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悶々とする日々、大学に通っている意味

時々大学の授業を何で勉強しているんだろうと思う時がある。

特に文系なんて使い道のないことばかり勉強しているような気がする。それでも、大学に進学するために受験するし、親や周りの大人たちもそれを促す。

でも、大学に行くことはやっぱり大事でその先の選択肢が変わってくる。だから、大学に通えていることは本当に恵まれていることだと思うし、志望してた大学に受かることはできなかったけど、今の大学の友人や仲のいい教授たちに出会えてよかったと思っている。

話は戻って僕はここ最近とても悶々としている。大学は今後もオンラインでの授業が決まったというのもあるし、就活がどうなるのかわからないという不安が日々募っている。

就活において大学の勉強はあまり評価されないように思う。自分が何を勉強していて、どういうテーマをもって勉強に望んでいるのかは、しっかり考えておいた方がいいと思うけど、そこで得た成績なんかは全く加味されない。

そして、オンラインというのもあって、本来得ることのできた学びが削がれているように思う。

僕は勉強に熱心な学生ではないけど、興味を持つことのできる授業には全力で臨んでいるし、つまらないと思ってもそこそこの成績は修めたいので一応頑張っている。

大学の講義ではグループワークや調査、文献の分析、プレゼンテーションなど知識を学ぶこと以外にも様々な学びの要素があると思っている。高校までの勉強ではこれらのことは基本行わないので、僕は苦手としていながらもしっかり望むようにしていた。

今は3年なので本来ならばゼミが本格的に指導し、自分で文献やテーマを考えて、それを発表していくのだが、今年はコロナで発表する場を失い、また図書館もまともに使うことができないため、今のところ本来ならできたことができていない。

正直悔しい気持ちでいっぱいだ。そして、自分が思っていたよりも勉強熱心なことに驚いている。

高校までは本当に勉強が嫌いで、学年順位も下から数えた方が全然早かった。大学受験は本当に我慢を重ねて勉強して、それでも思ったようには結果は振るわなかった。

だから勉強することはもう自分の中で諦めていたのだけれど、大学ではちゃんと学んでいたのではないかと、この2年半を振り返って思う。1年の時は受験に落ちた悔しさからTOEICの勉強に励んでいた。おかげでそこそこいい点数が取れた。

2年の時は図書館の様々な本を読み漁ったり、住み込みのバイトをしたり、学習支援のボランティアに参加するなど様々な体験をした。

振り返ると結構充実した日々を送っていた。新しく入学した新入生たちにはなんか申し訳ない。

ツイッターで美術大学に通う1年生の漫画が話題になっている。他の家族は学校や仕事場に通っているのに、自分だけはオンライン授業で一日が終わってしまう。大学の学びってこういうものなのかと疑問を呈している。

中にはオンライン授業によって通学しなくて済むなど、オンラインの方がいいと思っている学生もいると思うが、やはり対面での授業を望んでいる学生は多いはずだ。

自分もその一人で本当に毎日悶々と過ごしている。

教授がパブロ・ピカソの言葉を用いて勉強する意義について話していた。それは我々が何かに特化したロボットではないからだという。画家は目だけの間抜けではないし、音楽家は耳だけの間抜けじゃない、ボクサーは筋肉だけの間抜けではない。

同時に彼らは政治的な生き物で、世界で起こる様々なことに関心を持つ。
学ぶとは単純に何かに特化することではなく、今まで感じてこなかったものを感じ、受け取り、自分の世界を作り直していくことだ。

この言葉を信じて、今の環境でできる、自分のできることに集中するしかない。

まずはレポートをしっかり書き上げること、次は志望している企業へ出すESを仕上げること、業界研究・自己分析をすること、SPIの対策をすること、時間のあるうちにいろんな本を読むこと。

たぶんこれらが今の自分に課せられたことたちだと思う。

考えながら打ったから内容がハチャメチャになってしまった。でも、誰かに読まれて少しでも共感してもらえたら大変うれしく思う。

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