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学校って何…?

今日は8月31日。夏休みが終わる。といってももう学校始まってる人もいるよね。

夏休みって楽しい物かな?
どんな過ごし方をしたのかな?
夏休みが終わるってどんな気持ちなのかな?

私は夏休みを通して学校の意味とそこから見た人間関係をちょっと考えてみた。

夏休みは学生にとって1番長い休み期間。何かしらの理由で学校に行きづらさを感じていたら夏休みは嬉しかったり安心するのかな。学校が大好きだったら夏休みという長い休みで寂しかったりつまらなかったり逆に忙しくて大変だったりするのかな。
学校は色んな人達が集まる。同級生だけじゃない。小さな社会の縮図。だから学校は色んな面倒でイヤな事も起こるし投げ出したくなるような事もたくさん。でもちょっと良い事があったりワクワク楽しくて学校じゃないと出来ない事もあったりする。たくさん人が集まれば色んな事があるのは当たり前。相性の良い人も悪い人も必ずいる。クラスの中はその人数分1人1人違う当たり前を持って違う環境で育ってどんな状況で過ごしてるのかも全員違う。ただ同じ事はクラスが同じって事だけ。そこでいじめとかカーストとかがあるのはどう考えてもおかしい。それぞれ全く違う個なのに集団を作っていじめたり無視したり。
例えばみんなが好きで憧れの先輩がいたとしてその先輩が運動部でカッコ良かったり、凄くスタイルが良くてかわいかったり。でも運動は出来るけど勉強は全く出来なくて周りの友達から教えてもらったり見せてもらってる、家に帰ると全く片付けられていない部屋にいたり。スタイル良くてかわいいけど裏でSNSで周りの悪口言ってたり、家は貧困でバイトをしなくては家族も自分もごはんを食べられなかったり。人を机に置いた立方体で例えると学校で見えている面はほとんど1面、つまり正面のみ。他方向から人を見ようと出来る人も頑張って2面~3面だと思う。何が問題かって机に置かれてる立方体だから机に面してる部分は誰からも見えないという事。本当の自分が分からない人にイヤな事言われてされるなんて卑怯にも程がある。
学校にいる時間が好き、家に帰るのが憂鬱。という人も一定数いると思う。例で出したように家計を支える為に働かなくちゃいけなかったり、家にケアが必要な家族がいたり、暴力・暴言、ごはんを食べさせてもらえない、きょうだいで比べられる等。

どっちにしても居場所がどちらかにしかなかったりどこにも居場所がなかったりする。頼れる人や相談出来る人もなかなかいなかったり周りの大人の対応が適切でない場合もあると思う。
でも、どこでも良いから体も心も安全で安心出来る居場所。否定せずに寄り添って一緒に考えてくれるような存在の人が本来いなければいけない。子ども達の安心して自己表現出来る場と受け止める大人がいない限りどこまでも負の連鎖は続いていく。
誰が悪いわけでもない。もちろん相手がイヤだと思う言動をしていたらそれはいけない事。自分と違ったり大多数と違う面がある人もいるという事をこれから社会に出るなら学ばなければいけないから。

始業式、学校が始まるのがイヤだったりつらかったり苦しければ自分を守って良い。私は自分を守る事が出来なかった事を今でも悔やんでいる。逃げたって良い。学校に行かなくても良い。周りが何を言っても自分の心の声を聴けるのは自分だから。図書館でもカフェでも児童館やコミュニティーセンターでも良い。親にその時すぐ話せなくてもとりあえず逃げる。自分の体と心を守る。家族や担任、学校の好きな科目の先生、養護教諭、スクールカウンセラー、先輩、友達等話してみて1人がダメでも何人かの人に話してみてそれでもダメなら専門の相談機関もある。
人が怖くなるのは私も同じだから頼るのもSOSを出すのも凄く勇気がいるし怖いし何をどう話せば良いのか何を話して良いのか分からなくなる。でも少なくとも私も同じ。1人じゃない。だから周りに頼れるサポーターを増やせるように自分で発信してみようよ。

⚠️でもつらい時は無理に話そうとしなくて良い、とにかく逃げる。とにかくその時自分がしたい事(自分の身が安全な事)をしてほしい

またまたいつもの如く長くなった私の文章を読んで下さりありがとうございます🙇‍♀️
少しでも。たった1人でも、私の文章を読んで自ら危険な事をする事をとどまってくれたら本当に本当に嬉しい🌈

全ての事にありがとうの気持ちを…🍀


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