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【③トロイア戦争 補論】ぼくたちは古代ギリシア人と友だちになれるか

【②ギリシア人の伝説】ぼくたちは古代ギリシア人と友だちになれるか、の続きになります。

「トロイア戦争」の発端についての考察

本来ならば、次の記事で今まで論じてきた神話と伝説から、古代ギリシア人とはどのような感性を持っていたかについて語るところである。
だが、「トロイア戦争」について重要なことを語り残している。
そのため、補論として本章を挿入することとする。

さて、前章で書いたように「トロイア戦争」の発端は、ギリシアの王国の一つスパルタの王妃ヘレネが、トロイア王子パリスに強奪されたことである。

しかし現代の感覚では、あまりに荒唐無稽なことに感じないだろうか。
いくら王妃とはいえ、人一人が連れ去られたことだけで、全ギリシアが団結し、10年間も小アジアに遠征し、最後はトロイアを滅亡に追いやってしまったのだ。
少々リアリティに欠ける気がしても仕方ない。

実は紀元前5世紀ごろの古代ギリシア人たちにも、この戦争理由はいまいち信じられなかったらしい。
紀元前5世紀を生きた歴史家ヘロドトスも疑義を呈している。

では、なぜ「トロイア戦争」は起こったのか。
ここでは、「神話からの解答」、「歴史家からの解答」、そして「ジェンダーからの解答」の3つの仮説を提示してみよう。

「神話からの解答」

まず「神話からの解答」だが、簡単にいえば主神ゼウスによる人類滅亡計画が「トロイア戦争」の原因である。

「トロイア戦争」前日譚では、大地の神ガイアが人口急増により大地(自分の身体)に荷重がかかり重くて耐えきれなくなったため、それをゼウスに訴えた。
ゼウスはガイアの要請を受け、人類滅亡のためトロイア王子パリスを唆しスパルタ王妃ヘレネを強奪させ、ギリシアートロイア間に大戦争を起こさせることで人類滅亡を画策したのだ。

この「神話からの解答」は、ギリシア神話らしい神々の躍動が感じられて面白い。
と、同時に「ギリシアの神話」で書いたように、ギリシアの神々は自然世界の構成要素であるので、ある意味運命論的解釈も可能であろう。

「歴史家からの解答」

では次に「歴史家からの解答」をみてみよう。

近代のヨーロッパの歴史家たちは、「トロイア戦争」に並々ならぬ情熱を傾けていた。
彼らは「トロイア戦争」を歴史的事実であると確信し、多くの仮説を提示した。なかでも有力な説と言われているのは、トロイアの地理的条件に依拠したものである。

トロイアはダーダネルス海峡の小アジア側に位置する。
ダーダネルス海峡は、のち黄金期を迎えた紀元前5世紀の古代ギリシア世界において、穀物や木材輸送の最重要ルートになる。

古代ギリシアの、特にデロス同盟を率いていた都市国家アテネは、黒海貿易で莫大な富を築いたわけだが、その要因の一つはペルシア戦争後、ペルシアの支配下にあった小アジアのギリシア系植民都市を味方につけたことにあった。

近代の歴史家たちはこの史実に着目し、「トロイア戦争」時代(紀元前1200年ごろ)においても、ダーダネルス海峡の制海権確保を目的に戦端が開かれたのではないかと考えた。

この仮説は大変興味深いもので、それは前章で書いたように紀元前5世紀の古代ギリシア人たちが自分たちの現状を投影し、遡行的に「トロイア戦争」を解釈したとする主張と矛盾しない。

つまり、たとえ近代の歴史家たちが信じたように、ダーダネルス海峡制海権確保が事実ではないとしても、紀元前5世紀の古代ギリシア人たちがそう信じていた可能性は否定できない。

ただ、この仮説は現代では説得力を失っている。
現代の歴史家たちは「トロイア戦争」自体、史実であるとは立証できないという立場であるからだ。
だが上述したように、だからといってこの仮説を無意味だと切り捨てることはできない。

