【小説】14・完 今日のよき日に


 もうすぐ三月で、暦の上では春が近いはずだというのに、雪が降りそうな寒さだ。こういう夜は部屋の中にいても、外の空気が凍りそうにしんとしているのが感じられる。時計の針は十二時を回っていた。
えらいことになったもんだなあと思いながら、その割には何を考えるでもなしに、ぼくは机に向かって頬杖をついていた。

 三、四時間前のこと。夕食を終えて皿を洗っていたら、お父さん、ちょっとお願いがあるんだけど、と息子から声をかけられて、珍しいなと思いながら居間に戻った。
「なんだい、改まった感じだけど」
 ううん、まあ、と彼は困ったような顔をする。
「勝手にこんなこと引き受けたら怒られるかなと思ったんだけどさあ、しょうがなかったんだよね」
 いつもはどちらかといえばはっきりものを言う子なのに、これだけ渋るのも珍しい。
「どうしたんだよ。怒らないから言ってごらん」
 あのねえ、と彼はようやく口を開いた。その次の言葉に、ぼくは震撼させられることになる。
「おれたちの卒業式の保護者の言葉、お父さんにやってもらうことになる、みたい」
「保護者の、言葉?」
 全く話がわからず、意味もなくそこだけ繰り返してしまった。
「そう。式の中で、誰か卒業生の親が話さないといけないんだけどさ、それをお父さんがやることになったって」
「話すって、壇上で?」
 聞くまでもなかった。
「やることになった、って、それ、決まったことなのかい?」
 彼はううんと唸りながら、観念したようにこくんと頷いた。
「なんでまた……そういうのって、PTAの偉い人とか、生徒会長の親御さんなんかがやるもんじゃないかと思ってたよ」
「おれもそう思ってたんだけど、しょうがないんだよ」
 息子は、自分は悪くないぞと言いたげに口を尖らせる。聞くと、そもそもはまさしくPTAの会長さんが引き受ける予定だったのに、なんとその人が卒業式当日に来られなくなってしまったらしい。急遽海外出張が決まったそうだ。しかし、バリバリ働きながら子どもの小学校ではPTA会長を務めるとは、超人というのはいるものだなあなどと、ぼくは一瞬卒業式の件を忘れて呑気に感心してしまった。
「それで、その人が式に出られなくなったのはわかったけど、それでどうしてうちに回ってきたんだい?」
 本当に不思議だった。うちはそのPTA会長さんとは対照的で、ぼくも妻もあまり学校に顔を出してもいなかったはずだから。息子が五年生の時に引っ越して転校してきた学校で、二年弱しか通っていないというのもあるけれど、夫婦そろって自分の仕事のことで手一杯になっていたところもあったと反省はしている。一応、運動会なんかの行事の時には、どちらか一方は行くようにしていたが。
 そういうわけだから、学校側から見たらぼくらは相当影の薄い保護者であるはずだ。それなのにどうして、そのPTA会長さんの不在を埋めるのがぼくでなくてはならないのか。
「先生が、それがいいんじゃないかって言ったんだよ」
「先生って、担任の?」
 彼は首を横に振った。
「違う。別の先生だけど。お父さんが小説家なの、その先生知ってるんだって」
「えっ?」
 まさかと思った。ぼくは確かに、会社勤めの傍ら小説を書いてきた。どうにか本も出したことはあるけど、売れっ子小説家というわけでは全くないし、有名な賞を獲ったことがあるわけでもない。小説家と名乗っていいのかどうかもあやしい。そんな調子だから、息子が前に通っていた学校では、自分の父親が小説家なんだと同級生に話しても信じてもらえなかったということがあった。それでちょっとしたトラブルになって学校に謝りに行ったりもしたが、元はといえばぼくが原因なのだ。今思い返しても喉の辺りに苦みを覚える。
 しかし、その先生はどうしてぼくが小説家だと知っているんだろうか。
「その先生に喋ったのかい? うちのお父さんは小説家なんですって」
「言ったら駄目だった?」
 ああ、だからかとぼくは納得した。
「駄目ってことはないけど、まあなあ……小説家ってほど立派なものでもないし」
「でも、その先生、おれが言う前からお父さんの本知ってたみたいだよ」
「ええっ?」
「読んだことあるって。好きな作家だって言ってた」
 なんだか話がおかしなことになってきたなあと、ぼくは眉をひそめる。ぼくの書いた本を読んだことのある人が、そんなところにいるとは信じがたかった。
「で、その先生が、この人ならきっといい挨拶をしてくれるんじゃないかって、ほかの先生にぽろっと話しちゃって」
 ぼくは頭を抱えたいのをどうにか堪えていた。
「で、先生たちから、どうかなって聞かれてさあ」
「それで引き受けちゃったのか……」
 ぼくの表情があまり情けなかったのか、彼は心から申し訳なさそうな顔をしてみせた。
「もう、先生たちもその気になってそうだったし……」
 ごめん、勝手に決めてと息子は小さな声で言ったが、でもさあ、と急に勇ましげに顔を上げた。
「でもさあ、おれもお父さんにやってほしいなって思っちゃったんだもん。お父さんが小説家だっていうの、知ってる先生がいてさあ、その先生とか、みんなの前で、お父さんが喋ってくれたらさあ、なんか、たぶん、おれも嬉しいと思ってさあ」
 頭の中に、「あいつらおれのこと噓つきって言うんだよ」と涙目で話していた彼の姿が去来した。あの時は、悔しかったろうなと思う。
 ぼくがもし今回、ちゃんと「保護者の言葉」を引き受けて役目を果たしきったら、彼の無念は多少晴れるだろうか。それとこれとは全く別の話かもしれない。わからない。ただ、少なくともぼくが辞退したら、彼はまたあの時と同じような気持ちを味わうことになるんじゃないかとも思った。喉の奥の苦みがまた思い出された。
「わかった。やるよ、保護者の言葉」
 安堵と期待が入り混じったような息子の顔を見ながら、ほんとうに大丈夫なんだろうかとぼくはかえって不安を募らせたのだった。

