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転職エージェントとの遭遇

いまの仕事がつらくなって、職を探している。就職サイトに登録するとかハローワークに通うとか、面接を受けて志望動機を語るとか。そういう社会に生きる人のほとんどが経てきたであろう通過儀礼をスルーして生きてきた。その代わり、といってはなんだけど珍しい病気になって若いうちに死にかけたり、酔って騒ぎを起こして人を殺して刑務所に入ったりパラレルワールドに迷い込んでとか、そういうような通過儀礼は勝手に経験して、なんとなくそれで生きてきた。人には人の乳酸菌と通過儀礼がある。だからいまさら似合うわけもないスーツを着て御社とか貴社とか、けっこう本気でつらい。そういうわけで巣鴨のルノワールでブレンド頼んでフリーWiFiが使える2時間くらい、たっぷりと長居する。そこでこうしてnoteを書いたり、ノワール小説を読んだり、たまに転職サイトをのぞいてすぐ嫌になったりしている。

そんなタイミングで転職エージェントに遭遇した。気がついたら、彼は目の前に座っていた。そして真っ直ぐに私を見て言った。

「御自身を企業様に売り込む際のポイントは、どこであるとお考えですか」

そんなものあるわけがない。だが無理矢理にでもそれを探すのがお前の役割だろうと居直った態度を示すように私は無言で彼を見つめ返す。
エージェントはサイドを少し刈り上げたヘアスタイル、ぴしっと櫛を入れて整髪料できっちり固めている。眉根をくいと寄せ、それに伴って整えられた眉毛が動いた。そして真っ直ぐにこちらを見る。その目力には自信があふれている。その仕草や振る舞いから彼の社会的態度、ペルソナの様相がうかがい知れた。ずいぶんと芝居がかった男だなと思った。私と彼は同年代らしかったが、かなり違ったタイプの人間に仕上がっているようだ。

「不躾ではありますが、経歴書を拝見したところ、かなり空白部分がありますが、こちらはどういった……?」

エージェントは手元のノートPCと私の顔を交互に見て、そう言った。そこに私の履歴データがあるらしい。私はなにも応えない。

「……ええ。転職希望の方、また中途採用の企業様、皆様それぞれ状況や条件は様々です」

それから彼は一方的に話を展開した。流れるように言葉を発する彼の口元。普段からしゃべり慣れている文言なのだろう。自分たちエージェントの存在意義、仕事内容、得意先企業との信頼関係、その他諸々。その声の調子には表面上の親切さを装ったマニュアル的な機械性が感じとれた。私はずっと黙っていた。彼の言葉はただその場を流れていく。

「ですから、私どもエージェントといたしましては理想的なマッチングを実現させるべく」

目の前でしゃべる彼の顔に、見覚えがあるような気がしてくる。どこかで会ったことがあるのだろうか。しばらく考えて、すぐに思い当たった。
この転職エージェントは、俳優の伊勢谷友介によく似ているのだ。見た目だけでなく話をするときの所作、それから表情の作り方にも伊勢谷友介ぽさが強く出ている。自分でも意識しているのかもしれない。