では最後に「ジェンダーからの解答」を見ていこう。
この解答は、そもそもなぜスパルタ王妃ヘレネの強奪がトロイア戦争の発端になったのか、というメタレベルからの解答ということになる。

今まで見てきたように、「神話からの解答」も「歴史家からの解答」も、王妃強奪は戦争の最大の原因ではない、と主張している。
「神話からの解答」では主神ゼウスが最大の原因であり、「歴史からの解答」では触れられてすらいない。

しかし、この勉強会でたびたび強調してきたことだが、古代ギリシアにとって女性は、ある意味で最大の敵性勢力として扱われていた。
この事実を無視して、古代ギリシア最大の伝説である「トロイア戦争」を理解することはできない。

「トロイア戦争」がスパルタ王妃ヘレネ強奪が発端であると語られたのには、何か意味があるのだ。
では、それについて考察してみよう。

「ジェンダーからの解答」

スパルタ王妃ヘレネは絶世の美女であった。
男神を狂わせ、女神に嫉妬されるほどの美貌を持つ彼女に、トロイアの王子パリスが恋に落ちた。

ベーシックなトロイア戦争史においては、パリスはトロイアから使節団長としてスパルタに来訪していた折、ヘレネをさらってトロイアに連れ帰ったと記述される。

しかし古来より、このパリスによるヘレネ強奪には無理があると言われていた。
ヘレネはスパルタ王国の王妃であり、常に警護されていたであろう。
外国からの使節団が簡単に接触できる相手ではないのだ。

ではどうやってパリスはヘレネをさらったのか。
従来から二通りの仮説が唱えられている。

一つ目は、スパルタ側に内通者がいた可能性である。
内通者として一番適任なのはヘレネのそば近く仕える侍女であろう。
パリスが侍女を唆し、侍女がヘレネをパリスの元に誘導したとする説である。

これは確かにある程度の説得力はあるように思える。
しかしヘレネの侍女は一人ではなかったろうから、複数人の侍女を籠絡せねばならないことを考えると、極めて困難ではないかと推測できる。

そもそもパリスはトロイアから来た使節団の団長であり、滞在日数の限られた外国人が王妃の侍女複数人を短時間で籠絡するには無理がある。

ではもう一つの仮説は何か。
それは、王妃ヘレネが自分からパリスについて行ったのではないか、とする仮説である。
つまり、この強奪事件は強奪ではなかった。
ヘレネがパリスと駆け落ちをしたのではないか、ということである。

これは大変興味深い仮説であり、そして大変説得力がある。
そして多くのことを説明できてしまうのだ。

まず、王妃ヘレネがトロイア使節団と公式に接触する機会はあったであろう。
そしてその席でヘレネとパリスは恋に落ちた。
ヘレネは侍女を遠ざけるか、もしくは黙認させるかをして、スパルタ王宮から抜け出し、トロイア使節団に潜り込むのだ。

本気で抵抗する(しかも地位の高い)人間をさらう時には不可能なあらゆる障害も、さらわれる本人が協力的ならばスムーズに連れ去れる。
そしてまた、このことがトロイア戦争という凄惨な大戦争に発展した理由も説明できる。

古代ギリシアは、かなり極端な男尊女卑社会であった。
女性は社会や政治に参画できないことは勿論のことであったし、婚姻の自由もなければ人妻はふらっと家の外を歩くことさえ許されなかった。

当時の古代ギリシアでは奴隷制があったが、女性は奴隷ではないにしろ、ギリシア人奴隷と同程度の地位であったと考えてさほど間違いはない。
それほど女性は抑圧されていたのである。

ぼくは「ギリシア人の神話」でこう書いた。

ぼくは、この古代ギリシアにおける女神/女性の描かれ方は、どうにも無理をしているようにしか思えない。
「一生懸命」、「がんばって」女性を貶めているように見えるのだ。
それは、この古代ギリシア世界の歪さ/不自然さ/不安定さを露呈しているように感じる。

