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0925.自在になること


『上達論』より。

五十六、偏見の形

 どのように稽古に取り組むか。
 それは今述べたように、その人の持つ「稽古哲学」も含めた問題です。
 「稽古哲学」には、その人の持つ「人生哲学」や「思考回路」が反映されます。
 何に惹かれ、何を育み、どうなろうとするのかも、その人の価値観や思考から来る選択が反映され、それに基づいた動きや体が作られていくのです。
 つまり「その人の思考がその人の動きを作る」とも言えます。
 それは言い換えれば、「人は偏見の形に沿って動く」という事を表しています。
 実際に様々な人の体を観察していると、見事なほどその人の「偏見」が動きに反映されています。

 頑なな人は、その人にとって目新しい動きがなかなか出来ません。体も「頑な」で、新しい動きを無意識に排除してしまうからです。
 真面目で働き者の人は、体を緩めるのが苦手です。
 体も「勤勉」だからです。
 見栄っ張りは自分が失敗するような動作から逃げますし、負けず嫌いは他人から後れを取るような練習を避けます。 

しかしどんな分野の人、どんな考えの人にもほぼ共通した「理想」があります。
 それは「自在になること」です。
 「自在」とは、「あらゆる状況であらゆる対応ができる」事です。
 つまり、「全方位」対応です。




この本のレビューを読んでいたら、「御神木のような本」という言葉があった。
おそらく、とても深い根と、太い幹、そして天高くのびていくその大きさに畏怖の念を抱くような気持ちになる本だからだろう。

引用をしたくって、読みながらこうして内容を写しているだけで、余分なものが落ちていくような気がした。音読してもいいし、一字一句を手書きで模写してもいいかもしれない。
そういうふうに、ある種の次元のちがう技能というものはインストールすることができる。文体からとか、動きからとか、カタチからとか。模写、模倣。ただ模すればいい。

わたしが目指す身体はいったいなんだろう、何に惹かれ、何を育み、どこへい
こうとしているのだろうとずっと考えていた。この本を読んで(まだ途中なんだけど)、腑に落ちた。

「自在になる」ということだったのだ。


たぶんわたしが「ほんとうにわたしはわたしで在ろう。そう生きよう」と決めたとき、いちばん初めに取り組んだのは”感情”のことだった。そこからいろんな学びがあって、探求して自分自身をひもといていく中で、”精神”とか”意識”の部分を見てきたと思う。

そうして今、”体”だ。

これまでのように「”体”について学んでいます。解剖生理学とか」とかそういう話ではなくて、わたしのこの”体”を、いかに自在にしていくか、ということを模索している。

といいつつ、ここ最近は『シカゴ・ファイア』に明け暮れているのでちっとも体を使っていない……。そして体と食と意識に関するサービスをつくりたい。だれかが教えてだれかが教わる、というものではなくて、みんなが各自それぞれの「自在」を見出して、その方向に向かっていくプロセスを互いにサポートしあうような、そういうサービスをつくりたい。


2022年9月スタートのライティング・ライフ・プロジェクト第12期生、満席となりました。ありがとうございました。




<世界観と表現>ビジネスコーチング、9月期は満席となりました。



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