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自己紹介

東京都台東区は谷中(やなか)というところに住んで今年12年目になります。都内で事務員をしながら生計を立てている女性です。下町と古い町並みが好きで、2010年にここへ引っ越して来ました。ある変化が起こるまでこうしてネット上で自分の生活を報告するなど、一ミクロンも考えたことはありませんでした。

放って置かれればいくらでも部屋にこもっていられる出不精で、サンダルばきが行動範囲の私は、時々上野動物園でぼっち動物園を楽しんだりしていました。そんなのんきな生活をしながら谷中に引っ越して四年弱が経った頃の2014年3月6日以来の出来事が、ここに自分の日常を公開するきっかけとなります。

最近では耳にしたことがある方も少しずつ増えているようですが、要するに私は、今のところ「集団ストーカー」と俗称されている事象の当事者です。類似するものとして、「ガスライティング」もしくは「ギャング・ストーキング」という言葉ならご存知の方も多いのではないでしょうか。説明の難しい事実を、自分の言葉でどれだけ伝えることができるのかの試みです。

■私は「集団ストーカー」という軽薄な言葉を心から嫌っています。この恥ずべき呼称に対する私の考えはこちらでお伝えしています。


二つの現実を受け入れるまで

脅しのやり口に気がついて目が覚めたいまだからこそ言えますが、「それ」はつくづく人を小馬鹿にしたやり方で、そういうのが実際にあるんだというのを知り、自分のおめでたさ加減をいまこそ思い知らされました。

火蓋を切られた初日から、変な出来事を記録に残し始めました。恐怖と混乱の中で自分を持ちこたえさせるのが精一杯の毎日。あとから見ると人には見せられないような奇妙な記録ですが、以下は、自分に何が起こっているのか理解できず、怯えていた当時の記録の一部抜粋です。

2014年3月6日(木)朝。
歯科医院前電話ボックス陰からガラケーで写メ撮られる。バイク&ヘルメット中高年男。

2014年3月18日(火)朝。
初音(はつね)の森、階段上角。コート男2名、刑事ドラマ風に走るのとすれ違う。前方からシルバーセダンゆっくり左寄せ停車。

2014年3月25日(火)昼。
定食屋にて。ライス半分。オレも。

「ライス半分」「オレも」は、昼に定食屋さんでご飯をよそってもらう時、後ろの男性が私の真似をしてすかさず「オレも」と言った記録です。ただそれだけの出来事ですが、相手がこちらを意識しているのを知らせようとしているのがはっきりと分かる、圧のようなものが伝わってきます。このように、仕掛ける側が故意にありえないような馬鹿馬鹿しい状況設定にすることで、こちらの自意識過剰に過ぎないということにしておけるのが狙いなのだろうと思います。

とにかく、そんな数年前の奇妙な出来事を何度も自分の中で反芻したり、同じ状況にある方々とさんざん話したせいか、外面的な出来事を誰かに信じてもらうことには以前のような関心がなくなりました。それと、当時の恐怖や孤独、怒りや悔しさを、いまさら引っ張り出して吟味する疲労感を避けたいという気持ちがあります。ちょうど、ナチス強制収容所での過酷な体験を、戦後、何も知らない孫たち世代には一切話さず、沈黙を守ったまま年老いてこの世を去って行った生還者の内心は、これに似ているのかもしれないと思いました。

ですが内面的な出来事を振り返って書き出してみると、自分が殺害されるような過酷な場面に遭遇したとき、どんな自分が頭角をあらわすのか知ることができそうです。

三月初旬の曇り空。朝の東京スカイツリー。

「混乱」から「明らめ」まで

エリザベス・キューブラーロス・ロスの、死に至るプロセスの5段階説というのをご存じの方もいらっしゃると思います。私は、ガスライティング(俗称「集団ストーカー」)が始まったパニック状態の時から精神的に安定するまでの間に、どんな心境の変化があったのか、自分を被験者に見立ててこの五段階説を考えていたことがあります。キューブラー・ロスは、死を宣告された患者の多くは次のような心理的プロセスをたどると言っています。

