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【小説】誰かに知ってほしかった 13 -旅立ち(完)

「もう本当に嫌になっちゃうよ」

「そうだよね」

「いきなりこんな話で申し訳ないけど、闘病仲間が旅立ったという知らせも受けてね。聴くとすっごい落ちちゃうんだよね。悲しみやら、元夫への怒りやらで、もうぐちゃぐちゃ。発狂しそうになる。美咲さんが話聞いてくれるのが唯一の救いって感じよ」

「うん…」

「湊も恐怖と不安で吃音で始めたし、この年になっておもらしとかするし。やっぱあいつと会わせるわけにはいかないと思う」

「そうだね」

「ほんと、私いつもうまくいかないんだよね。何かやろうとするといつも邪魔が入る。」

「そうなの?」

「大学も、結婚も、今回も」

「大学もそうだったの?」

「もともと進路変更させられた上に、辞めさせられたからね。母に。」

私にはまったく知らない世界があった。毒親が話題になっていたりするからそのネット記事を読んだりしてひどい親の話を知識として知ってはいても、全然臨場感の違う世界がここにはあった。

親子の間には、どろどろなのに切れない鎖で底なし沼につながれている場合があるということ。それがこれまでの明子さんの様子を見てきて、私が理解したことだった。

結婚の時も抵抗したと言っていたので、大学の時も嫌だとは言ったのに強制的にそうさせられたのじゃないかと推しはかった。その瞬間、無念さとか、自分の無力さとか、未来への絶望感とか、世の中すべてへの諦めとか、私の胸はそういうものでいっぱいになった。

「大学のときもだったんだね。何かやろうとすると強制的に道をふさがれて。無力感とか絶望感とか、そういうものから抜け出したくて、たたかってたんだね。」

しばらくして明子さんが口を開いた。

「そうだね‥‥。いま初めて自分が何と戦っていたのかが分かった気がするよ。」
しばらく沈黙したあと、明子さんは
「ああ、ほんとにそうだね。」
そう言った明子さんは、真面目な顔をして子どもたちの方を向いて、その横顔は私には泣きそうな顔に見えた。

明子さんはずっと「自分として生きること」のために、もがき生きていたんだと思った。

そして、私自身も気づいていないのに私の中にずっとあった”違和感”のベールがはがれたような感覚が突然やってきて、私はしどろもどろになりながらこんなことを伝えた。

「明子さん自身が自分でわかるかわからないし、ちょっと良くわからないこと言うと思うんだけど、実は明子さんと初めて会った頃、なんていうか難しいんだけど、本当に薄い、ものすごく薄くて透明な壁っていうか、壁というより膜というか、本当にものすごく薄いなにかが明子さんにはある気がしてたんだよね。最初から感じてたとか言葉にできていたわけじゃなくて、今だからわかるという感じでもあるんだけど。だけど、引っ越してからかな。それがなくなったんだよね。前回会ったときにふと思って、それってやっと明子さん自身が表現でき始めたことなんじゃないかって。今思って言葉にできただけで、全然分からなかったらほんとごめん」

明子さんはいまいち分からない顔をしていたけれど、私はそれでも良かった。理解されることではなくて、伝えることが私にとっては大切なことだったのだと思う。

こういうことを言ってよいのかは分からなかったけど、言ったあとに私は肩の荷が下りた感じがした。

しばらく明子さんは無言だった。

その間に、あれは明子さんの「心を守る」ベールだったんじゃないか、というところまで私の中ではいきついた。だけど、私にはあいにくスピリチュアルな能力とかはないし、分けのわからないことを言っておいてなんだけど、さらに「あれは心守るベールだったんじゃないか」なんてことをいう勇気はくて、私も沈黙を共にした。

「そっかぁ。そういうのあったんだ私」

「初めからわかってたわけじゃないんだけど、この前ふと違う、と思って言葉にできるようになった感じで。良くわからないよね、ごめん」

「言われてみれば、引っ越してから前よりは現実感を感じられるようになった気はするんだよね。相変わらず恐怖もあるし、身体はボロボロなんだけどさ(笑)子どもたちが家の中で素直に笑うようになったのも同じかも」

「子どもたちも、明子さんも、全然安心のない家だったんだね」

「安心どころか恐怖の館だよ(笑)」

明子さんの身を切ったシュールな冗談がささって思わず笑ってしまった。

春斗くんと翼、そして勇樹くんが遊んでいる姿を見られることが本当に平和で尊く思える。

「元夫が家を手放さない理由も、やっと分かったんだよね。3年間の面会交流の禁止がとけたあと、安定した生活基盤を主張できるからじゃないかと。だから、その間はなにもしてこないとしても、そのあとを考えると逃げるしかないんだよね…」