 小説を書いているぐらいだから、文章を書く力は一応、人並みかそれ以上にはあるはずだ、という自負はある。
 けれども、「頭の中で、もしくは紙の上で文章を組み立てられること」と、「それと同じ内容を口に出してすらすらと話すこと」とは、全くもって別の問題だ。ぼくは昔から、この歳になってもずっと後者が苦手で、できるだけ逃げたくてしかたがない。原稿があって読み上げるだけならまだましかと思いきや、それはそれで書かれたことをただ読むだけになってしまう。ほんとうに自分でもあきれるほど、「話す」という行為に向いていない。
「まったく困ったことになったもんだなあ、あいつはほんとに……」
 そういうわけでぼくは、早春の夜更けにひとり溜息をついていたのだった。

 なんならこれまでに幾多の学会発表をこなしてきた妻のほうがそういう場には向いているのではないか、と思ったが、翌朝冗談交じりにその話をしたら「あの子があなたにって言ったんでしょう?」と一蹴されてしまった。
「まあそれはそうなんだけどね」
「で、あなたも引き受けるって言ったわけでしょう?」
「そう、引き受けてしまった」
 ぼくは苦笑するほかなかった。
「ちょうどいいんじゃない? 節目の年だし」
「節目?」
「あれ? 今年で半世紀でしょう?」
「ああ」
 何の話かと思ったら年齢のことだった。もうそんなに長いこと生きてきたのか。その割には、いつまでたっても苦手は苦手のままだ。やれやれとぼくは首を振る。
「人間っていうのはそう簡単には変わらないもんだなあ」
「またそうやって急に話を大きくするんだから」
 ぼくの分のコーヒーも淹れてくれた彼女に礼を言いながら、自分の今のことばを反芻してみる。人間、そう簡単には変わらない。周りがどうなっても、進む道が変わっても、たぶん本質的なところでは、ぼくらは案外その形をしぶとく保っているのかもしれない。良くも悪くも。
「変わらなくてよかったと思うこともあるけどね。何か変わっていたら、今の生活はなかったかもしれない……」
 何の話だか、と妻は笑う。