【第一段階】否認と孤立
死の宣告に対して、「何かの間違いだ」と現実逃避し、周りの人たちと距離を置いて孤立する段階。
 ↓
【第二段階】怒り
自分が死ぬという現実は認識したが、なぜ何も悪いことをしていない自分がこんな目に遭わなければならないのか、もっと悪い人間が他にいるじゃないかといった、怒りにとらわれる段階。
 ↓
【第三段階】取り引き
自分の死はわかったけれども、良い行いをするからもう少し命を長引かせてほしいなどと、神仏にすがって取り引きする段階。
 ↓
【第四段階】抑うつ
自分の死が回避できないことを悟って、抑うつになる段階。
 ↓
【第五段階】受容
死という現実を受け入れて、穏やかになる段階。

よく見ると、つぼみが膨らみ始めた御殿坂の桜。

私は、ガスライティング(俗称「集団ストーカー」)が始まった時から現在に至るまでに自分の内面で起こった変化は、この五段階に似ていると感じました。今では、喜劇の世界で過ごす自分に、「神妙な顔しちゃってからに…」と自分で自分をからかうことすらありますので、「受容」を通過したとも言えそうです。とにかく、キューブラー・ロスの説に倣って、自分がどんな段階を踏んできたのか振り返ってみました。するとだいたい次のようになることがわかりました。

混乱→あがき→忍耐→受容→明らめ

この五つのうち「忍耐」は、絶えず継続していました。うかつに誰かに話せば確実に私の精神状態が疑われるようなことが起こっている中、表面上は平気な態度で振る舞わなければ自分の社会生活を失います。「決して取り乱すな。さもなくば全部崩壊するぞ。」そう自分に言い聞かせながら、自身を持ちこたえさせてきました。

もっとも辛かったのは、なんといっても最初の「混乱」の段階です。(*この時の詳細は、アメーバブログの、被害が始まったときに考えたことに掲載しています。)

混乱と開き直り

「それ」が始まった瞬間から、これは警察に相談すべきものではないという直感のようなものがはたらきました。口をつぐんでおくべきもの。友人に話してもいけない。家族にも言ってはならない。職場で話すなんて言語道断だ。つまりどの道を取っても、どう考えても、私が正気を失ったとしか受け取られないのが確実だからです。なんというか、法律の通用しないものに巻き込まれたらしいという感覚が、当初からありました。

こういうことをいい大人たちが本気でやっている。こんなのがあるなんて全然知らなかった。自分が生まれてこの方、今まで見てきた世界は何だったのか。至るところで大勢が関わっている。ああいった人たちは、どこから現れて、普段どんなふうに生息しているんだろう。じゃあ、あの人は?この人は?これは自分以外の誰にも理解してもらうことはできない。仕掛ける側と私だけの、これは秘めごとなのだ。私は試されている…。

とどめは、個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持する責務を負うはずの方々(全てではなく一部の方々であることを強調しておきます。)が、「これ」に参加しているのを知った時でした。あるケースでは硬直した顔つきで、またある時は薄ら笑いの表情でです。これでは勝ち目はありません。この状況を証言したとして、この世がまともなら私が狂人です。自分の社会的ちっぽけさを、ぐうの音も出なく思い知らされました。

こうして正真正銘のひとりぼっちを経験しました。言ってみれば、広大な宇宙空間にたった一人、私だけが放り出されたような感覚です。つまり、自分の命など簡単に閉ざされる可能性が絶えずすぐそこにある現実であることを、私だけに分からせる方法で知らされ、そのことを他人に打ち明けた場合、私が"アタマのオカシイ"人物として受けとられるように設定されているために、世間にいっさいの逃げ場がなく、心理的な隔離状態に置かれたような状況です。たったいまも、こんなことを証言している私自身こそが精神を患っているかのようにみえる逆転現象を、自ら招いてしまっているという歯痒さが伴うのです。

さて、こんな状態で発狂せずにいつまで正気を保てるか。正気って何だ。人は、もっとも他人に理解してほしいことのみに口をつぐんで生きられるか。ほかのどうでもいいことだけを他人と分かち合いながら、発狂せずに生きていけるのか。

以外にも当初から、私には開き直りの気持ちが心のどこかにありました。遅かれ早かれ人は死ぬ。どんなに不条理な理由だろうが、他人に誤解されたままだろうが、ズタボロだろうが、知ったことではない。尊厳の最後のひとしずくまで絞り取られて命を落としていった人たちが、歴史上どれだけいることか。悔しい気持ちも嬉しい気持ちも、死んでしまえばただの炭素、元素記号のCに還るのだ。川に生まれたうたかたがひとつ、弾けて消えるだけなのだ。大事なのは、どんな自分で棺桶に入るかだ。すべての死者は自分の味方だ。

