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映画『ミナリ』韓国からアメリカに移住した一家の物語 あらすじと感想


「スーパーで買ったバジルを植えたら、こんなに群生しちゃって、驚いてるんだ。」と、彼は言っていた。

岩手県のペンションでバイトしていた20代の頃、「バジル持ってきて、って言われたらここから採ってきてね。」と、オーナーから指定された裏庭は、一面のバジル畑と化していた。

ハーブってすごい生命力だなと圧倒された光景だった。
スーパーで売っているパックに入っていたバジルが、青々と色を放ち、自然の中で根を張っている…….。

映画『ミナリ』は、韓国からアメリカに移民してきた一家が主人公。

舞台は1980年代のアメリカの南部の州アーカンソー。北海道の約1.6倍の広さがある大きな州で、一家の父親ジェイコブ(スティーヴン・ユアン)は、農業に挑戦しようとする。

ところが、購入した土地はいわくつきの土地だった。
自宅も、トレーラーハウスだと知り、ジェイコブの妻モニカ(ハン・イエリ)は、「こんな場所だとは聞いてない」と不満を隠せない。

二人には、アンとデビッドという子供がいる。
デビッドは心臓が悪いので、共働きの両親の代わりに、しっかり者の長女のアンが面倒をみている。

『ミナリ』は、リー・アイザック・チョン監督の子供時代の出来事を反映した半自伝的な物語だ。

1980年代には毎年3万人もの人々が、韓国からアメリカに移住していると映画の中で言及されていた。
主人公のジェイコブは、韓国系の人々に向けて馴染みのある野菜を育てて、販売するという夢がある。

けれど、農業というのは、自然が相手だけに難しさがある。
アジアの野菜が、アメリカの大地で育つのかという問題もあるし、初年度から売るほど栽培できるのかどうかも水物だ。

アメリカに移住して、アーカンソーという広大な土地を開拓するという夢を、第三者の立場として鑑賞しながら、この一家の状況にぐんぐん引き込まれていった。

妻のモニカとしては、せっかく貯めた金を子供のためにとっておきたいし、デイビッドの心臓の心配もあり、病院の近くに住みたいという彼女の気持ちは、母親として当然の感情だろう。

ただ、父親ジェイコブの「韓国の野菜を育ててビックビジネスにしたい」という夢にも非常に共感した。
グッドアイデアと思ったことを実現したいという心意気はわかる。

ただ、そのやり方が少し横暴なのだ。
1980年代の昔気質の父親は、みなそうだったのかもしれない。
もっと、自分の夢を語り、家族の理解を得てから行動すれば、妻の気持ちも前向きになるかもしれない…….と、鑑賞しながらもどかしさを感じた。

ちょうどそんな重苦しい気持ちになった頃、祖母のソンジャが登場する。

ソンジャ役のユン・ヨンジョンが現れると、映画の雰囲気が一気に変わる。重苦しさの中にコミカルな要素が加わった。

ソンジャは、娘モニカのために韓国からアメリカにやってくる。
韓国から、とうがらしや、煮干しを持ち込む。
涙がでるほどうれしい、ありがたいお土産だ。

娘にとっては助っ人となるソンジャの存在だが、アメリカ育ちの孫たちにとっては、一風変わった人間に見える。
「おばあちゃんっぽくない」とソンジャを嫌うデビッド。

子供の頃は、おばあちゃんのありがたさや愛情を本当には理解できていないものだ。失礼なことを言ってしまい、大人になり後悔の念を感じることもある。

けれども、おばあちゃんという存在は、そんなこともひっくるめて孫をすべて愛してくれるものなのだ。
デビッドも、祖母の愛を知っていく。

映画のタイトル『ミナリ』とは韓国語でセリのこと。

ソンジャは、韓国から持ってきたセリの種を湿気の多い水辺に撒く。
アメリカにはない野菜を育てれば、韓国料理を作る際にとても便利だ。

ミナリは、見事に群生した。 

ハーブは、土地が違ってもたくましく根を張るのだ。

私が、20年前にこの目でみたバジルのように、自然と一体化する。

「見知らぬ土地でも、根を張ることは不可能ではない」と、人間に教えているようにも感じる。

映画のパンフレットには、ジェイコブ役のスティーヴン・ユアンのインタビューが載っていた。

「自分のアイデンティティが、韓国とかアメリカとか一つの国に結びつかないんだ。だから、結局のところ人間として輝くしかないんだ。」

彼のこの言葉が、『ミナリ』という映画を現している。

どんな状況に置かれても、自分の力で根を張って生きていくしかない。

ミナリやバジルのように、たくましく根を張り、みずみずしく輝いてみたい。


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