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学校の勉強ってやっぱ大事だよね

先日、オリラジあっちゃんのYoutubeチャンネルで、『サピエンス全史』の解説動画を見て、学校で習う科目の重要性を認識した。

自分が生徒だった頃は、学校の勉強はとても退屈で、興味の持てる授業など特になかった。

勉強のできる人とできない人とには、明確な差があって、自分がいくら頑張ったところで、できる人に勝ることはできないと、まるで勉強は競争するものだと思い込んでいた。

そして、多くの人が一度は疑うであろう、学校の勉強の重要性について、僕自身も疑っていた。

国語はある程度文字が読めて、お互いにコミュニケーションを取ることができれば必要ない、数学もお金の計算くらいにしか使わない、理科や社会も何の役に立つかわからない、英語も海外に行く機会がなければ、勉強をする意味なんてないだろうと、その当時は思っていた。

けれども、先ほどの動画を見て、いろいろなことを知りたいなら、その前提にあることをまず知る必要があることに気づいた。

あっちゃんが解説していた『サピエンス』とは、人類の歴史について書かれた本であり、人類がここまで繁栄してきた道のりを、歴史や宗教、生物、化学など多額的な視点から、分析し、まとめられ、

今後の人類はどのように進歩していくのか、そしてここまで繁栄してきた人類は果たして幸福になれたのだろうか、という哲学的な問いを投げかけたものである。

この内容を理解するには、学校で習う科目をある程度学習していないとできない。

なぜなら、前提となる社会や理科科目の、知識が必要だからだ。

そう考えると、本来学校の勉強は、とても面白いものだったのではないか、と思う。

国語では、現代まで淘汰されることがなかった、価値のある文学作品に触れることができ、

数学は、人類に科学をもたらした学問であり、昔の偉人が発見した様々な数式や、方程式を学ぶことができる。

このように考えると、ロマンがあり、大変興味深いものを、学校で習っていたことになる。

僕らの受けてきた教育というのは、受験を勝ち上がるために設定され、競争を促されているから、つまらなく感じるのではないだろうか。

これは、子どもたちの知的好奇心を奪う原因に、なっていると思う。

人間の競争原理を利用した、外からの動機づけではなく、その人が本来持つ探求心、好奇心を刺激し、内側からの動機づけが、大事なのではないだろうか。

偉大な冒険家や学者というのは、未知なるものをもっと知りたいという気持ち、気持ちが彼らの大いなる挑戦へと駆り立てたのだと思う。

人間には本来、「知りたい」という知識欲があるはずだ。

教育の現場では、それをもっと大事にできたらいいなと思った。
この記事を、もし教員の人が読んだら、怒るかもしれない。

でも、自分たちが子どもたちに教えているものは、すごく素晴らしいものだと、誇りに思ってほしい。

僕は高校の時の、世界史の先生の授業がとても好きだった。

歴史を教える先生にありがちなことだが、先生の好きなところに入ると、どんどん授業に熱が入り、挙句の果てには、教科書に書いていないようなことを熱心に語りだしたりする。

本来はあってはならないことだと思うが、僕はそういう授業のほうが好きだし、なぜかそっちの方が授業の内容をよく覚えていることがある。

自分の教えている科目が好きで、誇りに思っている先生の話というのは、生徒を惹き付ける。

学校が何のために必要なのか、多くの人が改めて考え直して、日本の教育がもっと発展していくことを願う。








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