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1091/1095.ここでいつでもつながっている


人とつながる、ということについてここ数日考えていた。

わたし自身が、たとえばWLPファシリテーターの方たちとつながる「研鑽クラス」というのを定期的に開催していたり、企画での「すぐやる部」という、こちらもやはり”場づくり”というものをしていたり、前々から「定期的に読書会をやりたいな……」と思っていたりするので、シンプルに「人と人とが顔を見合いながら、対話をする」=人とつながる、と思っている部分はある。

でも、わたしがからだの奥底から「ああ、つながっているんだ」と感じる瞬間は、なぜか「書いているとき」なのだった。

おかしい。だって書くときはいつもひとりだし。
いつも正直な気持ちや、描きたいことが描けているわけではないし。夜に書くと疲れていることも多く、やっつけみたいになってしまうときもある。

それでも、「話し合う」という場の何倍も何十倍も、わたしはこうしてひとりで書いているとき、ひとりじゃないんだ、と感じている。なにかとつながっている感じがする。だれといるどんなときよりも、わたしにはその感覚がとてもリアルだ。

この、書いているとき特有のわたしの「世界に対するリアリティー」というものを、どうしたら「人といるとき」に感じられるのだろうか。って思ったけど、やっぱり鍵となるのは身体感覚と感情解放なんだろうな~!!(自己解決)

昔、どこかの駐車場でかなり年配の女性からものすごく理不尽に怒鳴られたことがあった。どうやら彼女が駐車している途中だったのに、手前で止まらずにそこを通り抜けて、すぐとなりの駐車エリアに停めてしまったことが気に入らなかったらしく、つかつかと歩み寄ってきて「あんた!」と大声で指さされ、「人が停めてるんだから、待ってなさいよ!」みたいに怒られた。

わたしはというと、自分に対してとても怒っているのだ、という認識はできたので、なにに対してそんなに憤っているのかの理由や言い分が聞きたくて、とりあえず「ええと、はい」みたいに相槌を打ちながら、怒鳴り続ける彼女の話をじっと聴いていた。
傾聴、というほどの態度でもなかったと思うが、別に急いでいる用事もなかったし、言いたいことがあるなら聴こうか、という姿勢だったと思う。

で、しばらくわりとまじめに彼女の怒鳴りを静かにうなずきながら聴いていたら、ますますそれが気に入らなかったらしく、捨て台詞のように「なんなのよ!なんでもわかったような顔しながら聞いてるんじゃないわよ!まったく!!」と言って、去っていった。

じつはこのパターンは何回かあって、怒っているひとの話をじっと聞いているとたいていその相手が最後に「わかったような顔をするな」とか「わかったような顔で聞くな」とますます怒り出すのだ。

わたしとしては、本気で「なにに怒っているんだろう。どこらへんが逆鱗ポイントだったのだろうか」と知りたくて聞いている。だってそうじゃない? わたしも、誰彼かまわず悪意を振り撒いて人を怒らせたいと思うほどひまじゃない。どちらかといえば平和主義だと思う。
だから、相手はなにか勘違いをしているか、意思の疎通が取れていない場合が多い。そのポイントを知るためにはまずは相手の言い分を聞いてみないことには始まらない(わたしは怒ってないわけだし)。

けれども、わたしのその「あ、怒っているようですね。一体なぜゆえ?」みたいな態度が相手の火に油を注いでいるようなのだ。もう、いつも超不思議で、たいていは「え、ええ~……」みたいにしょんぼりして帰ることになり、あとからノートや日記に書くことで「あのとき、なにが起こっていたのか」を検証して、なるほどー!みたいに消化するのが、わたしのくせになっているのだ。

でも毎回みんな「自分はなんでもわかってますみたいな顔して。ばかにしないでくれる?」みたいなニュアンスの言葉を吐き捨てていくので、わたしは「ばかにされたと相手は感じたのだね。フムフム」と思っておわり、なんだけど。

駐車場のひとも、わたしは彼女がバックしている途中に、その車のフロントに通れるくらいの隙間ができたからスーッととおっただけだったけども、その女性にしてみたら切り替えそうとしていた途中に車が通り過ぎたわけだから、「おめーの下手くそな車庫入れを待ってる時間はねーんだよ、何回ハンドル切ってんだばーか」的な侮辱を受けた!と感じた、ということだよね。そこまで怒るということはね。

わかる。ばかにされるってつらいもんね(でもしてないんだけどね)。

と、そんなようなことを書いているとき、わたしはすごく、ひととつながっている感覚がある。

とても個人的な日常の出来事を書いているようで、そのじつ人間の心の普遍的な領域に触れている話でもあるので、その「普遍的な領域のことを書いている」ということが、わたしにとっての「人間の世界と密接に関わりながら生きているというリアリティー」を強めているのだと思う。

持続可能な表現手段を持つという意味ならば、自分のリアリティーがなににあるのかを考えたほうがきっといい。「書くこと」なのか、「話すこと」なのか。
発信と受信はセットで、呼吸のようなコミュニケーションのことだ。

自分がどの領域なら、ほんとうに人とつながるということができるのか、考えてみる価値はあると思う。

野球をしているあのひとたちは、野球をしているというリアリティーの中で感じる「生きている」という感覚を、見るひとと共有することができる。彼らは野球について文字や言葉を費やさなくても、スイングひとつで人とつながる。
ストリップダンサーをしているあのひとたちは、ダンスという芸と裸体という神秘と欲望とをかけ合わせて、舞台の上でさらしていくというリアリティーの中で人とつながる。個人的な領域でいえばもちろん、キスやセックスといった実際の皮膚接触や粘膜の接触での超具体的な「つながる」だってある。

遊離しない、乖離しない、分離感を助長しない、真のつながりのリアリティーの在処はどこだろう。それはひとりひとりちがうはず。

わたしの理解者は、ある部分では家族や友人たちといえる。

けれども、別の部分におけるわたしの”真のリアリティー”はいつでも「ここ(テキスト)」にあるので、これを読んでくれているひとのほうが、じつは本質的な理解者であるような気がしている。

だからここに言葉を書き続けた3年間は、まあちょびっとは大変だったにせよ、いつでもだれかとつながっている感覚というのが、たしかにあったな、と思う。




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