「……で、ありますので、そういったブランクも伝え方次第です。まずは私と相談した上で……」

職務上のテンプレート口上もようやく尽きるらしい。伊勢谷似のエージェントは、黙ったままの私をうかがうようにして踏み込んでくる。

「ぶっちゃけて言えば、その空白期間はどのような感じで……?」

私は懐からトカレフを出して、銃口を転職エージェントに向けた。それが彼の質問に対する、ぶっちゃけた回答だった。

「ガタガタうるせんだ、バカヤロー。前科だよ、コノヤロー。ムショ入ってたんだ、そのくらい察しろ、バカヤロー」

急速アウトレイジしたおれは、ためらわずに引き金を引いた。

バンッ、バンッ、バンッ! 
パリーン、ガシャーン。

3発の連続する銃声。
それからガラスが割れ、食器が地面に落ちて砕ける派手な音が響き渡った。
ざわめいていた店内が、一瞬で静まりかえる。

「またやっちまった……」

硝煙の匂いが鼻につく。おれは苦虫を奥歯ですり潰す。その味が頬を歪ます。
細い煙が、銃口から天井へとゆらゆらと立ち上っていた。

「……前科、と申しますと」

その場でフリーズしていたエージェントが、再び口を開いた。
おれが撃った弾は、すべて外れていた。とんだ粗悪品をつかまされたらしい。腕前の問題かもしれないが。

「具体的に、どういった罪状になりますか?」

彼はなおも話を継ごうとする。心なしか青ざめて強ばった表情にも見えるが、伊勢谷友介演じる「仕事ができる男」めいたスタイルは崩さない。「さすがプロ」と称賛を与えたくなると同時に、やはり彼の作り物めいた態度が気に食わなかった。

「ファッキンジャップくらい分かるよ、バカヤロー」

「Fuck'n JAP」なんて誰も言っていないが、その台詞を吐いておれは再アウトレイジ、そしてトカレフの引き金を引く。

パンッ、という乾いた銃声。

今度は狙い通り、銃弾は命中した。
頭部に弾丸を食らったエージェントは大きく後ろに仰け反って、椅子の背にもたれるように活動を停止。おれの目には、一連のシーンにスローモーションがかかっているように見えた。まるで映画のように。

「伊勢谷友介、巣鴨に死す!」

そんなテロップ、あるいは新聞記事の見出しまでが、大仰な効果音とともにおれの画面にオーバーレイした。

そしてルノアール店内には、すでに平常のざわめきがよみがえっていた。計4発もの発砲も、それによる伊勢谷友介似エージェントの死も、何事もなかったようにすまされている。
健康長寿に群がる有象無象の老人たち、そうした老人を食い物にしようという有象無象、その有象無象を逆に食い物にする老人、とにかく得体の知れない有象無象であふれかえった街、SUGAMO。なかでも駅前のルノアールは有象無象率が高い。発砲など日常茶飯事、とくに気にすることではないのだ。
ルノアール巣鴨駅前店、ここは「ノアール」という概念に通じる暗黒のチェーン喫茶。舐めてかかると無様な死を晒すことになる。気をつけろ。

テーブルに置いたスマホに着信。サービスの緑茶を飲んでいたおれは、あわてて応答する。婚約者からだ。

——それは全部あなたの妄想でしょ
スマホから聞こえる彼女の声はそう言った。

……そうだったかもしれない。だが目の前の光景を妄想と現実に仕分けるという作業は、おれにとって職務経歴書をでっち上げるのと同じくらいに困難だった。目の前で息絶えたはずの転職エージェントが上体を起こし、こちらに向き直った。そして彼は何事もなかったような顔でトークを再開する。

「まあ、ぶっちゃけて言えば私の経歴だって、とても褒められたものじゃないんですよ」

撃たれてもなお彼は業務を遂行するつもりだ。さすがプロだと認めざるを得ない。相変わらず眉根を寄せて伊勢谷友介めいた決め顔の彼だが、その眉間には銃弾による風穴。そこから赤黒い液体が止めどなく流れ出していた。

「学歴だってね、おれ帝京大学なんですよ。Fランもいいとこです、マジな話。それに加えて当時はとんでもない就職難。それでもなんとか、立ち上げたばっかりのベンチャーに入りまして、現在に至ると」

ここにきて彼はより砕けた口調に転調、ざっくばらんに自らの境遇を語り始めた。己を開示することによって、こちらの警戒や緊張を解こうという目論見だろう。そこがまたマニュアル臭いところだ。しかし眉間からどくどくと血を流し続ける彼が爽やかな笑顔を浮かべて話すという、そのビジュアルには説得力を超えた迫力を感じる。そして自慢の目力も失われていない。さすが伊勢谷友介だと認めざるを得ない。
おれが入った大学は、彼の出身校よりはるかに偏差値が高い。「なんだ帝京かよ」確かに一瞬、彼の学歴に対して優越感を覚えた。それは相手の戦略に多少なりともはまってしまったことになるかもしれない。だがおれはその大学を中途退学して、自らのキャリアをドブに捨てた。だからそんなプライドはクソの役にも立たない。