「あれだけ子どもにひどいことをしておいても安定した基盤があれば、子どもを戻す判決とか出るの?!」

「少なくとも面会交流はさせろということになるみたい。家裁はどんな状況でも、面会交流はさせるのが方針らしいんだよ。だからうちも3年で区切ることしかできなかったんだ。面会交流をすれば勇樹を洗脳してぼくはあっちがいい、と言わせるのもできるよね。それは何としても阻止しないと。」

「ほんとだね」

「ほんとなんでうちらがこんなに逃げ回らないといけないんだとか思うけど、会わせるわけにはいかないと思うと逃げるしかないよね、やっぱり」

「うん。。また逃げると思うと頭にくるよね…。勇気を振り絞ってめちゃくちゃ行動して、やっと平和を手に入れたのに。子どもたちもやっと生活に慣れてきたところで、また追い詰めるとか、ふざけるなって思うよね。。」

自分で明子さんの心情を慮って言葉にしたものの、言葉にしたことによってより一層それがどれほどつらいことなのかと実感した。

「ほんと、ふざけるなだよ。どれだけうちらの人生を弄べば気が済むんだろう。」

いつからか明子さんは憤りも不満も素直な心境を出してくれるようになった。それを思うと、やっぱり心のバリアみたいなものが少しは溶けているんじゃないかなあという気がした。

「前の引っ越しの前に、タロット占いに行ったのよ。その時もっともっと幸せになりたいと思っていいって言われたけど、その前にもっと普通っていうか、居場所がバレる心配とか警察に通いつめるとか、そんな心配のない生活をしたいよ。」

「そうだよね。もっと幸せっていうより、穏やかで心配のない当たり前の生活をしたいよね…」

私たちはその言葉と共に、子どもたちと長くなった影をぼんやりと見ながら、ふたたび一緒に沈黙の時間を過ごした。

「そろそろ帰る感じかな」

口火を切ったのは私だった。

「そうだね。だいぶ夕方になってきたしね」

「スーパーで買い物でもしていく?それから家まで送るよ」

「そうだね。ありがとう」

私たちは子供たちに声をかけ、みんなでショッピングモールのスーパーに移動をした。総菜コーナーでは「夕方出来立て」のシールが張られた、見るからにサクサクのコロッケがワゴンに載ってちょうど売り場に出てきた。

目ざとく見つけた子どもたちが「サクサクコロッケの歌」を口ずさみながら周囲を歩き回る。子どもたちに注意の声をかけながらも私が”終わり”を感じているからか、一緒に楽しく過ごしている様子が微笑ましくて温かい目で見てしまった。

そのままわいわい楽しく車に乗り込んで、私たちは明子さんの家まで向かった。

買い物した品々と一緒に、事前にお譲りのリクエストをもらっていた翼のサイズアウトした服や使わずに終わってしまった幼稚園児向けの塗り絵の本などを入れた紙袋を抱えながら、私たちは灰色のコンクリートの固さを感じながら階段を上り、明子さんのマンションの玄関まで足を運んだ。

「中に湊がいるから入ってていいよ」
明子さんが促すと、挨拶をして春斗くんと勇樹くんはあっさりと自宅に入った。
翼はなぜか一人で階段を降りる遊びを始めて、私たちはふいに二人きりになった。

「住所教えてもらってもいい?スマホも解約して、今度こそ本当に誰にも引っ越し先を教えずに引っ越さないといけないけど…。美咲さんと連絡が取れなくなっちゃうのは寂しいから、いつか落ち着いたら手紙を出すよ。紙に住所書いてもらっていい?」

明子さんが決意をもって子どもたちと幸せに暮らすために旅立とうとしていることに直面して、私は動揺した。
なぜスマホではなく紙なのだろう。頭の片隅で疑問に思った気がするけど、動揺していた私にはそれを気にかける余裕はなかった。

半分パニックになりながらも、自分を必死に落ち着かせようとしながら私が直感的に思ったことは、この「いつか」がすぐに来るわけではないということだった。

「ありがとう。そう思ってくれてうれしい。うち、今賃貸で突然引っ越しちゃうかもだから、実家の住所でもいい?実家なら変わる予定ないから」

胸の奥からこみあげてくる熱いものを身体じゅうで感じながら、それを必死で抑えた。

深緑色の重そうな玄関の扉を顔をのぞかせられる程度に開けて、明子さんは中に向かって
「はるとー?湊でもいいんだけど、何か筆記用具と紙か何かもってきて」と中から聞こえてくるテレビの音に被せるようにして伝えた。

