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パパのオレ、オレになる?! 第6話

第6話 灯台

目を覚ますと、理沙はいつものようにもう出社していた。スマホのアラームを止めるついでにポップアップ表示を見ると、「昨日はごめん、言い過ぎた。ゆっくり話そう」と理沙からメッセージが来ていた。そのメッセージを見て、少しだけ胸の重さが和らいだ気がした。

「俺こそごめん。会社に行って話してくる」と頭の重さを感じながらメッセージを打ちこんだ。一瞬、何を話すんだ?と思ったが、転勤の選択肢は俺にはない、と腹を決めて、そのまま送信した。

今月も月始めの月曜の朝1は顧客先での定例会議だ。いつもよりゆっくり出社できることがありがたかった。先月と同じく、今日も中村担当課長の虫の居所は悪かった。だけど今日の俺はそれに付き合う元気はなく、適当に受け流していたら向こうもなんだかやりにくそうだった。

打合せが終わっていつものように柏木さんとエレベーターに乗ると、柏木さんは待ってましたとばかりに、「今日の秋山さん、いつもと違いましたね。クールな大人の対応って感じでした!」と伝えてきた。

「でも、あんな感じでけんもほろろにされたら、個人的にはちょっと悲しいですけど」とも言葉を続けた。なんと返していいのかと思っているうちに、チンッと小さく音が鳴り、エレベーターのドアが開いた。「お疲れさまでした!」と俺に会釈をして柏木さんは降りて行った。後姿を見ながら、どうしたら彼女みたいに思ったことを素直に言えるのだろう、と思った。

どうしてもそのまま会社に向かう気になれずに、早めのランチでも食べていくか、と思い、駅の手前にあるファミレスに入った。食欲は湧かないけど、この状況を乗り切るエネルギーが欲しかった。悩んだ末、ジューシーハンバーグ&野菜炒め定食を頼んだ。「ご注文を承りました!」とディスプレイに表示されたのを確認して、はぁ、とまた心の中でため息をついた。

ポケットからスマホを取り出し、そういえば、朝誰かから何か来ていたなと思い出して、Lineを起動した。

すると、一番上にあのYouTubeの猫のアイコンが目に飛び込んできた。なんでLineが繋がってるんだっけ、と首をかしげると、いつかYoutubeを見て最後に案内があってLine登録で何か特典があるとかで登録だけしたのを思い出した。でも、そのままにしてすっかり忘れていた。だから通知オフにもしてなかったんだ。少しずつ思い出してきた

それで今朝、翔太を保育園に送る前に、メッセージが何か来てたけど、ポップアップをそのままシュッとスワイプしたんだった。そうだ。やっと繋がった。

改めてメッセージに目を落とす。

★キャリアの転機は突然やってくる★
秋山さん、おはようございます。毎月第1月曜日のご挨拶です。

トーク一覧で表示された冒頭の文字が目に入り、「キャリアの転機」という言葉が気になってそのままクリックをした。

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★キャリアの転機は突然やってくる★
秋山さん、おはようございます。毎月第1月曜日の朝のご挨拶です。

突然ですが、小さな頃に自転車の練習をしていたとき、父や母に後ろを支えてもらいながら、恐る恐るペダルを踏んでいました。バランスを取るのに必死でしたが、気がついた時には誰の助けも借りずに自走できるようになっていた。風を感じ、心が解き放たれたあの瞬間。その喜びを思い出せるでしょうか。

大人になった私たちも、同じです。突然の辞令や退職、健康上の理由によるキャリアの転換、配偶者と自分のキャリアの尊重と子育ての両立の難しさに直面するなど、キャリアの転機を迎えることがあります。

あなたにキャリアの転機が訪れ、どうしたらいいのか分からなくなってしまったとき。この決断でいいのかと迷うとき。その時、自転車の後ろを支えるように、そっと後ろを支えてくれる存在が必要な時は、ぜひ思い出してください。あなたが今まで以上に自信を持って進んでいけるように専門家としてサポートをします。

もし今、何か悩みや不安があるなら、一度お話しませんか?
今月は、初めての方【5名様】限定ご相談キャンペーン中です。

お申込みは以下のリンクから↓
https://…

それでは、今月があなたにとって素敵な一か月になりますように!