——怠惰な生活にすっかりはまり込んだ大学3年目の秋のこと。自室で栽培していた大麻草についてタレ込まれ、警察に踏み込まれた。「大麻取締法違反。現行犯ね」その状況に「マジかー」思わずおれは呟いた。「マジだよ」中年の警官は答えた。そこから転がり落ちるようにして現在に至る。それがおれの学歴となりました。……いや、これはいつか夕方のニュースで見た警察密着映像の場面だった。「マジかー」という阿呆のような呑気さが、いかにも早稲田の文系ダメ学生ぽかった。そして警官の顔をしたマジ=現実が彼を訪れる。その状況を我が事のように感じたものだった。

「新人の頃は、やっぱり朝一で出社して帰りは終電とかザラで。まあ最近はやっと弊社も落ち着いてきて。働き方改革じゃないですけどね。でも結局、この仕事が楽しいというか、好きだから続いてるわけじゃないですか。そこは自分にとって重要な……」

自らの来歴をとうとうと語るエージェントの眉間から、どくどくと血が流れている。ただそれを眺めていた。

「……でね、子供が生まれたとき思ったんですよ。いや子供はもちろん可愛いですよ。もう超絶可愛いです。でも家族のために自分の仕事を妥協したり、やりたくない仕事をすることだけは止めようって。それだけは、もう意地でも通そうと思って」

エージェントは侠気にあふれた伊勢谷友介のような表情をつくって熱く語る。その熱い血潮が床に赤黒い水たまりをつくっていた。大量の血液を失っているからか、彼の身体は全体的に少し萎んだように見える。その反面、目だけはギラギラ野心的に輝いていた。いっそのことトドメを刺してやった方がいいかもしれない。今度はゾンビ映画か。おれの手にはまだ拳銃があった。
……ところで伊勢谷友介は『アウトレイジ』でどんな殺され方をしただろうか。

——ちょっと待って。伊勢谷友介はアウトレイジに出演してないよ。ウィキペディア見てみな。これ全部、あなたの妄想だよ
スマホから婚約者の声。それで私は現実に引き戻された。

実際には、件の転職エージェントは私の向かいの席にいて、転職希望らしいスーツの青年と面談をしていた。
彼はやはり伊勢谷友介のような表情をつくって熱く自分語りをしているのだが、よく見てみると伊勢谷友介にしては全体的にちょっと小振りな感じだ。もちろん額に銃弾を受けた痕跡もなく、血も流れていない。私の手にあった粗悪品のトカレフも消失している。

「では、本日はご苦労様でした。進展があればまた連絡いたします」

「ありがとうございました」

転職希望者は去り、その場に居残ったエージェントは携帯を手に取った。

「いま終わりましたよ。いやー、どうなんですかね。……ええ、とりあえず社に戻りますよ」

電話の相手はおそらく会社の先輩か上司だ。リクルート出身の社長、それから「ビジネス戦闘力が高くスカウターがボンッと壊れてしまうような少数精鋭の先輩たち(と彼は語っていた)」で運営されているベンチャー企業。そのなかで彼は中堅どころにいるのだろうか。

「……はい、そんな感じで。まあ、いけなくもないかなと。え、ちょっと、それは勘弁して下さいよ。えっへっへっへ」

身内と話している彼は、さっきまでとは随分と違う雰囲気だ。少年時代は太っていて、中学で空手を始めて努力して痩せた。そして帝京大学へ進学。(ずっと盗み聞きしていた)そんな彼は会社の先輩ともそつなく付き合い、うまくやってきたのだろう。その自信が彼のスタイルを形作っている。しかし伊勢谷友介にしては、やはりサイズ感が足りない。全体的にスケールダウンしている。それでもさっきの転職希望の青年は伊勢谷オーラに気圧されていたようだったから、エージェント案件としてはどうなのだろう。頼りない若者を企業に売り込むには、どうすればいいのか。もちろん私というメンタルヘルス前科者を担当するよりはマシなのだろうが。

