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朔太郎からの日帰り京都【2】

↑からの続き。


・幽霊子育て飴

六波羅蜜寺を出てすぐの辻に「幽霊子育飴」という物々しい看板を発見。

なかなかインパクトがある。それに誘い込まれるように店内に。オカルト好きの血がそうさせる。

ここみなとや幽霊子育飴本舗』は、墓で子を産み落とした母親が幽霊となって通ったという伝説の飴屋さんらしい。幽霊が子育てをするために飴を買いにきたという。いまググってみたら、会社名にその伝説がそのまんま突っ込まれているんでちょっと笑った。

さて、その伝説とはどんなものかというと、


青白く暗い顔をした女が、毎晩のように飴を買いにやってくる。陰気な客だと思っていたが、あるとき店の人間がおかしなことに気がつく。店を閉めた後で売り上げを数えていると、そのなかに葉っぱが混じっている。計算も合わない。客の誰かが葉っぱで代金を支払っているということになる。キツネやモノノ怪の仕業だろうか。まず怪しいのは、あの陰気な女だ。そして次の日の夜、その女はやって来た。帰る女の跡を店の人間がこっそりつけた。女は近所の寺の敷地に入っていく。墓場だ。そして女はある墓の前ですっと姿を消した。驚いて駆け寄ると、赤ん坊の泣き声が聞こえる。寺の坊主を呼んで一緒に掘り起こすと、その墓のなかには元気な男の赤ちゃん。女は、墓のなかで子を産んで死んだ母親だったのだ。いまから考えれば、初めのうちは六文銭(三途の川の渡し賃)で飴の代金を支払い、それ以降はやむを得ず葉っぱを金に変えていたのだろう。我が子を想う母の気持ちは死後に幽霊となっても変わらない。それ以来、母の幽霊は現れなかった。そして寺に引き取られた男の子は立派に成長、やがて高名な僧侶となって名を残したという。


「だから、この飴は出世飴ともいわれてるんですわ」

店のおばさんが、丁寧に講釈してくれた。幽霊が飴を買いに来たのは5代目のとき。現在の彼女で20代目になるそうだ。語り口が洗練されている。この話は落語にもなっているくらい有名で、そう言えば私もどこかで聞き覚えがあった。そんなエピソードがそのまま実話として残っていて、その飴屋は現在もその場所で営業している。すごい事だ。しかも思いっきりその幽霊飴伝説を売りにして商売してる。これぞまさに京都という感じ。

一袋500円。ぎっしり詰まった伝説の飴は、麦芽の素朴な味で飽きがこない。当時は凝固させずに水飴として売られていたそうだ。栄養もあるだろうし、たしかにお乳の代わりにもなるのかな。お乳を最近飲んでいないので分かりません。

そしてなんと、この飴にまつわるエピソードはゲゲゲの鬼太郎の誕生エピソードのもとになったのだという。思い出してみれば、たしかに鬼太郎も墓の中で産み落とされた子供だった。墓場鬼太郎だもんね、フルネーム。水木しげるもこの飴が大好きで、訪れるたびに50袋ずつまとめ買いしていったという。

水木大先生から愛され、また彼に多大なるインスピレーションを与えたこちらの幽霊飴、大変にオススメです!  

と頼まれてもいないのに宣伝してみる。店も人も、なんとなく感じがよかったから。


・建仁寺の摩利支天堂

そのまま歩いて建仁寺の敷地に辿り着く。

その一角にある摩利支天堂。ここは亥年の守り本尊を祀っている。イノシシは私の干支だ。

今回の京都行きのメイン目的地は、実はここだった。
ひどい状態の私をおもんぱかったハナコが「摩利支天を拝んだら良かろう」と占い師のように託宣、この場所が設定された。

そしてわずか数時間後、実際にその場に立っているという。現代文明すげえや。

さて、摩利支天の加護は受けられただろうか。陶器のイノシシのなかに入っていたおみくじは末吉。しかし末吉にしては良いことが書いてあった。これは実現するに違いあるまい。

それが実現する……まず、そう強く思いなさい。そうすればそうなるのだから。スピリチュアナイズされたハナコが言ってくる。それもそうだと私は納得した。近頃は良くないスパイラルに入っていた。これを潮にして抜けだそう。……それから、さっき芳名帳を書いているのを見て改めて思ったけどあなたの字はとても汚い。まず一筆ずつ、ちゃんと丁寧にゆっくり書きなさい。書いているうちに、すぐに次の文字のことや関係ないことを考えて結果的にぐちゃぐちゃになってる。いま目の前にあること、やっていることに集中しなさい。これは、あなたのすべてに言えることです。まさにADHDの特徴。いいですね、まずは……

