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コンポスト生活で訪れた変化。

夏休みに伊豆の古民家に宿泊して以来、生ごみをできるだけ出さず、土に還して循環させるようにしている。

コンポストというほど本格的なことはしていないけれど、我が家は一軒家で台所に勝手口のドアがあるので、そこにプランター用の空いている鉢植えを置いて、そこに土や枯れ葉と生ごみを合わせてポイポイ入れている。

今まで裏庭の雑草はかなり飲み放題だったけれど、生ごみの上に枯れ葉を敷き詰めたくて、日々せっせと草むしりもするようになって、一石二鳥という感じ。

当然、生ごみには虫が集まるようになったけれど、草をかき分けると、無数のダンゴムシやらアリやらがせっせと生ごみを分解してくれている様子をみていると、微生物の存在が愛おしくなってくる。

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生ごみをコンポストにするようになって、食卓にも変化が出てきた。

剥いた皮などは大きいままだと分解されにくいだろうからと、包丁でできるだけ細かくしてから捨てるようにしていたら、「あれ?この皮も食べれるんじゃないの?」って思うように。

この前も、長芋の皮を剥いて、それを刻んで捨てようとしたんだけど、細かく刻んでいたら、これ炒めたら皮も食べれるんじゃないかな?って思っちゃって、じゃこやキノコと一緒に炒めて、食卓に一品料理として出しちゃった。

そんな感じで、生ごみ自体を、よく観察するようになってきて、例えば、水出しの麦茶のパックなんかも、今までそのままぽいって捨ててたけど、パックを開けて、中身の麦茶はコンポストで一緒に乾燥させている。

フィルターで抽出したコーヒーの出がらしも、中身は皿に入れてトイレの芳香剤にしたり。

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コンポスト生活が続いているのは、完璧を目指さず、さらに簡易のコンポストにしているからだと思う。

心と時間に余裕がない時は、ゴミ袋にポイってしちゃうときもあるし、コーヒーの出がらしも毎回お皿にとりわけているわけではない。

でも少しずつ、毎日の生活の中で生ごみを出さないことが確実に習慣になってきている。

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コロナだ、ウィルスだ、ワクチンだ、と大騒ぎしている今の世の中だからこそ、自然と共存できている実感、循環していくこと、次の世代に受け継ぐことができること、そういう地に足のついた生活が、心と体の安定のために必要だなって思っている。

食べ残したものは、鳥や虫たちが食べたり、枯れ葉や土と一緒に自然に還ったり。

そういう物に見たり、触れたり、生活の中でその循環の一部となるように自分も行動したり。

それが、生きている実感となっている。

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私は、薬やワクチンに頼らない生き方をしています。

4人の子供がいますが、熱を出しても、薬を飲ませず、自然療法で治しています。

4人の子供たちは、助産院と自宅で産みました。

ワクチンを打ったり、薬に頼ることは、体を弱くしてしまい、次の世代に命を繋ぐことに不利益になってしまうため、子どもにはワクチンや薬は与えたくありません。

生ごみを土に還して循環させることと、ワクチンを打たずに健康な体を保って産める体を保つことはつながっています。

自分の体と、環境と。

完璧はむりでも、少しずつ整えていきたいと思っています。

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丁寧な暮らしは昔からアズマカナコさんに学んでます。3人の子育てをしながらこの暮らし方は本当にすごい。





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