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『愛の不時着』 愛すべき脇役たちについての考察

「愛の不時着」への愛ゆえに、メイン登場人物4人それぞれの考察や感想をnoteに書いた。

それらの記事のアクセス数から分かったことは、人々の関心は「リ・ジョンヒョク」に集中しているということ。「リ・ジョンヒョク」に関する想いを書いてから2週間だが、それよりも前に書いた「ユン・セリ」「ソ・ダン」の記事のアクセス数を投稿から3日で悠々と抜き、今や倍以上の差がついている。

記事の好みや良し悪しもあるので一概には言えないが、タイトル(登場人物の名前が入り)を観てアクセスをすると仮定すれば、「リ・ジョンヒョク」または彼を演じたヒョンビンへの関心がとても高いのだろうと想像できる。

いずれにしても自分の書いた記事を読んでいただけるのは嬉しい限り。(ありがとうございます)

でも「愛の不時着」は脇役があってこそ主役が活きるドラマなので、ここではベテラン揃いの脇役の方々についても愛を捧げたいと思う。


1. まずは脇役を分類して整理してみる

このドラマはとても登場人物が多い。
まずは代表的な脇役を分類し整理してみたい。

北朝鮮:第5中隊員、チョ・チョルガン少佐、チョン・マンボク耳野郎、人民班長を初めてとする村の女たち、リ・ジョンヒョクの家族、ソ・ダンの家族

韓国:ユン・セリの家族、チーム長をはじめとするユン・セリの側近

上記登場人物たちの役割を単純化する為に

(縦軸)イイ人 ↔︎ワルい人
(横軸)シリアス担当 ↔︎ 笑い担当


という軸で、それぞれのポジションを確認してみた。

図解すると以下の通り。

【図解 脇役分類】

愛の不時着.004



どんなに地味だろうが、ワルイ奴で憎々しかろうが、物語を動かしているのはシリアス担当の人々。

リ・ジョンヒョクの家族やユン・セリの両親は、出番は少なくとも物語の設定上欠かせない存在だし、完全悪役のチョ・チョルガン少佐やユン・セリの二番目の兄夫婦がまじめに自分の仕事(悪役)をやっているので、物語がスリリングに展開していると言っていい。



一方で、笑い担当組はドラマに温かみをもたらすのが仕事。

視聴者に愛されるお得な役割でもある。
彼らのコミカルな演技がメイン登場人物4人の人間味を引き出す役目も担う。
また主役たちのラブストーリーを影で支えているのも笑い担当の人々だ。


2. 愛すべき第5中隊員がいたからこその「愛の不時着」

この物語を語るに欠かせない脇役は「第5中隊員」の面々。

第5中隊はリ・ジョンヒョクが中隊長を勤める部隊である。
部下である、曹長ピョ・チス(憎まれ口男)、軍曹パク・グァンボム(無口なイケメン)、中級兵士キム・ジュモク(韓流ドラマファン)、そして初級兵士クム・ウンドン(17歳の親切な青年)の4人が物語を盛り上げるに重要な役割を果たす。
この物語では「イイ人&笑い担当」だ。

突如として現れた厄介女のユン・セリに戸惑っていた彼らがだが、ユン・セリと彼らの交流があってこそ、作品全体が温かみある幸福なものになった。

そもそも隊長を含めた5人が醸し出す雰囲気がいい。
軍隊だけに上下関係はあるものの、お互いを信頼し合っているところ、各々個性的すぎるキャラにも関わらず、意外と調和がとれているところが心地よいのだ。
それに全員、揃いに揃って根が純粋でイイ奴。そこが視聴者の心をつかむ。


ところで、中隊員たちが笑い担当の本領を発揮するのは実は自国にいる時よりも、リ・ジョンヒョクを連れ戻す目的で渡った韓国でだ。

北朝鮮と比較して近代化された韓国のアレコレに驚きを隠せない彼らの数々の「勘違い」が視聴者の笑いを誘う。
一方で、資本主義の便利さや快適さを肌身で感じつつも「資本主義に負けてた軟弱な軍人」になるわけにはいかないと抑制も忘れない。
今まで培ってきた価値観と、目の前にある資本主義の誘惑の狭間で揺れる彼らだが、彼らの純朴さがベースあるから醸し出る面白さがそこにはある。


そんな彼らのエピソードは物語に数え切れないほどあるが、その中で一番濃いキャラのピョ・チスのエピソードはずせない。

ピョ・チスと言えば、ユン・セリとの掛け合いが見どころのひとつ。顔を合わす度に憎まれ口を叩き合う。また勘違い発言が多いところも彼の愛すべき個性。

ユン・セリのことを最後まで「エミナイ 에미나이(女、小娘 という意味で、やや蔑みの意味合いがあるらしい)」と呼び続ける彼は、本当は情が厚く責任感の強い面がある。

たとえばセリズ・チョイス社インテリア部門のオープン日に、会場に潜り込んだ中隊員たちが、警備員に追われていると勘違いし逃げる場面がある。
そこでもピョ・チスのいい奴っぷりが発揮される。

慌てて逃げたせいで靴を忘れたウンドンに「あんな所でのんきに眠るなんて!」と怒りながらも自分の靴を脱いでウンドンに差し出す。

これを履け ケガでもしたらどうするつもりだ 
病院にも行けないんだぞ 早く履け!


