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読書記録:いつも旅の中 角田光代

旅のお供に、と読み始めた。


角田光代さんの小説って、全体を通して、ずん、と重い印象がある。だから、角田さんフィルターを通して見る旅も、そういう、ずん、としたものが出てるんじゃないかと思っていた。

しかし。角田さんが、こーんなにおおっぴらでおもしろいだなんて!時折り、繊細だと感じるところもあり、小説の雰囲気と重ねて、うむうむと自分を納得させながら読んでいたが、でも、わたしの中の角田さんの印象は全く変わってしまった。もちろん、良い方へ。


なんといってもまず、旅のスタイルに憧れる。移動手段にしても、現地の人との交流にしても、食事にしても、その土地に混じり込んでいる。野生的というのか。わたしも、こういうのがしたいのだ。観光≒傍観みたいなのじゃなくて、まあそれも良いのは良いが、わたしも、そこに混じりたい。

そしてやはり、描写がものすごい。その土地が、歴史が、根付いた文化が醸し出す、空気がここには描かれている。
ガイドブックを開けば、ネットで検索すれば、観光名所や名物料理や名産品などの写真、情報が、それはそれはたくさん出てくる。見ていると心がたかぶる。“旅をしたい”と思う。
一方で角田さんのエッセイを読むと、それとはまた違うところから、“旅をしたい”という思いが湧き出てくる。なんだろう、心の芯みたいなところを、揺さぶられる。行ってみたい、見てみたいと言うより、その空気の中に身を置きたい、と思う。


それにしても、(年代は違えど)同じ国に行って、同じ景色を見て同じ空気を吸っていても、感じることは人それぞれなんだなあと、当たり前のことを改めて思った。そういう発見も、おもしろかった。

例えばサンクトペテルブルク。
歴史的な聖堂や宮殿が多く残り、街全体もメルヘンチック。ロシアの古き良きなのだなあ。ーと、わたしは感じた。
でも、角田さんはこう表現していた。
“帝政時代の亡霊たちが、昼日中だろうが午前中だろうが、町のいたるところを徘徊している。過去の存在感はこの町において、現実に生きているでかい人々より奇妙なくらい確固としている。”
ぼ、亡霊、、!うーん、言われてみればなるほどと思わなくもないが。でも、全然違うよね。


角田さんも文中で触れていたが、本の中に描かれている場所を訪れるのって、旅がより味わい深くなって、とっても素敵な体験だと、わたしも思う。主人公や筆者と、思いが交わると嬉しくて幸せだなと思うし、交わらなくても、その違いが興味深い。
でも、サンクトペテルブルクに関しては、行く前に読んでいたら、亡霊の先入観によって、メルヘンだなんてとても思わなかったかもしれない。
それもまた一興か。

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