役に立つでも立たないでもないを続ける
年末年始、同窓会やら新年会やらで、いろんな人と会う機会が増えている。
まだ学生をやっているとか、演劇をやっているとか、久々に会う友人に言うたび、心配されてしまう。
(以前、このことを愚痴ったnoteをアップしたのだけれど、あまりにも希望がない方向に傾いていて、心持ちと差異があるような気がしたので、消しました。今日は愚痴にならないように、丁寧に書く、つもり。)
生活はとても貧しいし、一向に豊かになる気配はないのだけれど、少しずつ、研究や演劇は形になってきているし、わたしはどちらも丁寧に続けていきたいと思っている。
このあいだ高校の同窓会に行った時、「まだ学生なの!?」とびっくりされたのだけれど、むしろ言われた私の方がびっくりしてしまった。
わたしは24だから、社会人2年目の人が世間的には多いのだけれど、普段私の周りには、演劇をやっている人か、研究をやっている人しかいないから、「おっ」と思ってしまう。
そうなのだ、まだ学生なのである。
積極的にいろいろやっている方だと思うけれど、一銭にもならない仕事もあるし、なかなか毎日の生活は厳しい。
「その研究は何の役に立つの?」と聞かれることさえ、ある。
きっと、どんなことでもそうなのだけれど、ある意味ではすごく役に立つし、ある意味では全然役に立たない、と思う。
わたしのやっている会話分析の研究が発展させられれば、人のように喋るAIが開発されるかもしれないし、私の研究テーマを突き進めていけば、かなり抽象的だった芸術理論を一般の人でも使えるようになるかもしれない。
そういう意味では、役に立つのだと思う。
とはいえ。
人のように喋るAIができたところで、何の役に立つのかはよくわからないし(人でいいと思う)、一般の人が絵をうまく描けるようになったところで、なんの役に立つのかはよくわからない(下手でも楽しければいいと思う)。
ゲーデルという哲学者は、「ある程度以上に複雑な理論(論理系)には、必ず矛盾する命題Pが存在する(不完全である)」というようなことを証明したけれど、これも、なんの役に立つんだかは全然わからない。
「絶対わかんないことがある」くらいのことしか言ってないような気もする。
そういうふうに考えていくと、なにごとも、簡単に役に立つとか、役に立たないとか、言えないような気がするのだよな。
芸術も、7階と8階に同じ展示を作ったところで、何の役にたつのかはよくわからないけれど、それでも、それは人間が人間であるためには必要なことのように思う(千葉市美術館の展示だ)。
「それって何の役に立つ?」とすぐに問うてしまう価値観が、すごく人間的じゃないよな、とわたしは思ってしまう。
(人間のための有益性で、有益性のための人間じゃないと思う、これはキリストのまねです)
文章の本質は、個人および邦国の存立とは係属するところなく、実利はあらず、究理また存せず。故にその効たるや、智を増すことは史乗に如かず、人を誡むるは格言に如かず、富を致すは工商に如かず、功名を得るは卒業の券に如かざるなり。ただ世に文章ありて人すなわち以て具足するに幾ちかし。厳冬永く留まり、春気至らず、躯殻生くるも精魂は死するが如きは、生くると雖も人の生くべき道は失われたるなり。文章無用の用は其れ斯に在らん乎。(太宰治『惜別』)
太宰治は、こんなことを書いている。
文章は、役に立たないがゆえに、役に立つ、ということである。
わたしはこの文章が好きで、困った時には何回も読み返してしまう。
(役に立たないことを標榜しながら、結局役に立つということを目指してしまうところに、その哀しさがあるような感じもありますが・・)
役に立つか役に立たないかは、あとから人が決めることであって、活動や作品そのものの性質ではないよな、と思う。
役に立つ/役に立たないの区分で初めから考えてしまうこと自体が、ある意味で、作る側と享受する側の分断を象徴していて、それって貧しいことだよなァと、独り考えてしまう。
それはもしかしたら、マルクスが言ったような「疎外」なのかもしれません。何かを作る過程が、生産/消費(作る側と消費する側)が分断された爼上に押し込められることによって、全ての活動が、生産または消費のいずれかであるように考えられてしまう、という。
(わたしは人材開発という言葉がこわい、開発するのは人間であって、人間は開発される側ではない)
わたしは、しばしば、「何の役に立つの?」と聞かれた時、なんて答えたらいいのかよく分からなくて、へらへら笑って「さぁ・・・」と言っていたのだけれど、こういうことも、今年はきちんと言葉にしていこうと思います。
(つぎからは、「どういう意味で?」と聞き返そうときめました・・・!)
それは、わたしがヘラヘラ笑っていること自体が、間接的に少しずつ、世界を貧しくしていくことに繋がると、最近思うからです。
(わたしが何をしたところで、豊かになるかはわからないけれど・・・)
そういうわけで、今年はピリ辛で行こうと思います。
どうか、今年も宜しくお願い致します。
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