また、国家情報院の職員に追われた時も、

俺は親が亡くなってるから死んでもいいが お前らは違う
俺が連中をおびき寄せる 2人は逃げろ 達者でな

と、後輩たちを守るために自分を犠牲することを覚悟し、実行する。

しかし結局は行き止まりの方向に逃げてしまい、あっさり捕まってしまうのだけど。(そこがまた彼らしくてヨイ)


そんなどこか抜けているピョ・チスと中隊員たちだが、北朝鮮では特殊部隊の隊員。実はめっぽう喧嘩が強い。
ユン・セリがチョ・チョルガンの一味に襲われた時もカッコよく相手をなぎ倒す。

「こう見えても  特殊部隊員です!」

と言いながら敵をぶん殴る姿は男らしくてステキ。日頃の面白キャラとのギャップにキュンとするとても好きな場面だ。



もうひとつ、個人的に気に入っているのは韓ドラ好き「ジュモク」のセリフのあれこれだ。ジュモクが「南のドラマ」から得た知識を拠り所に発言する場面は、いちいち笑いを誘う。

たとえば、危険を逃れるための「南朝鮮式方法」について得意げに説明を始める場面がそれ。

南のドラマではよくあります。 隠れているときバレそうになったら ー 男女が急に抱き合ったり、口づけしたりします
そこから恋におちます。 100パーセント 例外のドラマは1本もありません


実際、船渡しで危機に見舞われた折に、リ・ジョンヒョクはこの「南朝鮮式方法」を実践し、ジュモクの言う通りになっているのだが。
このなんとも言えない可笑しみを随所に撒き散らしている中隊員たち。

とにかく、中隊員なしではこのドラマはここまで面白くならない。
彼らが笑い担当として存在していることで主役たちのメロドラマなパートとの差別化が図られ、メロの部分が生きてくる。一方で存在するだけで場が明るくなる彼らが、リ・ジョンヒョクとユン・セリの恋を影ながら支えていることも視聴者目線で心地がよいのだ。


3. 村の女たちとソ・ダン母からみる北朝鮮の日常

物語に温かみと面白さを提供したのは男たちだけではない。
村の女たちや、平壌のデパート社長であるソ・ダン母の活躍も忘れてはならない。
こちらも「イイ人&笑い担当」

さて、女たちのもっとも大きな貢献は、閉ざされた国である北朝鮮の日常を表現しているところ。
実際に「愛の不時着」での北朝鮮の描写は意外とリアルに近いらしい(と記事で読んだ)。

多数の脱北者にインタビューを実施し、脱北者の女優が村人役(ちょい役)で出演していたりと、現実離れしないように丁寧に作り込まれているドラマなのだ。

ちなみにドラマで描かれた北朝鮮の村は「古き良き」という言葉がぴったりとくる雰囲気。我々がもう戻ることのできないインターネットがない世界がそこにはある。どっちが良いかという視点ではなく、ただそういう世界が同じアジアの、ここからそう遠くない場所にあるという事実には考えさせられる。

また濃い人間関係もなにか懐かしいもののように感じられる。
宿泊検閲はなかなかシビアではあるが、人との繋がりが当たり前のようにある世界が、温かみを視聴者にもたらす要素のひとつだろう。
とにかく、「愛の不時着」における北朝鮮の描写はそれを知らない視聴者にとって、とても興味深いものだったと言える。



一方、村の女たちの個性もそれぞれしっかり描かれていて視聴者の共感を得るのに成功している。人民班長ナ・ウォルスクをはじめとする、これまた個性的な女性たちが脇を固めていて見応えもある。

村の女たちの憧れであるリ・ジョンヒョクの婚約者として現れたユン・セリとの交流も、女性特有の対立を織り交ぜながら、生き生きと描かれている。
特に、ソ・ダンという別の婚約者がいることを知った村の女たちの反応は、同情と好奇心に満ちていて、ここでも女たちのリアルな世界がいい感じ。

村の女たちの登場場面は、主人公たちが繰り広げるメロの部分や、シリアスな描写の息抜きとしてとても貴重だ。


そしてもう一人の「いい人&笑い担当」、平壌に暮らす資本家ソ・ダン母の生活は村の女たちのそれと違って贅沢だ。
彼女は経営するデパートの買い付けでヨーロッパにも行ける。
平壌とそうでない場所に住む人々の間にある格差や、特権階級の存在が興味深い。
実際のところ、村の人々との生活水準の差は同じ国に暮らしているとは思えないほどなのだ。