少しして春斗くんが顔を出し「なにー?」と明子さんに尋ね、明子さんは再び要件を伝えた。

春斗くんの持ってきてくれた、A4の用紙が1/4に切られてクリップで束ねられた裏紙に、私は、郵便番号からはじめて親の名字も、ついでに実家の電話番号も書いた。

「これで届くと思うから。ずっと待ってる。」

「話、ずっと聞いてくれてありがとうね。
 なんかね…
 誰かに知ってほしかったのよね。
 私が生きたというか、頑張ったっていう一部始終を。」

その言葉を聞いた瞬間、私の中にただ静かで何も遮るものがない静寂が訪れ、明子さんの「これまでの物語を誰かに知ってほしかった。一部始終を」という言葉が私の中を突き抜けた。

私の魂が明子さんの魂からその思い託されたんじゃないかと思えるくらい、言葉の裏にある明子さんの想いが私に一気に流れ込んできたような衝撃だった。

その言葉には、今まで聞かせてもらった明子さんの頑張りだけではなくて、明子さんがほとんど言葉にしなかった元のご主人との間で起こっていたことや闘病のこと。そして私と会うもっと前からの明子さんの”人生をかけた想い”も込められていたと思う。

その言葉は、とても深遠なものだった。

元気でね、また会いたいよ。幸せでいてね。心配だよ。

私自身の全然まとまらない思いもこみ上げて私は大泣きしたかったけれど、明子さんが意外に普通な顔をしているせいで、私だけが大泣きするのは場違いな気がして私も精一杯何気ない顔をした。

本当は、一緒にただ泣きたかった。

私は言葉にならない思いをそのまま自分に閉じ込めておくことができなくて、私は明子さんに近づき、勝手にハグをした。

明子さんの身体は、想像をはるかに超えた細さで、その華奢な身体は指を触れたら消えてしまいそうなシャボンの虹のような感じがした。

「元気でね」
「うん。手紙、出すね」

私は明子さんから離れ「ほんと、元気でね。」と名残惜しいけれど挨拶をした。

「うん。でも、スマホ解約までは普通に連絡するよ(笑)」

今生の別れみたいになっていた私にサクッと、明子さんからのつっこみが響く。私たちはいいコンビなのかもしれない。

「そうだったね。じゃあ、またね」と、私はコンクリートの階段をヒタヒタト1歩ずつ、振り返って手を振りながら下りた。
左手にポストを見ながら無機質なコンクリートの入り口を抜けると、目の前の道路につながる道の脇には雑草とともに1本のタンポポが健気ながらも生命力をもって咲いていた。

タンポポを見つめていた翼の手をとって私たちは車に向かい、自宅へと向かった。

21:21「今日は、というか金曜からどうもありがとう。明日、市役所に行ってくるよ。その対応次第で家探しもどうするか考えようかなと」

21:32「こちらこそ、会えて嬉しかったよ。そうだね。市役所に行ってみないとだね。」

21:33「明日からまた戦いだわ」
21:35「そうだね。今日も一日お疲れ様。話を聞くだけしかできないけど、応援してる。今日も疲れたと思うから、ゆっくり眠れますように」

21:37「うん。洗濯物干したら寝ます。重ね重ねだけどありがとう」

私はOKのスタンプを送り、私たちの一日を終えた。

「連日ごめんね。会社は部長まで話せて、転勤OKもらった!家族の身の安全を第一にと言ってもらえたよ。退職する方が身軽にはなるけど、無職だと家探しにも家協があるんじゃないかとも言われた。
それにやっぱり家にいてあれこれ考えるより、保育園に入れて働く方が鬱々としなくていいかもとも思った」

「夢の話になるけど、前に『見つかったから逃げなきゃ』で逃げた夢を見たことがあって、その夢では仕事に行かないといけないのに保育園に入れないからいけない!!って焦って目が覚めた」

「暗示か不安が見せた夢か分からないけど。夢で見たな~と思って、思い出しちゃった」

「今から市役所、行ってきます!」

今日のお昼ご飯は、駅から会社までの出勤で歩く道沿いにある、建物から窓枠まですべてが真っ白に塗られた大好きなパン屋さんで買った、お肉の旨味とコールスローのさわやかさが絶妙にマッチしたローストビーフサンドだった。
大好物を食べ終わり、午後もがんばるか~と、机上を片づけ始めたところで午前中の進捗が明子さんから送られてきた。