――春。桜の樹々が花開く時を今か今かと待っている、そんな今日のよき日に、卒業という節目を迎えられるみなさん、そして、その保護者のみなさん、ほんとうにおめでとうございます。そして六年間、子どもたちに寄り添い、彼らの心を育ててくれた先生方、今日までありがとうございました。保護者を代表しまして、改めて先生方へのお礼、そして、今日ここを巣立っていくみなさんへのことばを、お伝えしたいと思います――。
 ここまでは無難な滑り出しだと思う。この後が問題だ。あまり凝った表現を使うのも気が引ける。ややこしい文章にしたら、また読み上げるのに必死になって結局何も伝わらなくなってしまう。昔の失敗が頭をよぎった。
 もう二十年以上前、自分の書いた小説が初めて賞をもらった時――ほとんど世間には知られていないような賞だったが――授賞式で一応、スピーチのようなことをする場があった。人前で話すことというのをできる限り避けてきたぼくにとってこれほどの試練はなかなかない。それで入念に準備をして、原稿をきっちり作りこんで、寸分の隙もないようにして臨んだ。
 それで本番はどうだったかといえば、何も思い出せない。
 壇上にあがって、とにかくこの場を乗り切らなくてはという思いで、必死で文字の列を辿ったということと、終わった後、なぜか見に来ていた妹から「まあ、頑張ったよねえ」と言われたことしか、ぼくの記憶にはない。
 それ以来、人前で話すという機会が訪れることもなかった。なぜって、その後ずいぶんと長い間、ぼくは賞を獲るとか本を出すとか以前に、きちんと作品を書き上げることもままならなかったから。
 要するにスランプというやつだったのだけれど、書くことをまったくやめてしまうということはなかった。細々と連載させてくれる雑誌があったり、エッセイだとか短編集なんかに寄稿する機会があったりしたのは幸運だったのだと思う。そのエッセイを気に入ってくれた編集者がいて、私小説風の作品を書かないかと声をかけられたのが数年前のこと。それがぼくの二冊目の本になった。
 その本が、大ヒットというわけにはいかなかったけれど、少しだけテレビや新聞やネットで取り上げてもらったりもした。小説家として、まだちょっとは頑張れるかなと思うようになったのは、正直そのおかげでもある。その編集者の好意で始まった連載もこれまでより調子よく書けていた。妻や息子にはまだ話していないが、今の会社をやめて、本格的に小説の仕事に取り組んでいくという道が、現実的になりつつあるのを感じていた。もし話したら、「今さら?」と呆れられるか、笑われるか、それとも怒られるだろうか。想像すると、なんだか笑ってしまう。
 小さい頃から、色々な空想を織り交ぜて、ファンタジーのような文章を書くのが好きだった。その頃も喋るのは苦手で、でも紙と鉛筆があればどんな景色も饒舌に語ることができると思っていた。それで、小説家になれたらいいけどなあなんて期待を抱いて「お話」を書くようになってからも、ほとんどはファンタジーとか歴史ものなんかを書いていた。現実離れしたものを描きたかったのだと思う。
 だから、それとはジャンルも文体も、書いている自分の心持ちも全く違う作品が評価されて本にしてもらえたというのは、じっさい嬉しさもあるがなんとも複雑な気分だった。やりたいこととできることの間には微妙なズレがあるものなんだろうか。
「悪くはないけど、なんだか思っていたのとはだいぶ違うところまで来たもんだな」
 記憶の路地裏のようなところを出て現在に帰ってきたぼくは、そう呟きながら書きかけの「保護者の言葉」を前に苦笑いした。
「だいぶ違うところまで来ても、まあ、相変わらずなこともあるな」
 現実から抜け出すような「お話」を書いていた頃のぼくに向かって話しかけるような独り言だった。