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

仕事も家庭も大事にしたい、パパのためのキャリアコンサルタント
板橋奈緒

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長いのに、一気読みをしてしまった。

両腕をテーブルで支えて読んでいたスマホをひっくり返して机におき、前のめりだった身体を椅の後ろのソファーにもたれかけさせた。

ぼーっと考える。突然の辞令、まさに俺だ。でも、転勤は辞退することに決めた。決めたら進むだけだ。だけど、もしかすると専門家なら、別の選択肢を示せたりするのだろうか。

心のどこかに、このままでいいのか?という疑問が生まれ、身体をさらにソファーにもたれかけさせ、テーブルの下に足を延ばして目を閉じて手を腿の上に重ねた。

話を聞いてみたい。

なんとなく、そう思った。

とりあえず値段だけ見ようと、メッセージの中にあったリンクをクリックした。すると、見たことのある、薄い緑と青のグラデーションを感じるサイトに飛び、「仕事も家庭も大事にしたい、パパのためのキャリア相談」というタイトルが目に飛び込んできた。

漠然と話を聞いてみたいと思っただけで、相談するという発想はあまりなかった。だけど本当は今俺がしたいことは相談だ、と腑に落ちた。

サイトでは、突然訪れたキャリアの転機だけではなく、転職の相談、キャリアアップについてや、妻の転勤についての悩み、親の介護に伴う働き方の相談なども受けていると書いてあった。

場所はオンラインかカウンセリングルームのどちらかで、値段を見ると、2回目以降は60分で8,800円だったけど、新規は80分で11,000円。1万円を超えている。なかなかの金額だ。今月は5人だけ相談時間を10分延長しているとのこと。なんだ、安くなるわけじゃないのか…。

サイトを閉じようかと思ったけど、他に選択肢があるんじゃないか、相談したらなにか見えてくるんじゃないかという一抹の望みを捨てきれずに、一応「空き状況はこちら↓」のボタンを押した。

すると、空いている枠は、今日の20時と木曜の18時、土曜の13時、16時だった。今日の20時…。今日中に課長に返事をしないといけないわけではないから、今日の予約をとれば相談してから伝えられる。

どうしよう。金額は飲みに行くより高い。だけど、もしほかの選択肢があるとしたら…。

ページの最後に、カウンセリングルームの場所のご案内という見出しの下に最寄り駅が書いてあった。なんと、うちの3駅隣だった。ここに20時なら、問題なく間に合う。オンラインでもいいけど、翔太に邪魔をされたり、できれば理沙にも聞かれない方が安心して話せる気がした。

ほとんど申し込む気になって、夜だしとりあえずお伺いを立ててからにしようと、「キャリア相談。今日20時、いってきていい?課長に言う前に」と理沙にLineした。

ふう、と一息ついたところで軽やかな音楽とともにロボットが近づいてきて、テーブルの横にとまった。鉄板のプレートと大盛ライスをそれぞれテーブルに移し、完了ボタンを押すと、ロボットは再び軽快な音楽を流しながら去っていった。

食べ終わっても理沙からの返事はない。だんだん、もし今日の予約が埋まってしまったら…と思いはじめ、店を出る前に予約をしてしまうことにした。

「カウンセリングルームでの実施」を選択し、まず、チェックボックスで10項目ほどの注意事項への了承をした。その中に、カウンセリングルームには猫がいる場合がある、と書いてあり猫アレルギーを持つ人はオンラインでのカウンセリングを推奨する旨も添えられていた。別に猫が好きなわけでもないけれど、動画のあの猫がいるのかと思ったら少しソワソワした。

次の画面で氏名とメールアドレス、携帯番号を入力して、ご相談内容を簡単に、という欄には「突然の転勤の打診について」と書いて、クレジットカードの番号を入力した。2,3秒の待ち時間の後、「ありがとうございます。お申込みが完了しました。」と表示された。

新着メールの通知が来たのは、申し込み完了通知だろう。理沙に「今日のことだから申し込んだ。もしダメだったら教えて」とLineし、伝票をもって会計をしようと席を立った。

食事をとったからか、相談ができることになったからかは分からないが、店に入った時と、店を出た後では身体も気分も全然重さが違った。俺は、普通のサラリーマンの顔をして会社に向かった。

会社につき、金曜夕方から放置していたメール対応に集中しているうちにいつの間にか時間がたった。ちょうど顧客から来た、システムの不具合の問い合わせを柏木さんに対応をお願いしようと電話をかけようとしていたときに、課長が席にやってきた。

「いまちょっとミーティングいい?」青いパーティションと背の高い緑の観葉植物で区切られた、ミーティングスペースを小さく指さして課長が俺に聞く。

「急ぎはないんで、大丈夫です」と答えて、ノートパソコンを閉じて席を立ち、パソコンを手に取って課長の後ろを歩いてミーティングスペースに移動をした。丸テーブルを囲うように置いてある4つの椅子の向かい同士に座った。

