見出し画像

映画『パブリック図書館の奇跡』を見て思い出した、子供時代に避難所だった図書館の記憶

80年代、ヤングアクターとして人気だったエミリオ・エステベス。

実は、監督としても映画をとってきて、第7本目となるのこが『パブリック図書館の奇跡』です。

2007年に、ロサンゼルスタイムズに掲載されていた元図書館員チップ・ウォードさんのエッセイを読んだエステベスが、「今、公共図書館で何が起きているのか」ということに興味を持ち、ロサンゼルスの図書館に足を運んで様子を観察したことから、この映画はスタートしているんです。

チップ・ウォードさんのエッセイは、図書館員が路上生活者の人々の受け皿となっていて、日々、ソーシャルワーカーと化して対応をしなければならない。

という現状に言及し、公共図書館の役割とは何か?という命題を考える問題提起になっています。

映画の中で、ジェフリー・ライト演じる図書館の館長が、
「図書館は民主主義の最後の砦なんだ」

と、言うのですが、図書館というのは、

誰もが本を読み知識を得られる場所であること

であることが大切な役割です。

映画の中には、図書館を利用していた路上生活者が、「匂いがヒドイ」という他の利用者のクレームがあり、図書館を追い出された事は、利用者の権利を侵害していると市を訴える場面がありました。

基本的には、誰でもが図書館に入館する権利があると思います。もちろん、図書館の利用規約に沿って行動しなくてはならず、大声で騒いだりする人は、注意され、度が過ぎると退出を促されることになるでしょう。
しかし、匂いがヒドイからという理由で追い出されるのは、微妙ですね。

今は、少なくなりましたが、私が子供の頃は、図書館に多くの路上生活者の方々がやってきて一日過ごしていました。

新聞を読んだり、本を読んだり、座りながら寝て居たり、それぞれに過ごしていましたが、他の利用者からのクレームがあるらしく、図書館員の人たちが、対応に苦慮していた感じは、子供ながらに体感していました。

彼らは、入り口の横付近、新聞が置いてある場所に陣取っていました。多い時で7、8人くらいだったと思います。たいてい静かに過ごしているので、何とも思わなかったのですが、新聞を読みたい他の利用者の人にとっては、匂いなどの面でも少し迷惑だったのかなとも思います。

路上生活者の人たちが、図書館を利用してもいいのか?という議論の時に、図書館を避難所にしても良いのか?という考え方が登場します。

路上生活者の人は、実は新聞を読みにきてるのではなく、暖をとりにきているのでは?という議論です。

私は、図書館に暖をとりにきてもいいと思っています。それだけではなく、図書館を避難所として利用してもいいと思っています。

自宅の暖房をつけたらお金がかかるからという理由で、図書館で過ごす人もいるので、暖をとりにきてはいけないという利用規約を書いたら、この人たちは切り捨てられてしまいます。

路上生活者の人たちだけではなく、図書館を避難所として利用している人は、他にもたくさんいるんです。

実は、子供の頃、図書館を避難所として利用していました。
私の場合は、家にいたくないからと言う理由で図書館を利用していました。
どうして家にいたくなかったかについては、ここでは割愛させてください。

小学校4年生くらいから高校生の頃まで、週3日は図書館に通っていました。始めの頃は、家にいたくないから、外へでるのですが、友達もいなくなったので、遊ぶ場所もなく、しかたなく誰でも入れる図書館に行くことにしていました。

図書館に行くと、本があるから時間が潰せます。もともと本は好きだったのですが、図書館にある膨大な数の本を、いくらでも読めると思うと、とても嬉しかったです。

「この本、全部読んでいいんだ。」と思うと、お金持ちになったような感覚になりました。図書館が自分の本棚という感覚です。

通っていた図書館は、絵本の部屋と、子供向けの児童書や科学の本などがある子供専用部屋があり、私はこの子供専用部屋に入り浸っていました。

いつ行っても空いていて、いるのは自分だけという、ひとり占め感も嬉しかった思い出です。
毎回、この部屋にきて、本棚の端から端まで、背表紙をチェックします。この作業に1時間~2時間くらいかけるのですが、これがほんとに楽しかったです。

毎回チェックしているのに、前回は気が付かなかった発見が必ずあるんです。
この楽しい体験をするということで、心を癒していました。
今でも、本がたくさん並んでいる場所に行くと、ホッとします。

その中で気に入った本を手にとり、借りて帰ります。気に入った本があると、何度も借りてしまい、一度、図書館員のおねえさんに、不安を与えてしまったことがあります。

何度も借りた本が「世界残酷物語」というようなタイトルだったからです。(正式タイトルを覚えてない……)
目を潰されて片腕を切られてしまった女の子のはなしとかが、少女漫画チックな挿絵と共に描かれていました。シェイクスピアの悲劇みたな悲劇特集といった趣でした。

図書館員のお姉さんは、いつも一人でやってきて、長時間部屋で過ごし、こんなタイトルの本を何度も借りる子供のことを、たぶん心配していたというか、気にかけてくれていたんだと思います。

でも、そんな素振りは見せません。この「残酷物語」を何度も借りたときだけ、ちょっと困惑した表情をみせただけで、本については何も言及しないのです。「あなた大丈夫?」とももちろん言わない。

お姉さんと会話したのは、「不思議の国のアリス」を何度も借りたときに、「アリスのお話すきなんだね」と言われたのと、「ナルニア国物語」を借りたときに、「『魔術師のおい』から読むと、物語のはじまりから読むことができるよ」と教えてくれたときくらいで、あとは挨拶しかしたことがないんです。

でも、この会話で、「このお姉さんは、わたしがいつも来ていることを知っているんだ。」と思いました。見守ってくれているのかもと。

映画『パブリック図書館の奇跡』を見て、この時の図書館員のお姉さんの姿勢が、図書館員としての鑑のようなものなんだと知りました。

図書館を避難所にしていた私の存在を知っていても、あえて「なぜ来ているのか?」を聞かない。

ヘンな本を何度も借りても「なんでそんなの借りるのか?」と聞かない。

どんな人が、何度でもやってきてもいいし、長時間いたっていいし、どんな趣向の本を借りたっていい。

図書館員として、たとえ子供であっても、利用者の利用できる権利、どんな情報や知識にもアクセスできる権利を行使させてくれていたんです。

ただ、心配はするので、「あなたの存在を知っているよ」と匂わせてくれた。

図書館員=ライブラリアンとして、素晴らしい方だと思います。

話がそれてしまいましたが、本作『パブリック図書館の奇跡』で、エミリオ・エステベスが演じているライブラリアンが、利用者の利用する権利をどうやって尊重するか、気になった方はぜひ映画をご覧ください。

映画の出来事は、リアルな社会では、奇跡のようなものもしれない。
でも、私が子供の頃に見守ってくれていたお姉さんのように、図書館員として実際に素晴らしい仕事をしてくれている人はいる。

ここで、図書館員の方々に賛辞を贈らせてください。
いつも、図書館という場所を守ってくれて、ありがとうございます。

クレイマーのような利用者も多い仕事だと思うので、やってられないと思うこともあると思います。

でも、図書館という存在が、実際に一人の子供の生きる支えとなったことだけは確かです。

だれかの人生を支える場所。

図書館が、特別で大切な場所だということを、私はよく知っています。









サポートは、サークル活動&交流サイトを作る基金に使用させていただきます!