古代世界では男尊女卑を報じる社会は少なくない。
現代とは生活環境も大きく異なり、ある程度は仕方ない部分もあったのかもしれない。
しかし、それにしても古代ギリシア社会は歪なほど男尊女卑社会なのである。

このぼくの違和感の正体は一体なんなのか。
先の引用部分のあとに、ぼくはこう書いていた。

と、同時に、これは「裏返し」なのだ。
つまり古代ギリシアの男性たちは、女性を過度に恐れている。
いや、もっといえば「女性的なもの」を恐れている。
彼らが恐れている「女性的なもの」とはなんだろう。
そして、かれらは「女性的なもの」から何を守ろうとしているのだろう。

そうなのだ。
この極端な男尊女卑社会は、男性=支配者側が、女性(的なもの)を過度に恐れていることの裏返しなのだ。
そして男性=支配者側は、女性(的なもの)を敏感に察知し拒絶していった。

さて、ヘレネの駆け落ちに話を戻そう。
もしヘレネが自分からパリスの元に走ったとするならば、これは古代ギリシア社会に激震が走ったであろう。
なぜならば今まで自由を許していなかった女性が、主体的に男性を愛し、婚姻(不倫ではあるが)を結んだことになるからだ。

これは情緒的な問題だけではない。
婚姻は家父長制の問題であるし、また相続の問題でもある。
いわゆる家父長制の権威失墜と、父系相続の断絶につながる危険性があるのだ。

古代ギリシアは、主神を女神ヘラから男神ゼウスに代え、無理やり女性を抑圧することで成り立たせていた歪な社会である。

そして、歪な社会は歪な社会なりに社会基盤を整えていく。
それは周囲に仮想敵=被支配者=女性(的なもの)を規定し、それからの防衛という大義を持って結束していく。

だからこそヘレネの主体的な恋は、その社会基盤の根底を揺るがす大事件として受け取られたのである。

補論の結びに

何度も書いているが、「トロイア戦争」は史実かどうか確定できない。「トロイア戦争」があったとされている紀元前1200年から300年から400年後、紀元前8世紀に大詩人ホメロスが「イーリアス」「オデュッセイア」を世に送り出したことで、古代ギリシア人の人口に膾炙した。

ホメロスの作品は古代ギリシア人の初等教育で取り上げられ、少なくとも紀元前5世紀以降「トロイア戦争」は歴史的事実として定着していた。
また同時期に隣国アケメネス朝ペルシアによる侵攻があり、それを撃退した事実がより一層「トロイア戦争」への真実性を固着させた。

その後「トロイア戦争」は、悲劇作品や散文作品に多く題材を提供することになり、ホメロス史観「トロイア戦争」から複数の別バージョンが生まれることになる。

このように「トロイア戦争」に関わる歴史的経緯は、もはや史実云々への探索を不可能にしてしまうと同時に、古代ギリシア人の精神史を色濃く投射しているのだ。

最後に、本勉強会のスタンスについて触れておく。

本勉強会は世界史や日本史、そして古典文学を取っ掛かりに、現代に生きるぼくたちとの共通性や特異性を炙り出していくことを意図している。
重箱の隅を突くような歴史的なトリビアを披瀝するようなことを意図してはいないし、また受験勉強で学ぶような暗記を推奨する学びも意図していない。

ぼくがやりたい勉強・歴史とは、まさに本記事で書いたような「受容史」である。
「トロイア戦争」という遥か昔の出来事を、古代ギリシア人はどのように受容していたのか。
ここには歴史(「トロイア戦争」)を人間(古代ギリシア人)を媒介にして理解する複層的な構造を有している。

本論でも述べたように、受容史は歴史的事実を重視しない。
しかし、その歴史的事実を受容した人々の意識・無意識を理解しようとする。
歴史は記号ではなく人々の営みであるはずで、ぼくはそういった観点から歴史を学べる場所を作ろうとしているのだ。

続く


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