとページをめくったり、しているうちにふとなじんでいて、あるときスッと読めるようになることがある、みたいなことを書いていた。

そういうことってけっこうあるよな~、と思ったり。

問題に取り組まない力とでもいいましょうか。問題に見える事象をなんとかしようとするのではなく、いったん棚上げする力。気持ちのおさまりがつかない物事を、そのまま、気持ちわるいまま胸のうちに収めつつ、日々を生きる力。



『香君』…..まだ上巻の前半だけれど、読みながら軽く戦慄してしまう。

上橋菜穂子さんの作品って、いつも、一昔前の日本と韓国と中国と中央アジアが入り混じったような架空のファンタジー世界を構築するのだけれども、根幹のテーマというものがひやりとするほど「現代の病理」なのだ。

大袈裟な表現はどこにもなく、たんたんと主人公たちの過酷な運命がソリッドな文章で進んでいくのだけれど、今回は「稲」というテーマの中に、わたしたちが日々さらされている見えない鎖、そしてその見えない鎖の中で、じわじわと個人の自由な生き方が、だれにも気づかれることなく奪われてゆき、いつの間にか大きな顔の見えない冷たい「システム」の中で、全員が隷属させられているような現状が浮き彫りになっていく展開で。

うわあ、作家って、すごおい。って思いながら読んでいる(語彙力どこいった)。

すごいものと出会えると嬉しい。わたしが、世界をなめくさっていたな、と気づけるからだ。

すごい小説に出会ってガーンとなったとき、「おいおい小説なめんなよ。おまえが思うより1000
倍すごいんだぜ」と震える。すごい音楽を聴いても「音楽なめんな」と思う。歌やダンスなどのすばらしいパフォーマンスを見ると「人間なめんなよ」と思う。

目覚める、という衝撃を与えてくれるのがアートであり、一部のエンターテインメントなのだろう。生と死と真実のインパクトというものが、それらに込められている。


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