0925.自在になること
『上達論』より。
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この本のレビューを読んでいたら、「御神木のような本」という言葉があった。
おそらく、とても深い根と、太い幹、そして天高くのびていくその大きさに畏怖の念を抱くような気持ちになる本だからだろう。
引用をしたくって、読みながらこうして内容を写しているだけで、余分なものが落ちていくような気がした。音読してもいいし、一字一句を手書きで模写してもいいかもしれない。
そういうふうに、ある種の次元のちがう技能というものはインストールすることができる。文体からとか、動きからとか、カタチからとか。模写、模倣。ただ模すればいい。
わたしが目指す身体はいったいなんだろう、何に惹かれ、何を育み、どこへい
こうとしているのだろうとずっと考えていた。この本を読んで(まだ途中なんだけど)、腑に落ちた。
「自在になる」ということだったのだ。
たぶんわたしが「ほんとうにわたしはわたしで在ろう。そう生きよう」と決めたとき、いちばん初めに取り組んだのは”感情”のことだった。そこからいろんな学びがあって、探求して自分自身をひもといていく中で、”精神”とか”意識”の部分を見てきたと思う。
そうして今、”体”だ。
これまでのように「”体”について学んでいます。解剖生理学とか」とかそういう話ではなくて、わたしのこの”体”を、いかに自在にしていくか、ということを模索している。
といいつつ、ここ最近は『シカゴ・ファイア』に明け暮れているのでちっとも体を使っていない……。そして体と食と意識に関するサービスをつくりたい。だれかが教えてだれかが教わる、というものではなくて、みんなが各自それぞれの「自在」を見出して、その方向に向かっていくプロセスを互いにサポートしあうような、そういうサービスをつくりたい。
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