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【現地レポート④】香りの都 グラース: Dior へ花を供給する農園Domaine de Manon

「香りを巡る旅」は香りの文化にまつわる人や場所を訪れる、旅とテキストによるプロジェクトです。2023年5月にスタートし、同年9月にフランスへ。香りの都、グラースを取材しました。

18世紀以来、良質な花の産地として知られ、香料の原料を供給してきた同地ですが、2000年代初頭には花の栽培農家はわずか数軒にまで減少し、存続が危ぶまれました。
しかし2000年以降、花の農地や生産者数は再び増加傾向にあります。

今回はこの転機を作った農園で、Diorと専属契約を結ぶ Domaine de Manonの取り組みについて紹介します。

グラースで最も有名な花の農園の一つ、Domaine de Manon (ドメーヌ・ドゥ・マノン)は、Diorの香水に使用される花々を栽培していることで知られ、一般の人が見学できる数少ない農園として市の観光ガイド等でも紹介されている。

ナタリー・ポートマンがミューズをつとめるMiss Dior、シャーリーズ・セロンがミューズのJ’adoreなどにも同農園のバラやジャスミン から得た香料が使用され、美しい農園での収穫の様子はDiorのビデオにも登場する。

自然に囲まれた環境で、人々は昔さながら手摘みで花々を収穫する。そしてその花々は高級メゾンの香水に使用される。それはなんとも幸せそうで、夢のような生き方にすら見えてくる…


しかし、四代目のCarole Biancalana (キャロル・ビアンカラナ)が1999年に農園を引き継いだ時、グラースにおける香料植物栽培は消滅の危機に瀕していた。戦後、香料が天然のものからより安価な合成香料へ置き換わったり、より安価な原料を求めて、花の供給元や栽培地が海外へ移ったりしたためだ。さらに80年代には南仏の土地開発ブームが押し寄せ、経営が立ちいかなくなった農民達が土地を手放したことが拍車をかけた。

こうして1950年代はグラース地域で5000軒ほどあった香料植物の栽培農家は、2000年初頭にはわずか数軒にまでなっていた。

キャロルの父ユベール・ビアンカルナはグラースで、いや、香水業界においてすぐれた花の栽培家として有名だ。私が2023年に農場見学に訪れた時は、彼はもう既に引退していたが、トラクターに乗って農園へ出ていた。「あそこにいるのが私の父です」とキャロルが紹介すると、彼は遠目からも分かる満面の笑みで、我々見学者に大きく手を振っていた。

↑このビデオの冒頭に登場しているのがユベール
香料植物の生産者団体「Les Fleurs d'Exception du Pays de Grasse」によるショートフィルム"Ensemble"より (英語字幕あり)

まさに土地と共に生きてきた、というタイプのユベールだが、花の栽培農家全体が直面していた危機的状況を救うには人がよすぎた。他方、娘のキャロルには父とは別の強さがあった。農園に戻る前は銀行でキャリアを積んでいた彼女は、代々受け継いだ土地や技術を守るために奔走した。

彼女はこれまで花の供給先であった香料会社でなく、香料を使う調香師に向けて現状を訴え始めた。調香師は単にいい香りを調合する職業でなく、世界中の天然香料や合成香料を知り尽くした香りのプロフェッショナルだ。その香りのプロがグラース産植物のすぐれた香りを認め、それが消滅の危機にあることを理解しはじめたことで、事態は動きはじめた。

「キャロルの情熱が人々を動かした」と彼女の元で農業を学んだアンとモーリンは語る。

グラースを代表する花の一つ、センチフォーリアローズ。その香りはハニー、ペッパー、スパイシー、レモンと形容され、栽培農家の土壌によっても異なる

2006年に当時ディオールの調香師だったフラソワ・ドマシーとの出会いがあり、ドメーヌ・ドゥ・マノンはディオールとの専属契約を結んだ。これを機にそれまで伝統的な力関係の元にあった香料会社との花の取引形態が見直されたことは大きかった。キャロルははじめて香料会社でなく香水製造元(ディオール)と取引し、また初めて契約書を取り交わした。
以後、農家と取引先の間では、生産パートナーである農家の持続に配慮した関係性が築かれはじめた。

この出来事はグラースにおける花栽培の一つの転換期となった。
花の生産者が経済的な安定を得ることで、新規就農者の参入を可能にしたからだ。
キャロルは同時に、2006年に香料植物の生産者団体「Les Fleurs d'Exception du Pays de Grasse」を共同設立し、農業人口の若返りとノウハウの次世代継承に力を注いでいる。

また農園が忙しい中、週に一回、毎週火曜日の朝9:00から一般向けに見学を受け入れているのも、グラース産の稀有な花々の香りをより多くの人に知ってもらうことで、土地や技術を守っていきたいと考えているからだ。

こうした努力が実を結び始め、2024年現在、香料植物の生産者は50軒にまでに増え、うち15軒が有機栽培の植物をディオールに供給している。
1970年代のグラースで子供時代を過ごした観光局のフランクはとある会話の中で「ここ二十年でグラースは大きく変わった」ともらした。「いいふうに、悪いふうに?」と問うと、「もちろんいい風に」と即答した。「昔のように農地がもどりつつある」と。

そういった流れの中で、2018年に新たに農園をオープンさせたのが、若手の新規就農者アンとモーリンだ。《次回へ続く》

アンとモーリンの農園 Domaine de la colle blanche


本記事は下記をもとに執筆しました
- Domaine de Manonへの一般見学(キャロルによるガイドあり)
- グラースの香水、香料植物栽培の関係者への取材
-香料植物の生産者団体「Les Fleurs d'Exception du Pays de Grasse」のサイトおよび、ショートフィルム
https://www.fleurs-exception-grasse.com/

- 過去のインターネット記事
 https://www.tatlerasia.com/style/beauty/beauty-talk-carole-biancalana-of-domaine-de-manon

https://www.premiumbeautynews.com/fr/l-aromatic-fablab-une-pepiniere,22350

など

本記事は2024年5月に第2回グラース 取材後、第1回、2回の取材を元に執筆しました。

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