見出し画像

学校の存在意義って?先生のいる意味って?

オンライン学習がどんどん普及すれば
学校にはもう行かなくていいんじゃないの?
なんていう議論が交わされることがあります

いまはちょっと特殊な状況だとは思うのですが
オンライン学習だけでいいのか?
学校へ行くことは必要なのか?
私はこれも「使い分け」だと思っています

知識を詰め込む学びは一人でも出来ますよね
動画教材なんかがあればオンラインでも
むしろ一人のほうが効率的でいいかもしれない

でも学びってそれだけじゃないですよね

友達と触れ合って
意見交換したり思いを共有したり

成長してくればいろんな悩みも生まれますから
そんなとき他の子はどんなふうに思ってるんだろうとか
これって自分だけなのかなとか
そんなモヤモヤを同世代の同じ環境にいる人たちと共有する

これってすごく大事なことだと思うんです

つまり学校がある意味というのは
こういったコミュニケーションや
人間関係づくりの要素はすごく大きいんです

一方、先生はなんのためにいるのでしょう?

とってもよくできたオンライン教材があれば
もう先生はいらないのでしょうか?

これについては前回の記事でも
先生の役割は生徒を信頼し、寄り添うことだと言いましたが
そのために先生がなすべきことは
「気づく」ということです

ちょっとしたその子の変化、信号、兆しに気づくこと
これが出来るか出来ないかが
ものすごく大きいです

なにか声掛けするにしても
「あ、今だ」というそのタイミングを
つかめるかつかめないか

例えばある生徒が
いつもより反応が薄いなと気付けるかどうか

特に思春期にもなればいろんな心の揺れがありますから
そういった微妙な変化にも先生は気づいてほしいんです

疲れてるのかな?
今日はどうしたんだろう?

もちろん詳細はわからなくてもいい
でも「いつもと違う」ということはわかってほしい

そしてその生徒にとって「今!」というタイミングで
適切な言葉がかけられるということが
先生に求められることなんです
もちろんわざとらしくなくね

テストの点数が大幅に伸びたというような
わかりやすい変化でなくとも
努力の兆しが見えたときにその子の「成長」を認めて
「頑張ったんだね」と
そんな一言を言ってもらえたら
生徒からすればどれだけ嬉しいか…!

こんな声かけは「気づき」がなければできないことです
これこそが、本当の先生の役割なんです

でも1クラス30〜40人いたら
そんなのわからないと思うでしょうか?

でもね、たとえば
あなたに同じ職場とか学校とか
それこそオンラインでも
ちょっと気になる人がいたとしら
その人のちょっとした変化って分かりません?

そういうことなんです
つまりは「興味」
生徒のことがわかるかどうかも
生徒にどれだけ関心を持っているかなんです

生徒からしたら
いかに愛を持って見てもらえているかということ

最適なタイミングで最適な言葉で励ましてもらえたら
それは生きる支えにもなるし励みにもなる
どんな叱咤よりもモチベーションが上がることでしょう

そんな先生なら
生徒とも信頼は厚いでしょうし
教室でもオンラインでも
きっと生徒の興味を引き出して
素敵な授業が出来ると思います

どれだけ先生が頑張っても
その学びを自分のものにするのは生徒自身
それを理解し「教える」ということの本当の意味を知っている先生は
生徒ひとりひとりの「やる気」のサインを見逃さない

生徒がやる気になって
「先生、わかったよ!」なんて言ったら
教師冥利につきますよね

オンラインの便利さってもちろんあります
でも、それだけっていうのも少しさびしいじゃないですか
知識だけなら先生がいなくても学べる
でも人生それで良いのかな?ということなんですよ

そのためにぜひ
先生は先生だからこそ出来ること
愛を持って一人ひとりを見つめるということを
してほしいと思います

2022.2.21
下向峰子

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?