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051.完璧でありたいと願う、完璧じゃないあなたが好き(信じられないほど長いBTS考)


ライティング・ライフ 1期メンバーのみなさま、本日が第一回課題の提出日でやんす。ぞくぞくと届く第一回目課題を、喜びとともに読ませていただいてます。まだの方もお待ちしてますね!*


とにかく今日は朝から泣いているのだが、なににってBTSにである。コンサートのDVDを観ては泣き、ドキュメンタリーを観ては泣き、ミュージックビデオを観ては泣く。なんだろう、これ、ほんとうに泣ける。この人たち。

なんと言ってもわたしはここ1ヶ月くらいで急激にBTSの沼に落ちた、いわば「にわかファン」というやつなので、なんとなく肩身が狭いのだが、それでもこれは書いてみたいな、と思うことがある。

それは、日本のアイドルが失ってしまったものを、韓国、ひいてはワールドワイドな世界的なアイドルになりつつある彼らBTSがとても大事に持っている、ということ。そのことは、わたしにちょっとした衝撃を与えてくれたのだった。

それは、ぬるま湯というものは、個性化の表現の可能性を奪ってしまうのだな、ということ。

ぬるま湯というのは、日本の男性アイドル業界のことだ。競争と、ぬるま湯と。そんなことをずっと考えている今日だ。

BTSの素晴らしさをここで語っても仕方ないな、とは思う。だってアイドルを好きになるってどこまでも主観だから。好きになってしまえば、なんでも良く見えてしまうんでしょう、で終わってしまう。

でも、わたしはBTSを知るまでは、アイドルって不完全でぬるいところが良さだな、と思っていたのだ。たとえばアイドルがものすごく完璧な歌唱力を持って、完璧なパフォーマンスをしてしまえば、それはミュージシャンであってダンサーであって、アイドルという魅力からは離れてしまうのではないか、と思っていた。

けれどそれは完全な誤解で、BTSの4人のボーカルラインが個々人の豊かな個性に根ざした完璧な歌唱力をいかんなく発揮し、3人のラップラインが、自分たちの想いを歌詞に込めて、完全にプロのラッパーと同等のラップの実力を持ってパフォーマンスし、7人全員が死ぬほど研鑽していると、ひと目でわかるくらいの鮮烈なダンスをし、ステージの上で一部のスキもないエンターテイナーであるということは、アイドルの魅力を損なうどころか、アイドルというステータスを一気に押し上げることになるのだ、ということに、彼らをみて初めて気づかされた。

作詞・作曲・プロデュースをメンバー内で手がけるということ自体、もう誰かのお人形ではなく、それはミュージシャンではないか。わたしは彼らの曲を聴いても、韓国語なので歌詞がわからない。けれど、そのグルーヴィーな楽曲はどれもダンサブルでエモーショナルで、彼らの曲を聴いていると身体が踊りたい、といってくる。

サカナクションを聴いている時と同じだ。彼らの音楽はわたしを踊らせてくれる。彼らの刻むリズムで、ビートで、わたしは自分を解放するためのダンスが踊れるのだ。そして、ヴィジュアル担当、という「容姿の担当です。まずは僕たちの容姿からお入りください」と言わんばかりの、彫刻のようにきれいなヴィジュアル・メンバー。

わたしの好きな言葉があって、それは「間口は広く、志は高く」である。

入り口は、みんながわかりすぎるほどわかる、誰でもが入れるくらいの広さがいい。でも、その入り口から入って、そして入った人がたどり着けるその場所については、どこまでも志を高くしたい。例えばアニメーションやエンタメなんかはそうだと思う。

わかりやすい、みんなが楽しめる、低いハードル。そして、ジブリのように、新海監督のように、ビジュアルだけでも人を魅了する。けれど、そこから入った人はみんな、ちゃんとわかる。その世界観がどんなに緻密に設計されているか。どんな意図でそのストーリーが配置されているか。なにもかもがどれほど微細につくり込まれているか。監督が、作り手が、パフォーマーが、観客をどこまでも高く、彼方に、連れて行こうとしているか。

たとえばそういうもの。エンタメとアートをつなぐようなものに、いつだってわたしは惹かれてしまう。だからあえて今BTSから、サカナクションや、村上春樹や、菊地成孔のように、自分の次元を変えてくれるアートとしてものすごく深く感銘を受けているのだと思う。

日本でアイドルをしていて、そこで売れている限り、自分のシンガーとしての能力を、ダンサーとしての才能を、そこまで極限まで研鑽する必要性はどうしても持てないだろうな、と思う。そして、日本はアイドルがとても長命なので(男性アイドルだったら40代でも愛され続けるし。いいことだと思うけど)、刹那的な感覚も薄いような気がする。

でも、彼らはちゃんとわかっている。

「人気というものは永遠に続くものではないことを僕たちはわかっています。だからこそ、このジェットコースターに乗っている瞬間を楽しんでいるのです。終わるときは、あっけなく終わるものです」 2018年 RM


と。それは日本のアイドルもわかってる、と言われるかもしれない。もちろん、わかっている。わたしたちは、青春が永遠でないことをわかっているから、刹那の輝きの夢をアイドルに投影する。