――卒業生のみなさん。みなさんはこれまでの間、たくさんの人たちと出会ってきたことでしょう。家族、ご近所さん、先生、クラスのみんな、学校のみんな。習い事で出会った人。何かの偶然でことばを交わした人。たった一度すれ違った人。いろいろなものやことにも出会ってきたでしょう。うれしいことにも、かなしいことにも。好きなもの、嫌いなもの。忘れられないもの、忘れてしまったもの。ぼくには想像もつかないぐらい、たくさんのことに。
 そうして、きっとこれから先も、もっと数えきれないほどたくさんの、さまざまの人や、ものや、ことに出会うことでしょう。中には、出会いたくなかったと思うこともあるかもしれません。あっちの方がよかった、こっちにすればよかったと、あり得たかもしれない別の出会いを求めたくなることもあるでしょう。
 そういうとき、どうか焦らずに、惑わずに、そのさまざまな出会いが折り重なり、混じり合ってどんなふうに繋がっていくか、恐れずに見つめてみてほしいと思うのです。それはもしかすると、みなさんが思う以上に、すてきな景色を見せてくれることになるかもしれません。でも、もしかすると、何と出会ったとしてもたいして何も変わらないかもしれません。やっぱりこれは嫌だなと思うところに繋がってしまうかもしれません。……こう言うと、無責任だと思われるかもしれませんね。だけどそんな中でもひとつひとつ、いろんな人やものやことに出会って、その先を見つめて、進んでいく。みんな、そうやって生きているんだと思います。
 みなさんが、そうやって進んでいった先でいつか、気づいたらこんなところまで来ていたんだなと振り返って、晴れやかに笑えるように願っています。

 どうも抽象的すぎるかなとぼくは頭を掻きながら考える。
 だけど、半世紀生きてきたぼくが、これからまだまだ長い道を進んでいくのであろう子どもたちに伝えたいことというのは、これだった。どの出会いが、この先どこにどう繋がっていくかというのは結局のところわからない。だから、何か思わぬことが起こったり、自分が望むのとは違うものに出会ったりしても、そんなに焦ったり悲しんだり苦しんだりしなくてもいいんじゃないか、どちらにせよその先を見つめて進んでいくしかないのだから、と。
 気楽で無責任と言われればそうかもしれないけれど、ぼく自身がそうだった。
 喋るのが苦手で、それなのに引っ越しで転校することが多かった小学生の頃、ひとりで街の中を散歩したりしていた。そうしたら物好きな同級生に声をかけられ、結局そいつと仲良くなって、一緒に自転車であちこち冒険するようになった。文章を書くのはその頃から好きで、彼との冒険の記録を小説みたいにして書いていた。それを読んでくれていた彼に言われた、「作家になれるよ」という一言がなければ、ぼくは小学校を卒業しても「お話」を書き続けたりはしなかったかもしれない。そうして「お話」を書き続けたことが、いま、ここに繋がっているのは間違いない。いろんな意味で。
 あいつは今頃どうしているんだろうなとぼんやり考える。
 そうだ、とぼくは思いついた。あのときのあいつに話すようなつもりで、「保護者の言葉」を考えよう、と。

