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人前で発表が耐えられない

人前で発表するのが嫌いだ。

みんなに見られるのが怖いのもあるし、

自分が言ったことが変じゃないかと、

不安になる。

自分の言ったことが、

みんなの考えと違うのが怖い。

だから、その場で、いい答えはなんだろうか

と考えて、

心にも思ってない言葉を羅列する。

それは自分との乖離である。

周りが求めているものに合わせて、

自分に嘘をついていることである。

周りの価値観に合わせる。

結果、自分がなくなる。

自分がよく見えたい。

でも、自分をふつうに見せることに、

もう疲れた。

ありのままにいきたい。



私はつい最近まで、自分の好きな食べ物、好きなこと、好きなタイプなどが全然わからなかった。

私はロボット人間だった。


その理由には、自分の感性の抑圧があると思う。

自分の感性が周りと違うことで、

もう距離を置かれたくない。

そう思って、周りに合わせる生き方をしてきた。

例えばファッション。

高校生の途中から、目立たないような、周りに馴染むようなファッションを着始めた。私の高校は私服の高校。

最初の頃着ていた洋服の系統は、

ナチュラル系、森ガール。

でも、森ガールの系統は、すごく受け悪かった。

周りの高校生は、ファッション雑誌に載っているフリフリの流行、最新のミニスカートを履いていた。

それに対して、私は、ロングスカート。

高校生なのに、地味なファッション着ておばさんみたい、貧乏そうでダサい、流行になってないとか、そういう周りの意見を汲み取って、

森ガールのファッションを着るのはやめた。

でも、本当は森ガールのファッションを着たかった。

森ガールファッションって、フェミニン感があって、優しさがあって、自分の世界観にピタリと当てはまる系統だった。

でも、私の森ガールが好きという感性を押しつぶし、

周りからとにかく後ろ指を刺されないように、普通になろうとした。

ファッション以外にもある。

卒業後の進路。

自分のやりたいこと、好きなことがないから、

とりあえず大学に行ってみる。

でも、大学でも、やりたいことがよくわからない。

とりあえず、周りからみて、すごいねーとか言ってもらえるかっこい学部に入りたい。

そんな安易な理由で選んだ。



ついこの間まで、自分がよくわからなかった。

でも、このままだとまずいと思って、

自己分析をし始めた。

自分の嫌なところに目を向けることを避けてきた。

自分に目を向けることは、傷ついた経験を思い出すことだから。

思い出したくもない出来事がたくさんあった青春時代。

自己分析をすることは、それらに目を向けることだから。

でも、自己分析でわかった。

自分は周りに合わせすぎていた。

嘘をついて生きてきた。

嘘をついた生き方によって、自分自身でも、

傷をつけてきた。


最近のしんどい嘘、

それは、

育ちの良さである。

最近の本に、『育ちがいい人だけが知っていること』とあるように、

育ちがいいこと=善であり、育ちがいいなら、その人の人柄は良いものとされる。

でも、育ちは、本人には変えられない。

だったら、育ちがいいように見せればいいんだ。

と思って、言葉遣いや所作に努力してきた。

でも、今日、思った。

自分が過去に関わってきた人は、

育ちが決していいとはいえない、

笑う時は大きな口を開けるし、ポイ捨ては平気でするし、人の悪口を堂々というし、

そんな環境で育ってきた自分を認めずに、

新たな自分を作り出す。

でも、どこかでバレるんじゃないかとおもって、

ビクビクしている。


これから、必要な作業は、

今の自分が受け入れられて、

過ごしやすい世界を探すことである。



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