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31時間のバスの旅、および史上最悪の誕生日〜モザンビーク北上〜その2

前回からの続き

 ニューヨークはマンハッタン、真っ昼間のように明るい真冬のタイムズスクエアで20の誕生日を迎えた。

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 翌年はサンフランシスコにいて、日付が変わって意気揚々とビートニク作家・詩人たちの溜まり場だったジャック・ケルアック通りのバーに行くと門前払いを喰らい、なぜかよくわからず宿に戻りつつデリでビールを買おうと店主にパスポートを見せたら、”州法で21の誕生日の正午からじゃないと酒は売れないことになってるんだよ”と教えられ、”そっか、じゃあまた明日来るよ”と言い店を後にしようとしたら、両手をピストルの形にして”Happy birthday”と小さく祝ってもらった。
 その翌年は、卒業旅行で沖縄にいて、皆揚々とプレゼントをくれた。あのとき貰ったシーサーの灰皿は、台風の日に部屋の窓辺から道路に落ちて欠けたけど使い続けていたら、ばあちゃんがいつの間にか勝手に捨てていた。

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 大体海外か旅行先にいる、というのは変わらずこれまでとは真逆の誕生日を迎えているということにやや気持ちの昂ぶりを覚えた。
 バンコクの市場で買った汗だくのDef Leppardタンクトップからはとっくに自分でもクセェと思うほどの匂いがするし、顔も脂と排気ガスとで真っ黒な上にベタベタだ。両足はエコノミー症候群寸前みたいな違和感があり、伸ばそうにも伸ばすスペースもない。満身創痍という四字熟語を身を以って実感していた。4WDの中古の救急車の中でサイテーだと思う誕生日を迎えられるやつなんて、恐らくそうはいないだろう。あと1日延泊すればトーフォの静かな海辺でビールでも飲みながらゆったり過ごす、という選択肢もあったにもかかわらず移動を強行した自分を”それでこそ旅人だ”と自分で褒め称えた。旅人はこういう変な意地みたいなのを抱きがちだけどまったく無駄で、結構な頻度ででむしろ自分の首を締めている場合が多い気がする。

 そんなことを思いつつも車は真っ暗な中をひたすら走るだけなので意識はすぐに現実に戻り、またウトウトする。いくら夜が更けても、暑苦しいのと姿勢をキープする苦しみからウトウトしかできない。

 途中、深夜1時頃だったか、バスやトラックがたくさん停車している場所に止まったのだが、恐らく仮眠などのための休憩所だったように思う。自分は”こんなうるさくて窓の外を見知らぬ人が歩きまわってるとこに止まらないでさっさと出発してくれ”と思っていたら、5分ぐらいしてどこかへ行っていたドライバーが戻ってきて出発した。その辺の考えは一緒だったようだ。
 そして深夜3時頃、人気のないガソリンスタンドに停車する。眠たそうな警備員がひとり、オレンジ色の街灯の下の椅子にポツンと座っているだけだ。どうやらここで仮眠を取るみたいだ。

 その時点で後ろに乗っていた乗客はひとりだけで、ドライバーもそちらへ回りベンチで仮眠を取ろうとしている。自分はタバコを吸った後そのまま助手席で仮眠を取ろうとしたが、走行中には無かった苦悩に見舞われる。蚊だ。
 窓を締め切ると暑苦しくて寝られたもんじゃないので少しでも風が通るよう窓を開けていると、そこから間断なく蚊が入ってきて自分に止まる。鬱陶しいことこの上なく、またモザンビークはマラリア感染率が高いこともありなるべく払ったり潰したりするので、まったく眠れない。ストレッチャーに積んだバックパックに蚊除けのスプレーが入っているのだが、それを取るために後ろのおっさんたちの睡眠を妨げるのも気が引ける(こういう気遣いというか気の小ささは自分の悪いところだ)。
 仕方がないので寝るのは諦めて、外に出て段差に腰掛けてタバコを吸っていると、後ろの乗客のおっさんが寝たままの姿勢で車からずり落ちてきた。かと思うと、そのままアスファルトの上で寝息を立て始めた。正直、この時ばかりは羨ましいと思った。

 1時間ぐらいして足元に吸い殻が溜まってきた頃、ドライバーが起き出してきた。地べたで寝ていたおっさんも車に戻る。出発してから日が昇るまではそれまでより良くウトウトできた。

 しかし、日が昇っても景色は変わらない。腹は減っていなかったけど途中でトウモロコシを買った。変わったことといえば、蟻塚が少し低くなったぐらいだ。それと道路も前半よりはだいぶマシになった。

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 いい加減ウトウトするのにも疲れ、半ば精神を無にして静かに助手席に座っていたが昼も過ぎ2時頃、ようやっとナンプラに着いた。マシシを出発してから31時間、アプリで距離を見たらおよそ1600km、自分旅史上インドネシアのジャカルタからジョグジャカルタ20時間の記録を大幅に更新する最も長い移動となった。
 車を降りて荷物を取り出すと、バックパックのサイドポケットに入れておいた洗髪料一式と洗濯用洗剤が無い。車内に落ちたのだろうと思い隈なく探すも、見当たらない。どうやら途中で降りていった乗客が持って行ったと考えるのが妥当なようだ。プレゼントをもらうどころか、物を盗られるなんて最後まで最低な誕生日だ。しかも、盗られたのがシャンプーとか洗剤なのが余計に腹立つ。盗ったほうが何かわからず盗ったのなら、今頃ガッカリしているだろう。盗っておいてガッカリするんじゃねえよ、ダボが。自分はこういう、誰も得しない、というのが一番腑に落ちない。江ノ島でソフトクリームを買って一口食べたところで鳶の襲撃を受け、アイスは地面に落下、鳶はそのまま飛び去ったときの気分になった。


 宿に着くとオーナーは後から来るとのことで、ひとまずシャワーを浴びて先客のアメリカ人ふたりと歓談した。見てくれは結構若いのだが、Peace Corpsという団体からモザンビークに派遣された先生たちで、ペンバという街の大学で科学と英語を教えているそうだ。今は休暇でナンプラに来ているようだ。
 ふたりと話していると、見覚えのある人が外出から戻ってきた。トーフォでダイビングのコースの日程がかぶっていた、オランダ人のサビーヌだ。どうやら、自分より1日早くコースを終えた後、イギリス人の年配の女性と一緒にヴィランクロスという街に行った後、ここへ来たらしい。自分のここまでの移動手段のことを話すと大層驚いていたが、彼女らの使ったバスもやはり、すし詰め状態で夜行バスだというのに通路に立たねばならない乗客がいたりして相当過酷だったようだ。それと、ヴィランクロスからナンプラまでのほうが距離はいくらか近いのだが、彼女らのバスは3100メティカルだったらしく、ちょっと得していたということを知った。

 皆で話しているとそのうちオーナー夫妻がやってきて、チェックイン際にパスポートを見たオーナーが今日が自分の誕生日だということに気づき、奥さんがビールを1本サービスしてくれた。それを後で知ったアメリカ人のひとりも、ビールを1本おごってくれた。結局、そんなに悪くない誕生日になった。かしこ。

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