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生きるということ

連休の初日は息子の面倒を主人にお願いして、久しぶりにひとりで逗子までドライブした。朝イチで予約していた映画を観るために。

隣にカフェが併設してあるレトロな映画館
こういう秘密基地のような場所が大好きなのである

映画を観に行くことは多くないのだが、今回この作品を知った時に何故かどうしようもなく行きたくなり、思わず予約した。

アフガニスタンとパキスタンで35年に渡り、病や戦乱、干ばつに苦しむ人々に寄り添いながら命を救い、生きる手助けをしてきた医師である中村哲さんの活動を撮ったドキュメンタリー「荒野に希望の灯をともす」。パキスタン、ペシャワールのハンセン病棟で始まった医療活動は、やがてアフガニスタンの山村無医地区に広がっていく。

2000年にアフガニスタンを襲った大干ばつで農業は壊滅、飢餓と瀕死の人々が中村医師の元に押し寄せたが、医療で支えることに限界を感じ、用水路の建設に踏み切る。専門家のいない中、無謀とも言われた挑戦は苦難の連続であった。数々の技術トラブル、9.11アメリカ同時多発テロに続く米軍による空爆も、建設中に容赦なく起こった。
それを乗り越え7年の歳月をかけて用水路を作り上げた。その水が渇ききった荒野を緑の大地へと変え、現在65万人の命を支えている。


人は境地に至ると火事場の馬鹿力と言わんばかりの何か力を発揮するものなのかもしれない。そこに強い意志さえあれば。

「平和は戦争以上に積極的な力でなければならぬ」

ごもっともである。放っておけば、世の中なんか争いしか起こらない。くだらない理由にいちゃもんをつけ、見下しては自分を棚に上げて自尊心を保つような生き物だからこそ、積極的な謙虚さや自然への敬意が必要なのだろう。

詳しい内容はこちらのサイトでご覧いただけるので、ぜひ。


正直、音楽なんかやってる場合じゃないなと思ってしまった。見る目だの作品の良さだの影響力だの、くだらないことに一喜一憂して。人が生死を彷徨っている頃、自分が好きなことをできているのだから、もう十分救いじゃないか。これ以上何を求めたら気が済むのか。自分が何者かなんてどうでもいいじゃないか。そんなことより人をひとりでも救った方が社会に貢献しているのではないか、と自責の念に駆られた。

観終わった後、駐車場の隣にあった飲食店で石焼ビビンバのセットを頼み、音のスケッチをした。その時、自分が音に触れることで満たされる何かを意識してみた。少しの緊張感と安堵感が全身を覆う。その日何も成果を得られなかったとしても、作曲をすることで何か遺した気になる自分の浅はかさをここで露呈するのは恥ずかしさすらあるが、少なくとも私にとって音楽は今日も生きた証のようだ。絵を描くことにも同様の安堵感がある。

芸術は平和の上に成り立つ恩恵であり、いよいよ戦争ともなればそんな悠長なことは言ってられないだろう。筆を持っても、ギターを抱えても、無力さに跪いて神頼みをするか、それを置いて銃を携えて戦うかである。ただ、銃を持った時点でその人間に口論の余地も聞く耳もなくなる。そこで引き金を引くか、引かないかだけである。
だったら、せめて銃は捨てて話し合いをしなければ。権力者の言うことを聞くだけではなく、その場で生きる人々と共に平和について積極的になるべきだ、と。

少し重たい内容にはなりましたが、ここまでお読みいただきありがとうございました。
誰かの生きる意味の手助けになれば幸いです。

追記
色々と思うこともあり、考え方が極端な部分が見られる私だが、今まで生きてきたことは誇りに思っていい、でなければ関わってきた人に失礼だと、主人からの助言で救われたのであった。


tohma


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