さて、ソ・ダン母は金持ちゆえに傲慢さもあるが、どこか憎めないおばちゃん的な性格。
そんな彼女のコミカル要素は、人に心を許さないソ・ダンの別の一面を引き出している。この「面白母」と「正統派美女の娘」の組み合わせが娘ソ・ダンの高貴な魅力を引き立てているのだ。ここでもメイン登場人物を支えている名脇役が光っている。



ちなみに、人民班長ナ・ウォルスクを演じたキム・ソニョンは「愛の不時着」で百想芸術大賞のテレビドラマ部門・女性助演賞を受賞した。
確かに村人の中で一番インパクトが強かったし、何と言っても彼女の北朝鮮訛りは迫力があった。

授賞式の様子を観たが、人民班長の時とは全く違う雰囲気で、女優とはこうも変わるものかと妙に感心した。


4. 物語転換の鍵を握るマンボク同志の重要性

「愛の不時着」を語る上で、耳野郎チョン・マンボクの存在を忘れてはならない。

1. の「図解 脇役分類」でも唯一、「シリアス担当」または「笑い担当」に分類できない人物だ。前半はチョ・チョルガンに脅され、リ・ジョンヒョクの家を盗聴するというシリアス担当側の人間として登場する。

シリアス要素はそれだけではない。彼は物語の進行に欠かせない重要な鍵を握っている。それはリ・ジョンヒョクの兄で自分の親友だったリ・ムヒョクの死に関与していたいう事実。

しかし、彼は苦しみ抜いた末、チョ・チョルガンの脅しに屈せず、自分に正直に生きることを決意する。
そして、リ・ジョンヒョクに全てを告白したことがきっかけで韓国に渡った後、ついに「笑い担当」側の仲間入りを果たすことになる。



個人的に、マンボク同志について印象に残っている場面がある。

それは、中隊員たちとユン・セリが貝プルコギのバーベキュー楽しむ時間を、マンボク同志が盗聴する場面だ。

マンボク同志は、酔って「しりとり」を始めたユン・セリとピョ・チスのやりとりを聞きながら、自分もひとり「しりとり」の言葉を考えている。

結局、ピョ・チスがユン・セリに負け、中隊員たちの楽しげな掛け声に合わせ、ピョ・チスの一気飲みが始まる。

一気飲みの楽しげな掛け声を、暗い盗聴室で遠くを見つめながらで聞いているマンボク同志。

「自分もあちら側で皆と騒げたらどんなにいいだろう」

リ・ムヒョクの死に関わった自分には許されることではないと知りながら、この暗い盗聴室から抜け出すことは叶わないと絶望しながら、彼はそんなことを考えていたのではないか。


だが、「笑い担当」となった韓国でついに願いがかなう。

飲みの席で再び「しりとり」を始めるユン・セリとピョ・チス。
お約束でピョ・チスが負け、例の一気飲みの掛け声が始まる。

その時、マンボク同志は初めて彼らの仲間としてその掛け声を口にする。
楽しそうな笑顔で皆と声を合わせその掛け声を叫ぶ。

彼が耳野郎として過ごした苦悩の日々が報われたような気がして、すごく好きな場面だ。


ともあれ、マンボク同志の役どころはとても複雑。
物語が進む中で、「図解 脇役分類」で言うところの「ワルい人(→の手下だけど)」の位置から「イイ人」への大移動をしている数少ない登場人物の一人でもある。そう言う意味でも彼が担った役割は大きい。


5. それぞれの役割があるから輝ける

全ての脇役について書けないのは残念だが、脇役がこの物語を盛り上げていることは間違いない。「愛の不時着」では、それぞれの脇役キャラクターの設定が綿密にされているところ、また役者がベテラン揃いであることも大きい。


さて、人生においては誰しも自分が主役だ。
でも、社会において人と共存・協働する上ではその限りではない。

人から脚光をあびる主役的な人もいれば、その人を支える脇役的な生き方をする人もいる。全員が主役にはならないし、その逆もない。

どちらにしても言えることは、お互いがいないと成り立たないということ。

人から脚光を浴びる主役的な人生なら脚光を送ってくれる人が必要だし、それを支えてくれる脇役的な人がいないと成立しない。逆に人を支える脇役的な人生なら、支える主役的な人がいないと脇役にすらなれない。
つまりどちらも単独では輝くことができないのだ。


ドラマもそうなのだと思う。

主役が輝くためには脇役が必要だし、脇役がいい味を出せるのは主役が物語の中核をしっかり担ってくれているからだ。お互いがお互いを必要としている。

「愛の不時着」では、その相乗効果がとてもよく出ているのだと思う。
だからこれだけ視聴者に愛されるのだ。

トップ画像:tvN「愛の不時着」公式サイトより引用
http://program.tving.com/tvn/cloy


(day 75)


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