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才能があるから生きていくんじゃない。そんなものあったって、なくたって生きていくんだ。

 初夏の陽気と空から滴る雫が肌にじっとりと纏わりつく梅雨。辞書を手にとってみると、小雨、時雨、五月雨、日本語には雨を表す言葉だけで400語以上もあると言われています。
 言語を学ぶ者として、多くの言語に触れてきましたが、日本語ほど言葉の豊かな言語はないと思います。続く雨は憂鬱にもなりますが、時には雨音に耳を傾けながら、心静かに本を読み、言葉に触れ、自分の世界を広げるのも良いかもしれません。
 先日、以前本屋大賞を受賞したことで話題となった、「羊と鋼の森」という本を読みました。その本の中で、迷いながら手探りで仕事と向き合おうともがく、ピアノ調律師である「僕」が、先輩にこんな言葉を投げかけられる一節があります。

才能がなくたって生きていけるんだよ。だけど、どこかで信じてるんだ。一万時間を越えても見えなかった何かが、二万時間をかければ見えるかもしれない。早くに見えることよりも、高く大きく見えることのほうが大事なんじゃないか。」

 その言葉に、かすれる声でうなずきながら、「僕」はこう思うのです。

才能があるから生きていくんじゃない。そんなもの、あったって、なくたって、生きていくんだ。あるのかないのかわからない、そんなものにふりまわされるのはごめんだ。もっと確かなものを、この手で探り当てていくしかない。

 今春、最上級生となり、学校生活で求められるものも増え、学習も難しくなりました。その中で、うまくいかないこと、頑張っているのに結果につながらないことにもどかしさを感じたこともあったでしょう。あるいは、義務教育に続く、この先の人生は、そんなことの連続かもしれません。努力が実らないことに苛立ったり、悔しい思いをしたり、自分のことがみじめに思えたり。

 それでも、すべてを「才能」という言葉でかたづけないでほしい。「才能がない」という逃げ道を、自分に簡単に与えないでほしい。あなたの、その努力や頑張りを見ているひと、応援してくれる人が、必ずいます。
 「できない自分」が情けなくても、「もがく自分」がみっともなくても、それはあなたがそう感じているだけで、どんな人でも、前に、上に、進もうとする姿は、輝いてみえるものです。そんな、輝くあなたで夏を過ごしてほしい。あなたの努力に比例して、短くなった鉛筆が山のようにたまっていくように、自分自身の確かな努力を積み重ねることでしかたどり着けない場所へ踏み出そう!

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―あとがき―
 受検生を受け持った年に、勝負の夏を前にして送ったエールだった。でも、この引用した「才能があるから生きていくんじゃない。そんなものあったってなくたって生きていくんだ。」という言葉には、自分自身にも響くものがあった。
 私は、これといった取柄がないのが取柄な器用貧乏で、ある程度のことは人並みにこなせるが、人並み以上に優れたものは、これといってない。(教員にしか分からないかもしれないが、「研究授業にいたら助かる子」と言われてきた。笑)
 スポーツが得意、勉強ができる、仕事の才能がある、お金がある、愛してくれる人がいる、なんでもいいから、他の誰かが持っていない「何か」をもっている人が羨ましかった。
 けれども、小説の中の彼の言葉を反芻していると、こんな私にも「才能」ではない、だけど「確かな何か」を握りしめていることに気づく。それは、努力というにはあまりに傲慢で、原石というには高慢な「何か」。
 今の自分には、握りしめたものが一体何なのかは、まだ分からない。それでも、その「確かな何か」をもっていることに気づいた、そのことそのものが、一番確かなものなのかもしれない。
 あなたの手にも、きっと「確かな何か」が握りしめられているはずだ。

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