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【小説】またいつかその日には

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連作短編集。喋るのが苦手な少年や、音楽の才能はあるのにプロにはならないと決めた先生や、ことば以外の方法で表現するのが得意な少女、そんなひとびとのゆるやかな繋がりの話です。
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2020年9月の記事一覧

【小説】14・完 今日のよき日に

 もうすぐ三月で、暦の上では春が近いはずだというのに、雪が降りそうな寒さだ。こういう夜は部屋の中にいても、外の空気が凍りそうにしんとしているのが感じられる。時計の針は十二時を回っていた。
えらいことになったもんだなあと思いながら、その割には何を考えるでもなしに、ぼくは机に向かって頬杖をついていた。

 三、四時間前のこと。夕食を終えて皿を洗っていたら、お父さん、ちょっとお願いがあるんだけど、と息子

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【小説】13 ぼうけんのつづき

 年内の授業が終わり、街中の華やいだ気分もどこかへ去ったあと、晴れた空はぽかんと気の抜けたようにも見える。図書館の窓から差し込む光はあたたかみをもって僕の手元を照らしているけれど、それでいて外の空気はぴりっと乾燥して冷たいんだろう。
 年明けの授業では何の話をしようかと考えながら、楽器の資料集を眺めてはノートを取っている。右手だけでページを繰り、書き物をするのにもだいぶ慣れた。最近はタイピングもス

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【小説】12 あるピアニストの回想

 何をどう間違ったとしても、俺は音楽の道には進まない。そう思っていた。
 だって、俺よりもずっと上手い人たちがその道に進めなかった、もしくは、進まなかったのを知っているから。昔ピアニストを目指していたという伯母さんの演奏は、直接聴いたことはないけれど、高校時代に出たというコンクールでいいところまでいっていたのを知っている。それでも音大には受からなかったという。その伯母さんが「あの子は天才だ」と思っ

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