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パパのオレ、オレになる?! 第2話

第2話 シンクロニシティ

ピッピッピッと高低音を出し始めたスマホをつかんで目覚ましのアラームを止めた。

ベッドから降りて、シャーッという聞きなれた音とともにカーテンを開け、トイレに向かう。それから洗面所に移動し、ポンプをプッシュして泡を出して手を洗い、次に顔も洗う。今度は電動シェーバーを手に取り、ブーンという低い音と振動を感じながら髭をそる。

体のだるさを感じて昨日のことを思い出す。

理沙はもう出社済みで、翔太もまだ寝ている朝のこの時間は一日の中で唯一、静かなひとり時間を持てる貴重なひと時だ。

理沙は早朝から出社して、夕方のお迎え以降の翔太のお世話と夕飯づくりを担当してくれている。

そのかわりに、朝は翔太を起こすところから保育園に送るまでを自分が担当している。はじめこそは一人で回せるか不安しかなかった。だけど、3か月の育休を取って初めから翔太の育児をしていたこともあり、やってみれば意外と何とかなった。それに、理沙に口出しをされずに自分のやり方で進められるのは意外と悪くない。

平日が早番・遅番制のこのシステムになってから、もともと朝食後だった髭剃りは、翔太が起きる前にするように変わった。翔太がまとわりつくと手元が狂っても危ないし、翔太からあまり目を離せない時期もあって、理沙に提案されてそうなった。理沙はそういう目の付け所が鋭い。

身だしなみタイムが終わり、キッチンに移動して、キッチンラックからプロテインの袋と、隣に置いている透明プラスチックのシェイカーを手に取る。袋を開け、スプーンでココア味の粉を4杯シェイカーに入れる。水を注いで、シェイカーのキャップをしっかりと閉めてシャカシャカと振る。水の音とともに手に振動が伝わってくる。

翔太が生まれてからは時間がなくなってジムには行かなくなった。だけど、プロテインを飲むという以前からの習慣と、たくましい身体でいたいという願望だけはそのまま残っている。

プロテインを飲みながら冷蔵庫の中身を確認する。たまに翔太の朝ごはん用にと、昨夜の夕食を取り分けておいたものがあることもある。今日は特になかった。

翔太は割と何でも食べる。ただ、たまに癇癪を起してお皿をひっくり返す。朝からやられるとたまらないので、最近はスティックパンとバナナと牛乳を定番にしている。栄養は保育園でとってくれるから「まぁ、いいか」だ。

自分の着替えまでを終わらせて、翔太を起こしに行く。耳元で「おはよう。朝ごはん食べよう?バナナ食べる人~」と楽しげに言うと、大体の場合は「バナナ!」と叫んで翔太のスイッチはオンになる。何度繰り返しても面白くて、毎日笑ってしまう。

これは翔太が一歳過ぎのときに、理沙が「きょ~うの朝ごは~んなんだろうな。パンかな?ご飯かな?リンゴかな?バナナかな~?」と寝ている翔太の隣に寝転んで耳元で歌ったときに、翔太が「バナナ!」と叫んで飛び起きたときから、わが家の目覚めの儀式のようになった。

翔太にご飯を食べさせ、熱をはかって保育園の連絡帳に記入して、一緒に歯磨きをして翔太の寝ていた布団を畳み、着替えをさせる。今日は顧客先で10時から月1の定例会議なので、いつもより余裕がある。

翔太を30分遅く保育園に連れていき、電車に乗って改めて今日のスケジュールを確認する。今日は顧客先での定例会議と、年に1回の部長との1on1面談、システム運用の実務をお願いしているパートナー会社との打合せの3本の会議だ。
予定通り、5分前に顧客の会社のあるビルに着いた。受付をして、青いストラップの入館証をもらい首から下げてエレベーターで7階に向かう。

この定例会議は気が重い。やることはシステムの運用報告にも関わらず向こうの担当課長の中村さんが、こちらに対してやたらと敵意を向けてくることがある。ヒートアップすると、特に何の不具合のないシステムへの文句まで言ってくるのが厄介だ。そうなると、なだめるのにエネルギーを使いどっと疲れる。お客さん側の部下たちも、暴走する中村さんには困っているようで憐みの目線を感じるし、ときどき打合せ後に同情の言葉をかけてくれるくらいだ。

今日もそんな感じだった。

会議が終わり、お客さんに見送られて乗ったエレベーターの中で「なんでこうなるんだよ」と思った。呟いたつもりもないのに、同席していたパートナー会社の柏木さんが「なんでこういうことになるんでしょうね」と話しかけてきて驚き、思わず身体が固まった。

「そんなに驚かなくてもいいじゃないですか~」
と、柏木さんが苦笑しながら、クスクスと笑う。
「いや、ごめん。いままさに同じことを思っていたから」
「やっぱりそうですよね~、顔に書いてありましたもん」