「いま昼休み終わり。仕事、良かった!!行ってらっしゃい!」

私は簡単に返事をして、10分後にくるパートさんとの面接に向けて頭を切り替えた。

その日も目まぐるしく仕事をして帰宅をし、お風呂やご飯を翼にも協力してもらいながら終わらせて、翼と夜のトランプタイムを始めた。少し前まではカードの選び方を手加減をしないといけなかったのに、7ならべではもう私が負けることもある。

私は翼から許しをもらって5ゲームが終えたところでトランプから解放された。今日も良くトランプを頑張りました、と自分を心の中でねぎらいながらスマホを手に取ると、再び明子さんからのメッセージが来ていた。

「市役所、まるでヤル気なし」
「現場で危機感を持っている先生たちと、もう雲泥の差!」
「今の家に住んだまま、越境通学をしたら?って」
「はぁ?!よ」
「やっぱ、一人でどうにかするしかない」
「2時から3時間話して結論それって…」
「違った、18時までだから4時間だ」
「部長からは、水川市を猛烈に勧められた」
「紹介しやすいらしい」

明子さんにしては珍しく、思うままに書かれた印象の短文が連投されていた。最後のメッセージが来たのが1分前だったのでちょうどリアルな会話に参加できるかもと思いながら返事をした。

「市役所、全然だったんだね。4時間でそれって…お疲れ様。。」

「あんなに話にならないとは。ますます出ないといけないと思った」
「行き先は会社とも相談するのがいいかもと思い始めたところ」

「そうだね。仕事だけでも決まっている方がいいかもだね」

その日の会話はそれで終えた。

それから数日、歯を磨いているときや通勤電車に揺られている時、お昼ご飯を食べ終わって片付けをしているときなんかに、明子さんはどうしたかなと頭に浮かぶことが何度もあった。

だけど彼女ができることは必死でやっていることは分かっていたし、気にはかかるけど私にできることは差し出された手を握ることくらいしかできないような感覚もあって、私にできることは、もどかしさを感じながらも私の日常を送るだけだった。

そうして迎えた週末の夜、何も連絡しないというのも、相手からすると何も気にかけていないように感じるような気もして、メッセージを送ることに決めた。

「その後、どう?やることたくさんあると思うけど…つぶされてない?」

「どこに引っ越したらいいかがわからなくなってる」
「家賃で秋間市いい!と思っても近すぎるかもとか…」

「どこなら元旦那さんから見つからないのか、正解が分からないもんね…」

「そう。すぐ恐怖が出てくる」
「子どもたちも不安定で、私もいっぱいいっぱいで寝れてないしご飯は悲惨だし、もういっそ居座ってやろうかとも思えてきた」
「疲れすぎて頭おかしくなってる」

なんて返そう…と思っているうちに翼に呼ばれて一緒にゲームをすることになり、結局返信をしないまま時間が過ぎた。

翌週は翼が熱を出して朝一で病院に連れて行ったり、翌日からも朝一で病児保育の予約を取って会社も遅刻・早退して送り迎えをしたりというイレギュラーな日々を送ったこともあり、あっという間に日が過ぎた。

やっとわが家が通常営業に戻ってきた金曜日の夜、気づけば明子さんからの連絡が来ていた。

「独り言聞いて
 なんでまた逃げなきゃいけないんだ、と変な迷路にいたんだけど、駅で『カッとしても暴力はダメ』という暴力抑止のポスターを見て今更気づいた。うちらって外でされたら誰かが通報してくれるようなことされてたんだ、と。
家族だからどうにかしなきゃと頑張ってたこと自体が間違ってたんだなあと思った」

「しかも、美咲さんがすぐ来てくれるということは、元夫も目的地設定しちゃえばすぐ来れるっていうことだということもハッキリ認識した」
「職場で幸せなパートさんたちの話をきいてても、うちっておかしかったんだなーってつくづく思うんよね」

「実は、子どもたちを父親から引きはがしたみたいなことに少し罪悪感もあったり、もう少しどうにかできたかもとか考えたりもしたんだけど、どうにもならなくなったからこうなったっていう結果を自覚しなきゃな、と」

「長々とごめんね。なんとなく、変な迷路は抜けた宣言!」

メッセージを見て、明子さんや子どもたちがポスター通りのことをされていたことを思ったら、想像しただけで心の中がざわざわして私までそわそわしだした。だけどそれはもう過去のことだし、と自分を落ち着ける。

暴力のことは最初の頃にも聞いていたはずなのに、私はただのメッセージ一つでこんなに揺れ動いてしまう。

自分が影響されやすいのか、このメッセージに心と身体の反応が起こらない方が平和ボケなのか、もう何が普通で何が普通じゃないのか、私自身も分からなくなってくる。

私自身がそんなだから明子さんが何を思っていたのかなんてさっぱり分からないけれど、家を出てからも葛藤があったことや、家族をどうにかしたかったんだなぁ、家族を守りたかったんだなぁということを私も受け止めた。

