沖縄「観光」の再考 サーターアンダギーが運ぶ記憶
十数年前の那覇の街。こぢんまりとした店で、おばーが朝早くからせっせとサーターアンダギーを揚げていた。アツアツの油に浮かぶアンダギーを皺くちゃの素手でつついたりすくい上げたりするのが、幼い僕には魔法のように見えた。
サーターアンダギーは"首里の方言"で「サーター(砂糖)」+「アンダ(油)」+「アギー(揚げ)」から来ている。揚げるという調理法が古代エジプトに確認されていることを思えば(あるいは他に起源があるかもしれない)、文物の連綿とした伝播と変化のなかに、沖縄も組み込まれていることが理解できるのではないか。
14世紀に琉球は明国の冊封体制下に入り大陸から文化的影響を受けるようになったが、それは一般にイメージされる「中国の属国」のような関係ではなかったことが、近年では明らかになっている。
「万国津梁」を掲げ、交易によって国々の架け橋になることを目指した琉球であったが、17世紀初頭には薩摩の侵攻を受け、大和の膨張に悩まされるようになる。
ここで琉球の主要な産物でありサーターアンダギーにも含まれる、黒糖に焦点を当てよう。当時、砂糖は日本国内・海外市場の双方において需要が高く、薩摩は琉球への支配を強めるに伴って黒糖の流通を握り、莫大な利益を得た。
特に奄美諸島では、19世紀初頭までに年貢のすべてを黒糖で収める制度が確立され、債務奴隷に転落する者が出るほど厳しい生産体制が敷かれた。
一次大戦期には参戦国の砂糖生産量の低下によって糖価がいっそう上がり、沖縄は"黒糖バブル"に突入する。しかし一時的には生産量と利益が増大したものの、戦間期に欧米経済が回復するに伴って糖価は暴落。沖縄は"ソテツ地獄"へと転落した(飢餓のあまり、食用には長期間の処理を要する裸子植物=ソテツを食べ中毒死する者が絶えなかった)。植民地に特有のモノカルチャー経済の帰結だったと言えよう。
その黒糖から得た利潤に少なからず支えられて薩摩が成し遂げたのが倒幕と明治維新であり、ひいてはそれが国民国家の膨張へと繋がって琉球弧に返ってくるのだ。
サーターアンダギーひとつとっても、その背後には僕らの想像力ではとても捉えきれないような歴史の網の目が張り巡らされている。沖縄に降り立ってサーターアンダギーを齧るとき、おいしさをただただ楽しむ客人に留まることもできるし、背後にある歴史を徹底的に引き受けて苦しむこともできる。
こうした過去を受け止めて沖縄に向き合おうとするとき、ヤマトンチューである自分が、異物として強烈に浮かび上がって居心地が悪くなる。一度そうなってしまうと、もはや無邪気に観光を楽しむことができなくなってしまった。観光客が求める"南国らしさ"に応えるようにして並べられた品々と景色を目にするたびに、相反する感情が自分のなかでせめぎ合いを始める。
沖縄の経済は、ここまで見てきた近代の「糖業」、そして戦後の「基地・観光業」といったように特定の分野に依存して(依存させられて)きたと言える。
過熱した糖業が"ソテツ地獄"に転じたように、観光立県の危うさはコロナ禍ではっきりと浮かび上がった。にも関わらず、不安定な観光業への偏りはどういった関係の上で継続しているのだろうか。
思えば、薩摩の影響力に対処するために軍事的なパワーを持たない琉球がとった(とらざるを得なかった)戦略もまた、文化外交だった。中国と大和の狭間にあって、冊封史をもてなし慶賀使を江戸に送り、いわゆるソフトパワーを築き上げようとする努力によって、琉球文化を代表する技芸や文物などの"伝統が生まれた"のだ。そこにサトウキビ栽培も含まれる。
観光とは、産業の基盤が弱く資源を持たない地域が、かろうじて持つことを許された諸刃の剣なのではないか。そこでは観光客の無邪気なロマンチシズムを触発する切り札として"○○らしさ"が醸成される。沖縄戦と軍事優先のアメリカ世(アメリカゆー)によって発展が立ち遅れた沖縄や、"途上国"とされるような周縁地域にそれが見られる。
しかもその"○○らしさ"は観光客の期待に応えるような形で、ときには痛々しいほど露骨に現れる。僕が長年通っている沖縄のある島は、以前からオーバーツーリズムに陥っており、ここ数年は南国風の高級リゾートが乱立するようになった。ガイドブックと同じ場所・同じ構図で写真を撮り定番スポットをなぞっていく観光客たちは、期待通りの"沖縄らしさ"がそこにあることに安堵して帰っていく。
驚いたのは、ギリシャのサントリーニ島の白塗りの家々を模したヴィラが新たに建っていたことだ。沖縄らしさというより、もはや"南国"とか"リゾート"とかいったありもしない共通項で括られているようだ。マーケティングとメディアの磁力に吸い寄せられ、キメラのように雑な表象がそこに出来上がっているように思えてしまう。
素朴で心安らぐトロピカルな沖縄。お客様である僕らの眼差しは、非対称な力関係を以って、無意識のうちに彼らの振る舞いを規定する("彼ら"から漏れる人たちはさらに意識の周縁に追いやられている)。そして、見たくもないダークサイドや矛盾が噴き出したとたんに僕らはげんなりして、また"期待するイメージ"に閉じこもることを繰り返すのだ。
これをお読みになっているあなたも、こうも穿った視点にはげんなりしていることだろう。しかし噴き出した矛盾をなんとかするには、あえて徹底的に対立することが必要なのではないか。「なんとかする」と書いたのは、今まで逆に"なんともしてこなかった"からである。土俵に上がる沖縄を冷笑したり、あるいは軽々しく謝罪するばかりで、本土はちゃんと対立と向き合い続ける姿勢をとってきただろうか。
矛盾を外部化して排除する、あるいは手懐けて取り込むことで、眼差す側の優位は再生産されてきた。「対立」とあえて書いたのは、彼らを外部として無視するのではなく、チャンネルを繋ぐことを重視するからだ。また解決や清算を目指した瞬間、チャンネルは途絶する。見せかけと皮相だけの友好や、安易な解決と清算ではなく、逃れようのない対立を認めることで初めて関係をスタートすることができる。
すこし"穿った"見方をしてみれば、「素朴で心安らぐトロピカルな沖縄」に収まらない沖縄が顕れる。それはサーターアンダギーを齧ったり友達と国際通りで飲み潰れたりすることと両立できる。眼差される以前の"真正な文化"なんていうものはありはしないからだ。今、目の前の沖縄にすべてが詰まっている。
観光する僕らは眼差すことから逃れられない。ただし、それを自覚して関心を開いてみれば、一方的にボールを投げつけていたのが、本当は相互のキャッチボールだったことに気付くだろう。
肝心なのは、ボールを受け取る身体の準備だ。いや、ここはあえて"サーターアンダギーを受け取る準備"と表現しよう。
サーターアンダギーのなかには、明るく楽しい沖縄も、しんどくて目を背けたくなる沖縄も詰まっている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?