思わず、どういうことだ?!と頭が真っ白になった。

「猫でも分かるくらい、分かりやすかったですよ!じゃあ、失礼しますね」
と言って、客先常駐の柏木さんは3階でエレベーターを降りた。

猫…

ふいに昨日の動画の猫が思い出された。
猫!
そうだった。
拓海に言われた言葉も思い出される。

中村担当課長をなだめるのに疲れたのもあって、自社に向かう駅までの道をどんよりとした気分で歩く。カフェにでも寄って一息ついてから会社に帰りたいけれど、40分後には部長面談だから、むしろ急がないと遅刻をしてしまう。

うちの会社は、入社3年目までは「段飛び懇親会」という名前で人事が分けたグループ別に部長陣と若手の交流会があり、4年目以降の社員は「段飛び面談」という名前で年1回、部長との1:1の面談が設定されている。

その年1回の部長面談がよりによって、なんで今日なんだろう。

面談予定7分前に会社に着いた。荷物を置いて、トイレに行きそのまま会議室に向かう。部長とは普段は絡むことがないのでまったく緊張しないと言えば嘘になる。 しかも無機質な8人掛けの広さの会議室に、シンとした空気の中一人で部長を待っていると、その広さが逆に心理的な圧迫感を感じさせる。パソコンを持ってくればよかった。

数分して、会議室に入ってくるなり部長は「お待たせしたね。秋山くんが入ったプロジェクトは稼働から運用まで安定すると聞いてるよ」と分かりやすいねぎらいの言葉とともに、「今日はざっくばらんに、仕事からプライベートのことまで、思うことを自由に話してもらえたらと。秋山君はもう何度目かだから分かってると思うけど、社員の意見をいろんな立場の人間が聞いて、会社に反映させていきたいという趣旨でこの場が設定されているということで、今日はよろしくお願いします。」と、ここまで部長は一気にしゃべった。

俺も「よろしくお願いします」と頭を下げる。

「まあ、ざっくばらんにと言ったところで、部下の方からいきなり話し出すのは難しいという話もきくから、私から少し話すと、うちには高校生の娘がいるんだが、その娘が突然猫を拾ってきたんだよ」

また猫か!

「最初は引き取り手を探すはずだったんだけどね。1週間もたってしまうとすっかり情が湧いて、ついにわが家の一員にするのを決めたところなんだよ。そうはいっても、猫なんて飼ったことがないから、いまわが家はてんやわんやだよ。秋山君のうちは何か飼ってたりは?」

「うちはマンションなのとまだ子どもが小さいので」

「そうか。秋山君もお子さんはどれくらいになった?」

「いま2歳です」

「そりゃ大変な時期だ。奥さんを大事にしないとな」

うーん。奥さんはもともと大事だし、部長は理沙が主に子育てしてると思ってるんだろうなあ、と思う。時代の違いはあるしな、と思いながら、前に学生時代の友達と飲んだときに人事をやっている奴が、最近は上司と部下の間でプライベートの状況をシェアする組織づくりの流れがあると言っていたことを思い出す。けれど、部長からの微妙な返事を聞いていると、プライベートを話したい気は起こらない。

仕事上の困りごとも同じで、聞かれて真面目に答えたところでこの部長は何をしてくれるわけでもないことがここ数年の面談でよくわかった。だから、むしろ評価に変に影響しても嫌だし、いかに当たり障りなく、部長がそれなりに満足する答えをいうかというところに神経を使ってしまう。

この面談は何のためにあるんだろう。

部長が話し続けるのを耳半分で聞きながら、課長も同じ感じだから、部課長なんてそんなもんか~なんて考える。「秋山君のご両親は健在か?」なんて聞きながら、部長のご両親が介護ケア施設を探し出した話を延々とされても、申し訳ないけどあまり興味がない。

部長の話に頷きながら、以前、課長が多忙のときに代打で面談した部長代理の杉山さんのことが思い浮かんだ。

部長代理の杉山さんはとても誠実な印象だった。ずっとこちらの目を見て、とても優しい表情でうなづきながら、話すことの一言一句を受け止めてくれてる感じがした。その態度から、本当に『聴きたい』『理解したい』『必要な手を考えたい』という意思が伝わってきた。

その上で、質問に対しては会社としての方針とか、自分の立場でできることの限界を伝えてくれたこともあって、こういう人の下でいつも働けたら幸せだと思った。

「じゃあ、今後も期待してるし何かあったら相談してということで、いいかな」

だけどやっとこの時間の終わりを告げる言葉が聴けた。

「はい。ありがとうございました!」

笑顔を作って応えて、椅子から立ち上がり、部長が会議室から出ていくのを見送った。ドアがゆっくりと閉まっていき、最後に振動とともに小さくトンっと音がして、ドアが完全に閉まった。長い30分だった。

今日は疲れることばっかりだ。このまま一人でいたいところだけど、もう一つ打ち合わせが控えている。顧客定例会議についての社内報告も上げないといけない。「仕事とは、やるべきことをやるだけのことだ」と、頭を切り替えた。

