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変わろうとすることをやめた話

私は変わろうとすることをやめた。

きっかけはオードリーの若林正恭さんのエッセイ集。


約10年間、ひたすら変わりたいと思っていた。

何の才能もないと思っていた私は、この「自分」という存在を抜けて違う自分になれば幸せになれると考えていた。

「あの子みたいに友達が多くなりたい」

「あの子みたいに面白くなりたい」

「あの子みたいに可愛くなりたい」

性格から容姿まで、全て変わりたいと思った。


高校生になると変わるために、自己啓発本や成功した社長さんの本を読み、心理学を勉強したりした。

そして学んだ後はやる気に満ちて、変われたような気がした。

けど現実はそう上手くは行かず、一歩社会に出ると何も変わっていない自分がいた。


「変わりたいのに変われない自分」に嫌気がさして、自己嫌悪に陥る。そんな私が大嫌いだった。

「どうして変われないの?」

「このままの私じゃダメなんだよ」

「もっと成長しなきゃ」

と自分を追い詰め、家族から心配されるほど勉強したり、人前では強がりたいからと自分の部屋で泣いたりしていた。


しかし今年に入り、私の中の色々なことが故障し始めた。

今まで自分を追い詰めすぎた代償かのように、過食や自己否定、友達に会いたくないという気持ちになった。

永遠に続く自己嫌悪の迷路にいるみたいだった。

ただ、私はその迷路に長期滞在するほどメンタルが強くなかった。

このままそこにいれば、いつか自分を消そうとするだろうと思った。


そこでお得意の勉強を始めた。

ボディポジティブ、アドラー心理学、偉人の残した名言、自己分析など色々なことを調べた。

かなり気分は楽になったし、今までの弱い自分とは違う人に近づいた気がした。

「大丈夫、まだ私は変われる可能性がある」

と思った。


そんな中出会ったのが、オードリー若林正恭作、『社会人大学人見知り学部卒業見込』という本。

ここには真摯に自分と向き合う若林さんの葛藤や気づきがあった。

「あれ、私と同じこと考えている人がいる」

と思うことが何度かあり、この本が私を変えてくれると思い読み進めた。


するとそこには、私の概念にはなかった考えが登場した。

それは変わることを諦めるということ。

変わろうとしない人は生きている意味がないとまで考えていた私にとって、それは衝撃的な言葉だった。まさにコペルニクス的転回であった。

今回の人生でこの形状記憶合金から降りられないんだ。と自分を変えることを諦め、自分の性質を受け入れることにした。
ぼくらのような人間はネガティブで考え過ぎな性格のまま楽しく生きられるようにならなきゃいけないんですよ。
ぼくは自分を変えるなんてめんどくさいこと、だいぶ前に投げ出しちゃいました。

「え?変わらなくてもいいの?」「このままの私でいいの?」と思った。

そしたら、自然と肩の荷が軽くなって、今まで自分で背負っていたプレッシャーや葛藤が消えていった。

「そうか、別に変わらなくても生きていけるんだ」と不思議な気持ちになった。

その分、自分と向き合って上手く付き合っていけばいいのかと悟った。


変わろうとすることをやめた今、本当に生きていくのが楽になった。

損得で行動するのではなく、自分の好きなことができるようになった。

そしてさらに気づいたことがある。

「変わる=新しい自分になる」ではなくて、

「変わる=自分と上手く付き合っていく」

であるということ。

・自分の弱さから逃げない

・自分と向き合うことで知らなかった一面が見えてくる

また、変われない自分を責める必要がなくなる。すると、今まで自己嫌悪に陥っていた時間を他のことに使える。

結果、気づいたら前とは違う自分になっているなんてこともあるかもしれない。


別に無理に変わる必要なんてない。

だって変わるのって難しい。

ありのままで生きるのも悪くないかもしれない。

そう思わせてくれた、若林さんに感謝をしたい。

これからも色々悩み、苦しむだろうけど、それも私。

上手く付き合っていこう。

何かをしているのに意味がないのではなくて、意味が無いからこそ”せっかく”だから楽しいことをするのだ。


2日目。


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