"welfare"から"well-being"な福祉へ。
福祉の研究室で学び始めて約一年。まだまだ知識も経験も浅いが、自分なりに「福祉」と向き合う中で少しずつ見えてきたことがある。
元々デンマークのことを研究したくて進学を決めたが、当時は福祉を専門にしようとは全く思っていなかった。縁あって、北欧の福祉を専門とされる先生に出会ったのがきっかけだ。
ある時先生は「福祉や社会保障は困ってる人を救うだけじゃなくて、みんなにとっての選択肢を広げるもの」と仰っていた。
それを聞いて、なるほどなと思った。
デンマークで考えると、出自に関係なく平等な機会を保障する『教育』はその最たる例。労働市場においても、失業した際は手当を給付するだけでなく、教育や職業訓練の機会を与えて、再就職へ導く。知り合いのデンマーク人は、教育や訓練プログラムを使って4回以上も転職をしている。それも全く異なる職種で。その理由を聞くと、自分を成長させることを大切にしているからだという。こうした『フレキュシキュリティ』と呼ばれるシステムは、失業者を救うだけでなく、キャリアチェンジ/アップの機会にもなっている。
一見これらは教育や労働政策の分野に思えるが、"選択肢を広げる"という意味では、福祉の一環としても捉えられる。
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慣用句的には「福祉=困っている人を助ける」という意味合いが強い。狭義の福祉では、困った状態になってから、事後的に一時的な救済措置を行う。しかし先に述べたように、福祉のあり方はこれだけに留まらない。保護される対象ではなく、自らが主体者となり、誰もが福祉を通して自己実現をする未来は既に現実となりつつある。
私の所属する研究室では、障害者の雇用や余暇活動、ひとり親家庭の支援、高齢者の住まい、貧困地区における孤独等、それぞれが様々なテーマに取り組んでいる。
一見ばらばらに見えるが、支援を考えるにあたり共通のキーワードとして「その人らしさ」「当事者参加」「コミュニティ」がある。ただ給付して終わりではなく「持続的にその人らしく生を営むにはどうすれば良いか?」まで考えると、行き着くところは、当事者が主体となって社会に関われる環境づくりや、他者とのつながりを作る支援であったりする。
私は、そもそも福祉の対象とされてこなかった「若者」を対象に、多かれ少なかれ誰もが抱える"生きづらさ"を、社会の構造的な問題と捉えて、それを解消するための支援の可能性について考えている。興味をもったきっかけは、デンマークのエフタスコーレ(Efterskole)という学校。10代後半の若者が仲間と共同生活を行いながら、文化活動を通して自身を見つめ直す。まだまだ研究の必要はあるが、私の中でエフタスコーレはまさに、自己実現の福祉の一つの形である。
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中村(2004)は、従来の救貧措置としての福祉をwelfareとし、それと区別される福祉観として、well-being(=自らが望むライフスタイルを構築し実現できている状態)を挙げ、次のように述べる。
ーwelfareからwell-beingな福祉へ
旧来のwelfareのあり方を否定する訳ではなく、well-beingを達成する土台として、これからもなくてはならない。ただ、福祉にはマイナスをゼロにするだけでなく、ゼロから100にも200にもする可能性があると思う。
混沌とした時代の中で、従来の価値観が大きく変わり、経済成長や一つのライフコースだけが「幸せ」とは言えなくなった。「一人ひとりにとっての幸せとは何か」が模索される中、福祉はその足がかりとなって、そっと背中を押してくれるだろう。
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参考文献:中村俊也.2004.「ウェルビーイング実現へのアクセスとしてのソーシャルワーク実践」『社会関係研究』第10巻第1号105-129.
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