「家族のために、一生懸命だったんだね。子どもたちには、私はむしろ必要なことをしたと思うよ。家の中で笑顔が増えたって言ってたことがすべてじゃないかなと思う。これから先でまた迷うことがあっても、前がよかったとは思えないから、勇気をもって進んで欲しいよ」

明子さんはもう『変な迷路は抜けた』といっているのに、言いたいことを言ってしまった。

明子さんも言いたいことを言うし、私も言いたいことを言う。

誰と誰がどうつながるのか分からないので夫にも詳しいことは言わないけれど、夫からは「なんでそんなに親身になって助けるのか」というようなことを言われたことがあった。

たしかに傍から見ると、助ける側と助けられる側に見えてもおかしくないのかもしれない。

でも少なくとも私にとっては、彼女の在り方や生き様から教えてもらうことは多いし、こんな状況であろうとなかろうとお互いに思いやりをもってかかわりあう対等な関係だと思っているからか、あまり「助ける・助けられる」関係という表現はしっくりこない感じがしている。

まあ、普通のママ友関係よりはだいぶん突っ込んだ関係だという自覚はあるけれど。

ここに引っ越してきた当初、ママ友はつくらないと決めていたはずの私がこんな関係を築くようになるのだから、物事は予想通りにはいかないし、人は出会いや出来事によって変化するということを認めざるを得ないな、なんてことも思う。

再び明子さんから連絡があったのは次の木曜日の夜だった。
「家決めた!引っ越し日決めた!もう後に引けない!予定を決めて自分を追い込んでる!」

明子さんの気迫が伝わってきた。

「ついに決めたんだ!」
私は返信した。

「今日、父としっかり話して、父にも正確な住所は言わずに、母への口裏合わせも綿密に打ち合わせた」

正確な住所を伝えなくてもお父さんに話したことに対して、私は大丈夫なのかと不安になった。だけど、身体のことを考えるとそれは必要なことなのだろうと思った。

「子どもたちはどう?」

「勇樹も、段ボールの搬入でお引越し?と聞いてきたから引っ越しの事実だけ伝えた。また新しい保育園?と目を真ん丸にして聞かれたのには参った‥」
「上二人はすっごい協力的で助かってるけど、不安の裏返しって感じに見える」

やっと新しい環境に慣れ、友達も出来たであろうお兄ちゃん二人の心境を思うと、さすがに居たたまれなくなる。
「お兄ちゃんふたり、頼もしい半面、不安もあるよね。。子ども心にも前に進もうとしているのかな。。」

「私はみんなが安心して大人になっていけるように、環境をできるだけ整えてあげるしかできない、と思う今日この頃」

「ほんと、親の出来ることってそれだけかもしれないね」

「そうそう。孟母三遷の教え、よ!」

明子さんのいうことに同意しておきながら、明子さんの達観ぶりにまた一段と遠い世界の人になってしまう気がした。

「この期に及んでだけど、私に手伝えることがあれば言ってね」

必要がないだろうことはわかっていながら、気持ちだけでも伝えたくてそう伝えた。

「美咲さんは、こうやって話を聞いてくれるだけで私は十分救われてるよ」
「気持ちだけ、ありがとう!」
「ひとまず、引っ越しまで無事に日常が過ぎてほしい」
「毎日、緊急通報できるように電話を肌身離さず持つ生活から早く卒業したい!」

「気が張り続けてるね」

「毎日綱渡りだよ」

「引っ越したらこの電話も解約できる。新連絡先は、落ち着き次第前に教えてもらったご実家に送るね!」

「連絡先は、待ってるよ。実家には届いたら連絡くれるように伝えておくわ!」

明子さんからは「オッケー!」のスタンプが来た。
私も「了解!」のスタンプを返して、会話を終えた。

それから1週間が経ち、週末の夜にメッセージを送った。

最初に、もふもふな犬の「こんばんは」スタンプ。

1分経って既読がつかなかないのを確認して
「引っ越したのかなぁ
 なんて思いながら毎日過ごしてるよ」

翌日になっても、その翌日になっても既読にはならなかった。

あれから3年の月日がたつ。

明子さんは、どんな風に過ごしているだろうか。
春斗くんは、湊くんは、勇樹くんは、どんな風に成長しただろう。


生きとし生けるものが、幸せでありますように。


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1組でも多くの幸せ夫婦を増やすために大切に使わせていただきます。ありがとうございます。