でも、なんていうかな、「人気が終わる」ことに対して、日本は「消費されている」という捉え方をしている気がする。人気商売だから、水物だから。どうせ今だけだから。だから、「ファンのみなさんが大切です」って言いながらも、ぬるく何度もスキャンダルとかでファンを悲しませることを繰り返すし(わたしは熱愛報道で悲しまないタイプだけど)、「ファンが大事」はたてまえだから、なんとも思わない。

俺たちを消費しているんだろう?だったら、俺も君たちから搾取させてもらって、好きにやるさ。みたいな、愛憎入り乱れている感じ(笑)? それでも、日本だったら事務所が強かったりしたら、ずっとテレビには出ていられるし、露出していられる。メディアが、アーティストとファンの幸福な関係性をねじ曲げてしまったのかなと思う。

BTSのメンバーの言葉のはしばしから、インタビューから、ライブのパフォーマンスや観客とのやりとりから、彼らが「ARMY(BTSによるファンの呼び名。アミ、アーミー)」に対して、とにかくただただ、純粋な感謝を感じていて、それをことあるごとにARMYたちに伝えたい、と思っていることがわかる。メンバー同士のやりとり内でも、誰かがいつも「ARMY」のことを言っている。

前に流行った映画『ALWAYS 3丁目の夕日』を観た人はいるかな。あれを見ると、人と人との関係性がまだシンプルで、とても近くて、ただ人は純粋に助け合って暮らして、一緒に泣いたり笑ったりして生きていた古き良き時代、ノスタルジーといったものが描かれていたと思うのだけれど、それがなぜノスタルジーというかは、わたしたちがとうに失ってしまったものだからだ。だからノスタルジックな想いを抱く。

わたしが彼らに抱くのは、もしかしたら、関係性においてはアーティストとファンが純粋な絆によって結ばれているという、古き良き時代の再来のような暖かな交流であり、けれどそのパッケージングされたエンタメ性においては、これまでの時代のアイドル像には決してあり得なかったような、高い音楽性と強いメッセージ性とヴィジュアル性を兼ね備えた、なにか「黄金の」という形容詞がぴったりハマるような、そういう存在への憧憬なのかもしれない。

旧時代のノスタルジーと、新時代の未知の可能性のゴールデン・ブレンドを、20代という人生の一瞬の刹那に魅せてくれている、その奇跡を目撃している、という感動が、こんなにもわたしを泣かせるのかもしれない。

もう、十分すぎるほど十分なくらい、韓国内ではトップアイドルとしてのスターダムを駆け上がっていて、日本での人気もうなぎ上りで、ヨーロッパや北米での人気も凄まじく、アジア勢のアイドルグループがビルボードチャートのトップに何週もとどまる、といった快挙をなし得ている、完璧を目指す7人の少年たち。

けれど、わたしは彼らの完璧じゃない、人間味あふれる姿が好きだ。思うようにパフォーマンスができなくて、泣き崩れてしまう姿や、ずっと家族にもアイドルへの道を応援してもらえず、初めてコンサートにきてくれた両親の姿を見て、ステージで膝を折ってしまう姿や、「あいつはグループから抜けた方がいい」という誹謗中傷からずっと立ち直れないくらい落ち込んだ夜があったことや、いつでもARMYたちが不安にならないよう、傷つかないよう、そしてメンバーの迷惑にならないよう、過剰なくらいプライベートよりもオフィシャルな姿をファーストプライオリティーにおいている、古き良き時代を彷彿させる、わたしたちの夢を叶えようと奮闘する王子様たち。

こんな姿、本当に忘れていた。彼らを見るまで、思い出せないほどだった。完璧であろうと努力する、完璧じゃないあなたたちがどれほど眩しいか。

完璧じゃなくたっていいでしょ?どうせ、夢の王子様なんかじゃないって、知ってるんでしょ?みんな。と、開き直っている王子様に、なんの価値があるのか?と。

どうせ夢の国なんかじゃないって、知ってるんでしょ?って、ディズニーランドが開き直って、ゴミが捨ててあって、キャストがだらだらしていたら、そこはもうディズニーランドじゃないじゃない?

わたしたちはずいぶん、アイドルという存在にお互い疲れていたのかもしれない。

どうせ消費。どうせこんなもん。どうせファンは飽きっぽい。どうせ本当に好きでも意味がない。どうせ好きなのは俺の表面だけ。そんなふうに、どこかでお互いに「ずっと応援してくれるファンと、最高のひとときをアイドルとして過ごす」「最高の王子様として夢を見させてくれるあなたを、ずっと好きでいる」という約束が、できないままだった気がする。

けれど、BTSは「それをやろう」と、「本気で一緒に行こう、僕を信じて」と、信じることに疲れていたわたしたちに、もう一度手を差し伸べてくれて、もう一度夢を見させてくれる、しかもこれまでにないくらいの極上の夢のステージに連れて言ってくれる、唯一無二の存在になろうとしているのだと思う。


ああ、わたしは今、自分が言葉を書くことのできる人間でいることの幸せを猛烈に感じている。好きなものの、ここが好きなんだ!と書くことの、なんという幸せ。そうだ、わたしはただ、言葉を、「あなたが好き」「ほんとうに好き」「どれだけあなたが好きか、どれだけ素敵か、わたしがいくらでも伝えてあげる」というために、使いたいのだった。







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