 卒業式の当日は正午頃まで冷たい雨という予報だったが、幸い朝には止んでいて、もう降ることはなさそうだった。
 一足先に出かけていく息子を見送り、妻とぼくもスーツに着替える。
「両親揃って学校行事に出るのって初めてかもね」
 妻は心なしか楽しそうにしている。
「できれば聞かれたくなかったんだがな」
「え? 何を?」
「保護者の言葉」
 半ば冗談でそう言うと、彼女は何言ってるの、と眉間に皺を寄せた。
「行かないわけにいかないでしょう。今日は二人の卒業式なんだから」
「二人?」
「あの子と、あなたの。次のステップに進むための」
 そう言って笑う彼女を見てぼくはようやく、なんだ見抜かれていたのかと気づいた。
「専業作家先生、頑張らなきゃね」
「気が早いな。まだこれから考えるところだよ」
「もうほとんど決めてるんでしょうに」

 会場の体育館にはヒーターも設置されているようだけれど、正直かなり冷え込んでいた。寒さで体が縮こまるせいか、どうにも緊張している自分に気づく。
 入場してきた息子は名前の順で後ろのほうの席に座っていて、ぼくのところからでも見えた。席に着いた彼はなんとなくそわそわして見える。べつにお前が緊張することはないぞ、と思っていたら、彼はふと誰かの姿をみとめて、あ、と小さく口を開けた。
 視線を追ってみると、先生らしき人たちが並んで立っている中に一人、息子のほうをみて笑いかけている男の人がいる。ぼくとあまり変わらないぐらいの歳に見えるが、杖をついているようだった。その人はこっそり息子に向かって右手を振ってみせた。担任の先生は確か女性だと言っていたから別の先生なのだろうけど、それにしては親し気に見えた。
 もしかすると、あの人がぼくを「保護者の言葉」に推薦したのかもしれないなと思う。単なる想像でしかなかったけれど。
 式は滞りなく進み、息子もしっかりと壇上に上がって卒業証書を受け取り、戻ってきた。来賓の挨拶や祝辞が終わり、もうすぐだろうかと思っていたら、若い先生が「そろそろご準備をお願いします」とわざわざ呼びにきてくれた。なぜか小さくピースしてみせる妻に見送られて、ぼくはステージのほうに向かった。正直にいえばかなり緊張していた。以前と同じ状態に陥るのは避けたかったが、とはいえ最悪の場合はなんとかして原稿を読み切るほかない。ぼくは腹をくくろうとした。

 ステージの下まで歩いてきた時、何気なくさっきの杖を持った先生のいるほうに目をやった。どうしてそうしようと思ったのかはわからない。それもひとつの偶然かもしれない。
 その先生もこちらを見ていた。そうして、なぜかニヤリと笑ったように見えた。
――お前がほんとに小説家になってくれたらいいんだけどな。
――え? なんで……。
――だって、そしたらさ、いっしょにぼうけんできなくなっても、またお前の書いた話が読めるじゃん。
 ほんとうに? そう聞きたくても聞けなかった時のことを、ぼくは思い出した。
――もしほんとに作家になったらさ、ファンになってやるよ。
 ああ、そうか。嘘じゃなかったんだな。
 ぼくは少し笑って、それから何気なく視線をそらして、体育館の二階の窓から外を見た。朝まで居座っていた雨雲がどこかへ流れていって、青いドームが見える。
――どうせならぼく、消えちゃうよりは突き抜けちゃうほうがいいな。
 あれはほんとうだったんだなと、ぼくはその時、了解したような気がした。

 名前を呼ばれて、一段一段、一歩一歩踏み占めるように、ぼくは登壇した。
 息子のほうをみたら、やけに口をきゅっと結んで、ぼく以上に緊張しているような面持ちだ。大丈夫だよ、と心の中で呼びかける。
 もう一度、あの先生のほうを見る。今度は目は合わなかったが、なぜか笑みをこらえているように見えて、ぼくは小さくうなずいた。
 手に持っていた原稿をそっと下ろして、ぼくは話し始めた。

「冷たい雨が止み、青空のドームの下、春の光が路面にきらめく今日のよき日に門出を迎えるみなさまへ、心よりお祝い申し上げます」

書くことを続けるために使わせていただきます。