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🎄小説🎄ロックリスマス(3)憧れの男エイジ


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実は文章力を鍛えるために筋トレのつもりで小説を書きだしています。でも小説こう書いてると椅子に座ってしまい…パソコンとの向き合いでお腹の肉がぐにゃっとまがるんです。(お腹やせなきゃ。。立ちっぱなしでかこうかな…)🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥
↓前回のあらすじはこちらから😊



🔥🔥🔥😊😊😊🔥😊😊🔥🔥🔥🔥🔥🔥😊
でつづきです。

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エイジ

✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨

真治にはあこがれのミュージシャンがいた。その名も、『エイジ』、真治とは一文字ちがいだった。


でも年齢は真治より6つ年上だった。
しかし、生まれと育ちと環境と最初から二人の人生は大きく違っていた。


真治は数年前に飲料水のCMでエイジを知ることとなる。

彼の歌は爆発的に人気になった。


人の心に響く歌詞。

誰もが描く、理想と現実の世界における葛藤をエイジは切ないメロディーに乗せて歌うのだった。



だれもが1度は脳内に響くそんな歌だった。もちろん、彼は何度かコンサートに足を運んだ。


真治はあこがれのエイジになりたくて歌詞を作るために買ったノートがあった。しかし、いまやただの感情をなじるだけのノート化してしまった。


通称ブラックノート


ここには彼自身のブラックな感情を書きなぐったりした。
書くと静なきもちになりすっきりすることは確かだった。


『 もらった命やろ、大事にしろやー!自分の責任でちゃんと寿命を全うしろやー。 』

彼は誰もがおもウ単純な、
感情を書きなぐった。

そんなある日、憧れの
エイジの新曲が発表された。



エイジ自身作った歌もシンクロなのか
自殺者に送るレクリエムのつもりか
秀悦なメロディだった。



真治も言葉をつぐむ。
しかし、それは雑で単純な男心を
あらわしていた。
昭和の終わりの団地に
住む子供が発する
素朴なポン菓子のような言葉。

🌳🌻🌳


それとは引き換えに


同じ男なのにエイジの繰り出す言葉は丁寧で詩的だった。

✨🌿🌿🌟🌿🌿🌿✨


声はずっと深くて切ない。


エイジの歌はそよ風の
ようなメロディに


何筋の深紅や紫色の光が

残像として空気を
切り込むような
切ない声で歌うのだった。




女性なら
だれもが
恋愛感情を
抱いていてしまう



圧倒する
すてきな
空気を彼は
まとうのだった。




こんな風に・・・

砂嵐のような秋寒の空の下
木の葉みたいに君はクルクルと落ちて散ったよ。



君の言葉を知った時僕の心は
波打った。


何も言わないから後から知った
僕の気持ちどんなにつらいか君はわかるかい。


水たまりの中に落ちた水の味は
どんなだったの。

透明は水中の中で君は
何を思ったのかぼくには知る由もない。




ただ君の面影を残して

あの時君は悲しんだの?
あの時君は喜んだの?
最後の救いはなんだったの?

あの時あの日君にあえていたならぼくは
君になにをしてあげられたのだろうか
この時の中で


エイジの歌を聞い後、たいていの女は涙した。
男でも涙するやつもいた。

真治はなりきりで真似してギターを弾き始めた。
不思議な高揚感を感じた。


自分の中で歌詞を繰り出すことはできないが、
真似だったらできるような気がしたからだ。


25歳の時だった。エレキギターを使いながら
指先でスラップがうまくなったとしても、エイジには程遠かった。


それでもあきらめずに、真似を追求した。

するととエイジさんに似てますね。

とか、言われるようになった。


しかし、あこがれのエイジさんにはなれなかった。

あこがれはあこがれでしかないのだ。



真治は自分の心が渇く中、
自分の動画を撮り始めた。


彼の歌を真似てギターを弾きながら歌った。


百人かイイネをつけてもらえた動画もあった。


大手のプロダクションに動画を紹介したこともあった。


「 遠藤真治 樣、この度は
動画を送っていただき
誠にありがとうございます。

今回当社
bmcプロダクションでは
厳正な審査の結果
採用は見送りさせていただきます。
これからも、夢を諦めす、これからも頑張ってください。未来の真也樣のご活躍を心より応援しております。」

クリスマス時期に送ったからなのか、プロダクションからは
ささやかな優しさがこめられていたが、いい返事はもらえなかった。



何やってる俺。
真似じゃダメなんだ。

コピーじゃダメなんだ。

真治はようやく悟り始めた。

大学のころ遅かったが、バンドを始めた。


名前はピースフル。


あのころは売れるために必死だった。
仲間と宣伝しようとチラシ作って配ってみようと試行錯誤した。
原宿駅の若者に、配ってもティッシュが入ってないその紙は見向きもされなかった。


そしていつの間にか月日とともに、信じられないことにアンナに流行っていたエイジ流の曲は流行らなくなっていった。新しい流行がうまれ、ファッションが生まれ
次々に時代が高速で流れていくのだった。


原宿駅のすぐそばのビルには原爆Tシャツ着ていて日本のマスコミにたたかれてたはずの防弾チョッキ軍団の大きなポスターが貼られている。

思ったより地味めな女たちが

きゃあーカッコいいと言いながら、
ビルの奥に吸い込まれていくのであった。



あなたは心の
防弾チョッキきてますか?


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