ちょっと辛くなってきたので、つまりそれを図星のように感じていたたまれず、私はハナコ託宣アプリの通知をオフにした。


・高山彦九郎の銅像

建仁寺を後にする。祇園を抜けて、さらに歩く。

三条大橋のところで、高山彦九郎の銅像。御所に向かって気合いの入った土下座をしている。「土下座じゃなくて遙拝ね、遙拝(ようはい)」とハナコが説明する。そういえば、お正月のNHK時代劇『風雲児たち』にも一瞬出てきた。高嶋政伸で。あれ説明もあんまりなかったし、原作も高山彦九郎も知らない人にとっては「なんだこいつ」という感じだっただろう。でもそこが面白くもあった。三谷幸喜の原作愛かな。


・東海道中膝栗毛の銅像

三条大橋を渡ったところに、東海道中膝栗毛のヤジさんキタさんの銅像。どっちがどっちだかはよく分からない。適当にフィルターをかけて、真夜中風にしようと試みた。けどあまり成功はしなかった。


・新京極の天下一品

新京極に到着。新京極といえば、中学の修学旅行で同じクラスの石井君が自由行動でここを訪れ、絶対に使わないだろうメリケンサックを無理矢理買わされたことで知られている。石井君は夏休みの間だけ茶髪にして新学期になると黒染めして吸えもしない煙草を「ヤニ」と呼称していたことでも有名だ。私のなかでは。わりといい奴だったような気がする。それをハナコに話すが反応は特になかった。

新京極にある天下一品でラーメンランチ。

そして屋台味を注文。これは、たしか京都限定だっけか? 壁に貼られた創業時のエピソードと一緒に独特のスープを飲み干す。いや、かなり濃かったから少し残した。でも満足。


・三条イノダコーヒ

それから三条のイノダコーヒ(のばさないらしい)でホットコーヒー。

高田渡の唄にあるように、不思議にうまい。

三条店の雰囲気がまた独特ですばらしい。円型のカウンターに、喫茶店の人というよりはコックさんのようなスタイルの従業員。それがまた不思議に落ち着いた。ちなみにオリジナルブレンドは「アラビアの真珠」という名前。それもなんだか不思議だ。ドリップタイプのものをお土産として購入した。

イノダコーヒ、とにかく不思議な感じ。近所にあるといいね。都内では東京駅の大丸に入ってるらしい。


・しゃべるATM

イノダコーヒを出て、近くのコンビニで現金を下ろした。財布に一銭もなくなっていた。これではお賽銭ができない。

なにも考えず、とりあえず切りのいい金額をATMから出金する。そこで一部両替ボタンを押し損ねて、結局は万札しか手元にないという状態になる。これは不便だ。お賽銭もできない。それにしても今回、私はやたらと賽銭をはずんでいる。心が弱っているからだろう。

しかしこれではお賽銭ができない。小銭がない。ハナコの電子マネーからお賽銭を投げても、それでは私に功徳が積まれないのではないか。そもそもお賽銭箱にスマホを押し当てる電子的なところがない。ああ、どちらにしろ功徳が積めない。せっかく京都まで来たというのに。また失敗した。なにをやっているんだ。京都まで来たんだぞ。お賽銭ができない。

にょきにょきと、病的な竹が地面から生えてきそうになる。迂闊な自分を瞬間的に罵って、たちまち朔太郎モードに入りそうになる。これはいかん。足早にその場を立ち去ろうとした私の耳に、声が聞こえた。

「おいでやすう」

ATMがしゃべった。電子音の京都弁で。驚いた。我が耳を疑った。いよいよ幻聴か。声が聞こえ出したら、もう危ない。どうしよう。「落ち着きなよ」とハナコ。狼狽しながらも、その場で検索をかける。

なんでも日本各地のファミマATMは方言で挨拶してくれるらしい。

なーんだ。そんなの知らなかった。とりあえず幻聴ではなくてホッとした。

「幻聴なんてそうそう聞こえないよ。考えすぎ」ハナコの声がそう言った。


・鴨川沿いを歩いて、出町柳へ

それから鴨川沿いを歩く。かなり延々と歩き続ける。鴨川の河原広い。

けっこうな距離を歩いて出町柳に到着。ここから叡山電鉄に乗って終点の鞍馬山まで行く。

また長くなってしまったので、もう一回続きます。

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