彼が顧客である転職希望者に見せていた顔と振るまい、会社の先輩に見せる顔と態度、そして家族に見せる顔と心情、みんなそれぞれ違う。どんな矛盾がそこにあろうとも、それで成り立っているのだから文句をつけても仕方ない。まともな社会人(=会社人)経験を持たぬ私にだって、それくらいは分かる。

人には人の乳酸菌、そして生活と仕事がある。それらが入り混じって構成された他人の人生や社会というものを考えるとき、しばしば私のなかでアレルギー症状が引き起こされる。何故だろう。乳酸菌が足りないのだろうか。もう一度、乳酸菌に立ち戻るべきかもしれない。

電話を終えてノートパソコンに向かう転職エージェントを見つめつつ、私は現実の伊勢谷友介に思いを馳せた。

伊勢谷友介は主に俳優として有名だが、彼が監督した映画『セイジー陸の魚ー』はかなり好きだ。主演の西島秀俊の聖なるサイコパス、森山未來のぬぼっとした若者ぶりも良かったし、とうが立った裕木奈江も魅力的だ。気になって原作小説も後から読んだ。映画は原作の少し言葉足らずなところを補強しているようでもあり、オリジナリティも発揮していた。映像化の意義が充分にある立派な作品に仕上げている。さすが伊勢谷友介、芸大現役合格は伊達じゃないと脱帽したものだった。
もちろん俳優としての伊勢谷友介も優れている。彼がその身にまとう、そこはかとないモラハラ、ドメスティックなバイオレンスの匂い。近年ではそれを役者として逆利用しているようにも思える。ドラマ『監獄のお姫様』で演じたイケメン社長・板橋吾郎は文句ないハマり役だった。さすが伊勢谷友介と私はまた称賛を送った。
そして、あれは確か3,4年前のこと。NHKのお昼の番組に出演していた伊勢谷友介は自分が取り組んでいる震災ボランティアのプロジェクトについて真剣に語っていた。その内容は合理的かつお洒落なものだったと記憶している。いかにも伊勢谷らしい。そして番組終盤、視聴者からのFAXコーナーで小学校低学年の男の子のメッセージが読み上げられた。「伊勢谷友介さんは、イケメンなのにボランティアとかもやって、とても偉いと思います」スタジオは一瞬、やや微妙な雰囲気に包まれた。苦笑を浮かべる伊勢谷。しかし「イケメンなのに〜して、偉い」これこそ伊勢谷友介の本質ではないだろうか。考えれば考えるほど、そう思えてくる。その小学校低学年ボーイの慧眼には脱帽した。

そのようにして、私は伊勢谷友介という存在に注目せざるを得なくなった。
そういうわけで君は伊勢谷友介フォロワーとしてはまだまだ。せいぜい精進しろよ。転職エージェントにそう語りかけ、私はルノアールを後にする。

家に帰って彼女に手伝ってもらい職務経歴書を仕上げた。それからビールを飲んで早めに寝た。
夢に伊勢谷友介(本物)が出てきて、色々なことを私に熱く語り、そのついでのように就職先を世話してくれた。礼を述べる私に「それより彼女を大事にしろよ」と彼は言った。そんな伊勢谷友介は、とても格好良かった。私はいつしか彼を「アニキ」と呼んでいた。
夢から覚めた私は「アニキ……」とひとり寂しく呟いた。
いつか本物のアニキと肩を並べて男の仕事がしてみてえもんだ。そう願う春の日がまた過ぎ去っていく。求職中の私を残して。


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