うまく生きていくための、習慣ひとつ
「立つ鳥跡を濁さず」と言いますが、どうでしょう?先日、高速道路の上空を横切っていく白鳥たちの姿を見ながら、はためく白い翼に自分を省みるきっかけをもらいました。
私の家族は、みんなで一緒に出掛けたり、同じものを共有したりするのが好きな帰来で、小さい頃から旅行にいったり、ドライブにいったりすることが多く、貴重な体験をたくさんさせてもらいました。さすがにカヌーを自作したときには驚きましたが。
私の母親は、ホテルや旅館の滞在を終えてチェックアウトする前に、必ずベッドメイキングをし、何もかもを元通りにして、何なら洗面所の鏡まできれいに拭きあげて、部屋を去ります。
私にとってはずっと当たり前に見てきた光景だったので、友人たちと旅行に行くときも必ず母親と同じようにしていました。
そんな矢先、SNS上で「困る客」なる発言を目にしたのです。その中のひとつに、「丁寧にベッドメイキング等をして帰る客」とありました。要するに、シーツやタオルなどをひっぺがして、洗いやすく広げてクシャクシャにした状態で回収するので、きれいに畳んであったりすると、時間が余計にかかって迷惑だ、というのです。
私は、「そうだったのか」となぜだか申し訳ない気持ちになりましたが、どうしても、自分をおもてなししてもらったことへの感謝のしるしとして、いわゆる「後をにごさず」立ち去ることをやめられずにいました。
そんな自分にがっかりしていたとき、こんな話を耳にしたのです。これは、私にとって救いの言葉でした。
些細な習慣づけ一つが、成功への要素に
ーあとがきー
さて、「立つ鳥跡を濁さず」。書きながら気づいたことがありました。「思いやり」と「効率の良さ」は別のものであるということです。
確かに、SNSでの話のように、「効率」を求めるのであれば、シーツなんてぐしゃっと置いておいた方が良いのかもしれませんが、もし私が清掃員だったら、それをおもてなしへの「感謝」や「思いやり」だとは受け取れませんし、人間性を疑いはしませんが、どんな人が泊まっていたのか、少なくとも「素敵な人だったんだろうな」とは思いません。
この「濁さず」の心意気こそ、ロボットやAIに負けない、私たちの誇れる武器であり、心なのではないかな、と思うのです。
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