「急にすまないね、この間の話の返事はまだゆっくり、焦らないで考えてくれていいから。ただそれとは別件で、急な話で申し訳ないんだが、いま秋山君が担当しているシステム運用のメンバーに鈴本君を加えるということになってね。鈴本君は知ってたよね?」

「たしか、2年目か3年目でしたよね?」

「良く知ってるね。3年目で、以前は顧客管理系のシステム開発を担当してくれてたけど、心臓に病気が見つかってしばらく療養して今週から復帰でね。復帰後すぐに、稼働目前のあのプロジェクトへの復帰は難しいということで。そこで社内の体制的にも、運用の分かるメンバーを育てておきたいということがあって、秋山君の下につけて育ててもらいたいんだ。もちろん、秋山君が異動するかどうかとは別で、社内の人員育成が目的だと承知してもらいたい。」

俺は静かに聞くだけだ。

「先ほど本人とも面談して、鈴本君からも了承をもらったから、しばらくは秋山君の補佐という感じになると思うけど、いろいろと教えてやってほしい。もしよければ、これから顔合わせをしたいと思うけど、何か質問はあるか?」

「いえ、特には。」

「そうだな、彼は今日久しぶりに出社して、話を聞くまではどんな感じかわからなかったけど、かなり元気そうだ。モチベーションも高そうだから様子を見ながらだけど、すぐに秋山君の右腕になってくれるんじゃないかと思うよ。まあ、その辺は今後細かく打合せをさせてもらいたい。」

「じゃあ、ちょっと待っててくれるか。鈴本君に声をかけてくる。」
「大丈夫です。お願いします。」

課長が席を立ちひとりになって、すごく大きなことが起こっているような気もするのに、睡眠不足だからか、急転直下だからかわからないけれど、特に何も思わないし、なんの考えも浮かんでこない。

2,3分待つと、鈴本君が課長に連れられて、ミーティングスペースの入り口になっている観葉植物の間から入ってきた。

課長に「こちら、鈴本君。こちら、主任の秋山君。」と紹介され、お互いに「よろしくお願いします」と挨拶をした。課長に促されて俺たち二人が座ると、課長は、「じゃあ、あとは秋山君に聞いて、徐々に慣れてくれればいいから。」と鈴本君に言い、次に俺の方を向いて「秋山君、よろしく頼むね」と伝えてそのまま立ち去った。

鈴本君はそれからも自分から再び挨拶をしたり、これまでの仕事の経験や得意不得意も、差しさわりがなければ…と聞いた身体の状態のことも、どれも過不足なく丁寧に伝えてくれた。コミュニケーション力も、理解力も申し分のなさそうな後輩だった。

それから、鈴本君に今の運用システムの話をした切りの良いところで、定時10分前になり、明日以降にまた話をすることにした。

自席に戻り、全然見れていなかったスマホを見ると、理沙から「了解、スッキリするといいね」と返事が来ていた。

また誰かにつかまっても嫌なので、そのまま日報を簡単に入力して会社を出た。1時間以上時間があるから、カウンセリングルームのある駅前のスタバにでも行くか、と思いながら駅に向かって歩きだした。

各駅停車に乗り、いつもより3つ手前の駅で会社帰りの人の波に乗って降りると、知っているのに見慣れない景色でなんだか新鮮だった。大きな公園があるので翔太を連れて昼間は来ることがあるけれど、平日のこの時間に降り立ったことは記憶にない。

駅前のスタバでドリップコーヒーとスコーンを頼み、赤いランプの下で受け取ってから店内を見ると、一人がけのソファー席がちょうど空いた。ラッキー、と思いながら、深く沈み込むクッションに身体を預けた。

カウンセリングの予約はしたものの、いったい何を相談すればいいんだ?と思った。だけど、相手はプロだしなんとかなるだろうと思い、スマホでゲームを始めるとあっという間に予約時間の10分前になってしまった。

慌てて片付け、店を後にした。だいたいの場所は分かっているので、急ぎ足で歩く。次のコンビニの角を右に曲がり、2個目の小さな十字路を左。到着すると、そこには5階建ての細いビルがあった。ビル名がインプットしていた記憶通りの名前であることを確認して、入り口のインターホンで203と押した。「はい」という声に、「20時予約の秋山です」と答えると「お待ちしていました。開けますね」という声が聞こえ、グレーの枠に、正方形のすりガラスが中央に縦一列に並んでいるオートロックの扉が開いた。

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