209.それはわたしの一部であって取り除くべき病理ではない


実験をしていました。わたしの人生における「食事づくり」の在り方を変える実験。この記事(↓)には「食事づくりにおけるマインドセットを変える」と書いてある。そんなことをやっていた1ヶ月だった。


ことの発端は、いつもレッスンでおじゃましている先輩の祝里(のり)ちゃんがさらりと出してくれた野菜炒めとお味噌汁が、身体にじんと染み入るおいしさだったからだろう。

あれから1ヶ月、わたしはほんとうによく自炊した。これまでも、家庭の中での女性という立場なので、なんとなく”食インフラ担当”という役割は担っていた。担ってはいたけれど、しぶしぶといった感じだった。どちらかというと、”自由気ままに仕事はしつつも本業はオタ活担当”というのがよかったんだけど、そんな担当べつに家庭に必要ない。

食事づくりは大変手間のかかるものなので、いかに無駄を省くか。いかに効率よくこなし、アウトソースするかということでいっぱいだったマインドを、ソレハ無駄ジャナイ。効率トカジャナイ。それはわたしの人生の一部であり、なぜそれを必死で排除しようとしていたのか。という前提をくつがえす問いにもどることにしたのだ。

『それはわたしの人生の一部なのに、なぜ取り除くべき障害 / 重荷だと思っていたの?』という問いだ。


結論から先に書いてしまおう。
ものすごく体調がいい。前にもどこかで書いたけど、夕方に家事モードに入り、夜に落ち着いたらもうひと仕事できる、という人に憧れる、と書いた。わたしは体力がなさすぎてむりなんだ、と。
夕方になってしまったらもうヘトヘトで、家事をこなしたあとに倒れこんでしまい、そのあともうひと仕事なんてとんでもない、と思っていた。

調味料だけ、ほんのすこし質のいいものにして、白砂糖はやめてラカントにしていて、自炊といってもそんなに何品もきばってつくらない。今日だって、ごはんは冷凍をチンしたものだし、メインは肉野菜炒めと、玉ねぎとわかめのお味噌汁。つまり、一汁一菜だ。あと、納豆ともずくくらい。

毎日そんな感じで、まるでがんばらない自炊だし、「ハンバーグ」とか「ポークソテー」とか「肉じゃが」とか、名前のついた献立じゃない日のほうが多い。鮭を焼いて、具沢山のお味噌汁にするとか。とにかく、たださっとつくった。

そうしたら、ほんとうに疲れなくなったのだ。あの疲れはいったい何だったんだろう?と考えてしまう。そして肌の透明感が増してきて(白砂糖を摂っていないせいだろう)、特に運動もしていないのに身体まで締まってくるではないか。

おそるべし、自炊。と思った。
え、こんなことなの?
え、健康って、疲労って、ダイエットって、体力って

こんなに簡単なことで、あっとゆうまに手に入るものなの?と。


いろんなことに対して、うすうす気づいていたけれど、わたしたちはいろんなことを複雑にねじれたカタチにしすぎていただけで、じつはなにもかもがすごく簡単で、シンプルなことなんじゃないか.....?
すごくたくさん勉強して、すごく高いお金を払って、すごく努力をしないとなんでもうまくいかないって、どこかの誰かに信じ込まされていただけで、それはとんだ大ウソで、

ほんとうは、健康も、幸せも、たくさんお仕事したり楽しく遊んだりする体力もみんな、ものすごく基本的で簡単なことで、ぜんぶが手に入る。

それこそが、いまの時代の真実なんじゃないだろうか。って、ますますそんな気がしている。



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