0895.すこやかな暮らし
毎日6:30分には起きて、家のこと、家族のことをやる。
ゆったりとしたペースではあるものの、いつかの自分が夢見たぴったりの仕事をする。
お昼は簡単に、夜はほんのすこし気合いを入れて、おいしいごはんをつくる。
おいしく食べるけど食べ過ぎないで、お酒もたまに飲むけど飲みすぎないくらい(ぜんそくだから)。
夜更かししたーい!次の日の予定とか気にせずに、好きなだけ真夜中まで遊びたい!と思わなくもないけれど、22時台にはすとんと寝てしまう。
そういう日々を繰り返していく中で、わたしはこの歳になってはじめて「すこやかである」ということを味わっている。もちろん、ぜんそくなので気圧の変化などはつらい。薬も常備しているし、わりと摂取もする。偏頭痛もずいぶん減ったけれど、たまにどうしようもないときもある。
そういうのがまったく一切ありませんの。
という生粋の健康体とはまたちがうのかもしれない。けれど、わたしはいまの自分の「すこやかな暮らし」というものを、とてもとても尊く感じている。
もっとひどかった喘息、もっと割れるほどの痛みでうずくまることも何度もあった頭痛、摂食障害による日常的な嘔吐、終電まで会社で仕事して、終電逃した仲間たちと夜明けまでお酒を飲んで、タクシーで帰って着替えて、また出社していた、そんな毎日と比べたら、「ん?ここは天国かな?」と思うほどだ。
わたしひとりではここまで来られなかったと思う。
わたしひとりのときは、そんな状態でも、そのすこやかさとは程遠いありさまだったとしても、そこが楽園だったしそこ以外は知りようがなかった。
浴びるほどお酒を飲んで、割れるように痛む頭をタクシーの窓にもたれかけながら、朝日で一瞬かがやく歌舞伎町の前を眺めるような、そういう楽園がわたしのすべてだったのだ。
子どもたちが、わたしを変えたんだなあ、と思った。
きっと、大人であるわたしひとりでも、大人同士の旦那とのふたりでも、むつかしかったような気がする。
わたしは子どもができて、キャリアを中断されて、思うように動けずに、自由を奪われて、女性であるだけで母であるだけで、自分の人生の大半を失ったような気でいたけれど(それもずいぶん長いこと)、いまわたしがこんなに元気で健康で、朝の光のようなすこやかさを感じられるのって、ただただ、彼らのおかげなのだと思った。
わたしが彼らにいのちを授けたわけではない。それは知っている。
彼らは天からいのちを授かり、わたしは彼らを授かった。
けれど、彼らはわたしに、ほんとうのすこやかな暮らしとそこから生まれる身体とエネルギー、というものを見せてくれたのだな、と思った。そういう意味で、彼らの存在はわたしの身体を根本から癒してくれたし、いのちの恩人でもあるのだった。
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