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【インタビュー】 調香師 Didier Gaglewski : 軽さと楽しさで遊ぶ 〈前編〉

「香りを巡る旅」は香りの文化にまつわる人や場所を訪れる、旅とテキストによるプロジェクトです。

2023年5月にスタートし、同年9月にはフランスでの取材を実施。香りの街と知られる南仏のグラースとパリを訪れ、調香師や花の栽培者など、沢山の出会いがありました。

グラースで滞在したアパートの家主は、偶然にも階下で自身の店を営む調香師のDidier Gaglewskiでした。
一週間の滞在中、彼と言葉を交わす中で見えてきた人柄や仕事ぶり、そして調香師としてのキャリアについて描きます。

ディディエのブティック

客がいない時は表へ出て、斜向かいにアトリエとギャラリーを持つ陶芸家のサンドリーナと立ち話をしている。私が出たり入ったりするのを見かけると、手を振るか、声をかけてくれる。2023年9月、初めてのグラース滞在でディディエのところで部屋を借りられたのはラッキーだった。一週間に渡る香りの調査にやってきて、こうして自然な形で知り合えたのだから。

調香師のディディエは、私がグラースにやってくるきっかけとなった、同じく調香師のローランスのアトリエの向かいに店を構えて15年ほどになる。彼が店の上に持つアパートに私は宿泊していた。ディディエが自身のブランドを持ち、ブティックを経営しているのに対し、ローランスは大手企業で調香師としてのキャリアを積んだあと独立し、現在は香水メーカーや学校で講師を勤め、依頼に応じてフレグランスを調香する。一口に調香師といっても、色々な活動スタイルがある。

出発前、部屋を借りるにあたってディディエの奥さんとメールでやりとりしていたが、その際、旅の目的を説明し、よければご主人にもお話を伺いたいと伝えていた。すると「夫はこの時期非常に忙しくしていますが、ブティックにいますので、顔を合わせる機会もあるでしょう」という返事があった。イエスともノーともつかない返答であったが、現地に滞在してみるとその意味がよくわかった。
9月のグラース は夏の盛りである7月8月に続き、観光のハイシーズンが継続している。冬の街は死んでいるというが、暑さも和らぎ過ごしやすくなった香水のメッカには、まだまだ多くの旅行者が訪れ、ここでの一本を求めている人達で賑わっている。

そうはいっても客足には波があるので、暇ができると冒頭のようにゆったりと世間話をしている。グラースは小さな街なのでみなが顔見知りだ。私の方は毎朝早くに出かけ、昼頃一度アパートに戻ってまた外出と、慌ただしくしていたが、彼はいつも控えめな態度で滞在の様子を気にかけてくれ、客がいない時は表でこまごまと世間話をする仲になった。

滞在から何日か経ってから、ディディエが店の中を案内してくれた。中世の建物を改装した店内はすっきりとして、二間続きでゆったりと余裕がある。一方の部屋はブティックで彼の作品である香水が十数種類並んでいる。もう片方はギャラリーでディディエの撮影した写真が展示、販売されている。「香水に限らず、ものを作るのが好きなんだ」そう言いながら、精緻なモノクロ写真を一点一点説明してくれた。ローランスから彼はもともと別の仕事についていたと聞いていたから、何かクリエイティブな分野にいたのかしら、と思ったが全く別の職種だった。


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ディディエはパリ地域の国鉄で、線路の保守や整備を担う責任者をしていた。線路のレールや枕木のメンテナンスの計画し実行する、「ごく狭い範囲だけど、その部門の全てを任されていた」という。深夜の作業も多く、また工期が遅れると列車の運行にも支障がでるため「すごくストレスの多い仕事だった」とも。話は少しそれるが、現在渋谷駅で百年に一度の大工事が行われており、その夜間工事の様子をテレビで放映していた時のことを思い出した。限られた時間内に確実に終わらせるために、事前にきちんと計画し、迅速に行わないといけない大変な仕事だ。多少内容は異なるだろうが、ディディエも緻密なオペレーションをこなしていたに違いない。
彼は高校卒業後にこの職に就いたが、三十代の半ばでガンを患う。日々忙しく働く日々から一転、病室で何もしない時間を過ごすこととなる。「無事に退院した時、二つの選択肢があった。元の生活に戻るか、新たなスタートを切るか」どちらの道へ進んだか、言うまでもない。


調香の道を選んだのは、以前からやってみたかったのと、近代香水の歴史は19世紀の有機化学の発達とともに始まったので比較的浅く、その中でもニッチフレグランス(独立クリエーターや小規模生産者による香水。大手企業による大規模販売品に対して用いられる)の分野では新しい挑戦ができると考えたからだ。
グラースへ学校見学にやってきたすぐ後で「来週からグラースに住むよ」と奥さんに電話をいれた。いくら一命をとりとめた後といえ、夫の急な方向転換に夫人は不安を覚えなかったのだろうか。「奥さんびっくりしなかった?」と聞くと、「みんなぼくらのぶっとんだ決断に驚いていたよ。妻は大手通信会社に勤めて稼いでいたからね。でも彼女も今後の生き方について考える時期に差し掛かっていたんだ」

こうしてディディエ一家はでグラースに移住した。夫人は会社を辞めたのを機に、教育関連に方向転換をはかり、30代後半から40代初めの数年間、夫婦は見習い期間を送ることとなる。ディディエが調香の学校へ通っていた頃、夫人は国内外で多くの研修が多くあり、その間家族でヨーロッパ内をあちこちを移動して回った。二人で興味のあった分野に足を踏み入れ、そこに没頭する様子を高揚感たっぷりに語りつつも、随所で「娘への責任」を口にするのを忘れなかった。それまできちんとキャリアを積み上げてきた二人なのでうまくハンドリングできたのだろう。フレッシュな気持ちで親子三人フットワークも軽く動きまわっている様子が浮かんでくる。

つづく


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