18時15分に会社を出て、理沙に帰る連絡をした。

育休からの復帰以降はできるだけ定時であがるのを目標にしてきた。仕事がいまの担当になり、帰りやすくなってちょうどよかった。そう思う一方で、翔太が寝るまでの帰宅を死守することが、残業をせずに帰ってきてくれている、共働きをしている理沙への罪滅ぼしみたいに思う気持ちも心のどこかにある。

会社から駅までの道を急ぎ足で歩く。チラッと時計を見る。今から10分後の急行に乗れるかどうかで帰宅時間が20分変わる。駅に向かう会社帰りの人のザワザワとした空間の中で、反対方向から歩いてくる人をすり抜けるゲームみたいな感覚で進んでいく。

「ピッ」

改札にスマホをかざし、電光掲示板を見ると18:27の表示が目に入った。よし、大丈夫。ホームへのエスカレーターに乗り、カバンの外ポケットからイヤホンを取り出す。

列の短いところまで歩いてイヤホンを着けると「フォーン」という音とともに電車が入ってきた。

完璧なタイミングだ。

電車に乗り、スマホを手に取って、画面右上のAmazonプライムミュージックのアイコンを押したものの、今日はふとYouTubeにしようかと思った。

YouTubeのアイコンをタップし、起動を待ちながら何を聴こうかと考え1,2秒が過ぎる。
YouTubeが起動し、カードローンの広告が目に入る。そういえば昨日、結局猫は何を言ってたのだろうと思った。

履歴を出すのも面倒で、画面を下から上になぞり続けると、昨日と同じ、グラデーションのサムネイルのデザインが目に留まった。

タイトルは不満があるほど幸せになれる?!仕事や家庭の不満解消の極意を伝授というものだった。はあ、そうですか。と、普段だったらガンスルーしていたと思うのに、なぜか胸のあたりがチクッとした。つまらなかったらすぐに止めればいいやと思いサムネイルをタッチする。

再生が始まるなり、
「また会えて嬉しいにゃ!」
と、三毛猫がしゃべった。

いきなりここから始まるのか、とちょっとひく。
「昨日の動画は見てくれたかにゃ?」

いやいや、みんなが昨日もあなたの動画を見ているわけではないですよ、と心の中で突っ込むものの、自分自身が昨日も見ているというか再生しているのでなんとも言い難い。

そんな俺のつっこみなんて気にせず、そのまま猫は話し続ける。

「仕事も家庭も頑張るからこそ不満も出てくる。本当はもっと仕事も家庭も楽しくイキイキと頑張りたい。この動画では、不満の扱い方を学ぶことで、あなたがもっとイキイキと楽しいワーク&ライフを送れるようになる方法をお伝えします」

そういって猫は、キリッ!っとした表情を最後に見せた。
最後に”ニャ!”は、ないんかい!

突っ込みどころ満載の動画に半ば呆れながらも、”そういうもの”として見ればいいということが分かり始めてきた。

猫は話をつづけた。

「部課長は、なんでそんなに偉そうなんだ?そうかと思えば、新人は、無理なく仕事したいオーラ全開だ。まじめに仕事をするこっちの身にもなってくれよ。売上もあげて、一番動いてるのに評価が伴わないのは何故なんだ。縁の下の力持ちってほんと損。これじゃあヤル気がなくなるのも当然だ!」と俺が理沙に話するのを聞いていたかのようなセリフを言った。

「やる気がなくなるのが当然だ」、までは俺は言ってないけど、まあ似たようなことは言っている。そうそう!と、心が猫のセリフに同調し、急に元気が出てきた。

「もし、あなたに今猫が話したような不満があったら、『おー!猫、なかなか分かってる』と、少し心が軽くなったんじゃないかと思うニャ。もしそうだったらその感覚覚えておいてほしいのニャ。」

ど真ん中のことを言われてちょっと苦笑してしまった。
さらに猫は言葉を続ける。

「こういう不満は他にもたくさんあると思うんだニャ。」

ああ、あるさ!と心の中で反応する。

「そういう不満、全部猫にぶつけてみたらいいニャ!」

かわいらしさ全開で繰り出された予想外のセリフに驚きつつも、それでいいなら、と心の奥底にあった衝動的な思いが瞬間的に湧いてきた。でも次の瞬間には、そうはいってもこの通勤帰りの電車の中で、動画の中の猫に対してそんなことができるわけがない、むしろどうやってそんなことをすればいいのかという考えが頭の中を駆け巡った。

「だけど、猫はそんなに強く無いにゃ。サンドバッグにされたら死んじゃうニャ…」

なんと、自分から不満をぶつけろと言ったのに、猫は悲しそうな顔で、はかなげに言ってきた。

「じゃあ言うなよ!」

と心の中で激しく突っ込む。

「今から解説するからそんなにイライラしないで欲しいのニャ。」

再びノーマルな笑顔でたしなめるように話しかけてくる猫と完全にやりあっている自分がおかしく思えてくる。電車の中で、誰かに怪しまれてはいないかと、素知らぬ顔で周りを見渡した。

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