開き直りは脳内麻薬の役目を果たしてくれていました。

七面坂から臨む西日。

明らめ

そんな調子でだいたい六か月ほどが経った頃、なるほどこういうものがあるのかと、明らめの境地に足を踏み入れたせいか、ガスライティング(俗称「集団ストーカー」)のある精神生活と自分本来の精神生活との周波数のようなものをチューニングできたような気がします。外側から見れば私は屈託ないように見えますが、その内側でははかり知れない変容を遂げた自分がいるわけです。

自分に与えられた稀有な課題と対峙することで成長してみせよう。誰にも分かってもらえなくてもいいじゃないか。自分自身と同盟さえ組めていれば…。

私にとっての最後の段階が、「諦め」ではなく「明らめ」なのは、このような理由からです。

朝の通勤風景。JR山手線、日暮里駅ホーム。

あらためて「あがき」の段階の教訓

自分を受け入れてもらえなければ相手には永遠に届かない。

上記の通り「混乱」と「明らめ」と名づけた段階をご紹介しましたが、実はその間の「あがき」の段階で、私は友人に身の周りで起こっていることを打ち明けてみごとに粉砕したことがあります。

友人は、私を優しい態度で憐れんでくれました。こういう考え方をしてみてはと、このサイトを教えてもくれました。↓
https://stalker.johoguard.com/

↑そのサイトのトップページのスクリーンショット。私のようなターゲット個人を「頭のおかしい人たち」、いわゆる「電波系」であるという刷り込みをするために設けられた代表的なサイトです。管理人と思しき人物は数冊の書籍まで発行しています。ある問題に無関係なはずの第三者がこれほどむきになってその存在を否定しようとする情熱はどこからやってくるのでしょうか。「ああ、最近たまに聞く被害妄想の激しい人たちね…」とスルーしておけばよいものを。

このサイトは私がすでに見たことのある、一般の人たちを誤解に誘導するために加害側が用意したものでした。私は、これはまずいぞと思い知り、その場を潔ぎよく撤収したのでした。そして自分に言い聞かせました。期待と現実をきちんと見極めなければまた痛い目に遭うぞと。他人に理解されないことによる凍りつくような孤独感は、もう二度と味わいたくないと。

このことから痛感したことがあります。それは、その情報自体を信じてもらおうとするより前に、まず自分自身が信用されるのが先決だと。私が人として信頼されるというステップをすっ飛ばしてはならない。つまり話の内容に耳を傾けてもらおうとする以前に、自分自身を受け入れてもらえなければ相手には永遠に届かないのだと。

たしかに、人は相手の話を聞きながら、むしろ話の内容以上に、目の前の話し手がいかほどの人物なのかを探ろうとします。そして信頼に値すると評価できてようやく、話し手の話す内容に真剣に耳を傾けようとします。焦ると自分自身がどうみられているのか見失いがちです。焦れば焦るほど相手は警戒し、その場を早く切り上げようとします。かくいう私自身がそうです。うつし鏡のような、私の「あがき」の段階における苦い経験でした。

仕事帰り、日暮里駅西口から見える東京スカイツリー。毎晩照明の色が変わります。

わたしのハンドルネームについて

私のハンドルネームは「無字右衛門」といいます。無字右衛門の「無字」は、「真理は文字にして言い表すことができない」という意味です。『無門関』第一則、趙州無字からの引用でもあります。

『無門関』

私にはガスライティング(俗称「集団ストーカー」)の被当事者というもう一つの顔があります。2014年3月5日以前の自分とは、まったく違う世界にいます。そして間違いなくいまの方が本番です。

私は、こうなってよかったとすら感じています。このことを知らずに生涯を終えるのは虚構を生きたも同然だから。そんな人間のひとりとして、自分の日常とそれを取り巻く周辺がどんなふうにみえているのか、「第二幕の私」から見える景色を公開していきます。

数年前、私は、私の尊敬する人より長生きしてしまいました。なので、おそれずに自分の考えを表明しようと思います。

長谷川 無字右衛門


■ こちらでもブログ公開してました。↓


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