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デンマークの若者の宗教観。

先日、デンマークの高校生と「宗教」をテーマにオンラインで交流する機会があった。高校の宗教の授業の一環で、日本の神道や仏教について学んでおり「日本では宗教が日常生活にどのように根付いているのか」を聞きたいとのことであった。

とはいえ、むしろ私の方がデンマークの高校生から多くを学ばせてもらった。私のデンマーク語力が不十分で、彼らの話がすべて理解できたわけではないが、聞き取れたことから「デンマークの若者の宗教観」について書いてみたい。

その前に基本事項であるが、デンマークの国教はキリスト教プロテスタント(福音ルーテル派)で、国民の73.2%がデンマーク国教会(folkekirken)に加入している(Danmarks statistik 2022)。

イスラム教は国民の4.4%と少数派であるが(Tjekdet 2020)、その数は増加しており、国内にはモスクやムスリムのフリースクールなども存在する。


それでは本題に。

私のグループにはデンマークの高校生7名がいて、そのうち6名がクリスチャン、1名がムスリムのメンバーであった。

まずは高校生の方から自分達の宗教について話してくれた。事前にこちらが用意していた質問に、一人ひとり答えていく形式であった。

ー洗礼/堅信礼(konfirmation)は受けましたか?
(キリスト教の通過儀礼のこと。一般的に乳幼児期に受けるのが洗礼、洗礼を受けた者が14-15歳ごろに新ためて信仰の意を表明するのが堅信礼)
ー結婚式はどこで挙げたいですか?
(デンマークではクリスチャンの場合、教会か市庁舎で挙げるのが一般的)

といったシンプルな質問から

ーキリスト教/イスラム教の良い点は?あまり良くないと思う点は?
ー願いを叶えたい時に何を使いますか?(神様にお願いするか?)

と反対の立場であれば、ちょっと考え込んでしまうような質問にも、すぐに答えが返ってきた。デンマークでは当たり前のことだが、年齢を問わず、自分の意見をしっかりと述べることのできる姿にはいつも感心してしまう。


まずはクリスチャンの高校生の回答から。

5人は洗礼も堅信礼も受けたといい、1人は洗礼は受けたが、堅信礼は受けていないとのことであった。

堅信礼は先ほども述べたように、14-15歳ごろに新ためて信仰の意を表明する儀式であるが、どちらかというと日本でいう成人式のような「お祝い」としての意味合いが強いようである。

それ以外に教会に訪れる機会としては、結婚式やお葬式の時と、クリスマスが挙がり、このグループでは、毎週教会に通う者はいなかった。

「熱心に信仰している」というよりも、キリスト教は「文化的なもの」という感覚であるとの意見が多く聞かれた。と同時に「"隣人愛"などキリスト教の基本的な価値観には共感するし、デンマーク社会に通底する価値観だと思う」と述べる者もいた。

「キリスト教のあまり良くないと思う点は?」という質問に対しては、「ルールが決まっていること」「同性愛やジェンダーについての考え方は、現代に合わせていくべき」などの意見が聞かれた。


ムスリムの高校生は、パキスタンにルーツをもち、育ちはデンマーク。彼女にとってイスラム教は「生活の大きなパートを占める」という。幼少期より家庭で日常的に宗教の話をして育ち、高校生になってからは自分でも調べ、理解を深めるようになったそうだ。

「イスラム教はお酒がだめ。豚肉がだめ。たくさんの教義があって大変なように思うかもしれないけど、私にとっては平和ややすらぎを与えてくれる教え。イスラム教の好きなところは、いつも答えを見つけることができるところ」と話してくれた。

コーランを原文のアラビア語をで読むのは難しいというが、アラビア語の読める友人に翻訳してもらったり、翻訳や読み方を表示してくれるアプリを使っていて、実際に見せてくれた。「試験の前などはコーランの一節を唱えると心が落ち着く」そう。

そのほかにも、イスラム教の歴史を簡潔に教えてくれたり、家では猫を飼っていて、イスラム教では猫が神聖な動物であることを、嬉しそうに話してくれた。


話し合いの中で特に印象に残ったのは、クリスチャンの1人が「デンマークでは小中学校の授業の一環で教会に行く機会があって、ムスリムの子もキリスト教の文化を学ぶことができる」と話した時。

ムスリムの高校生が何かつっこみを入れたので、私は若干緊張感を覚えたのだが、内容を理解するとすぐに「それはとても良い機会だと思う」と述べた。

彼女は幼少期に教会へ行って牧師さんと話したり、コーラスのグループで活動していた経験もあるという。「ムスリムの中にはキリスト教について誤解をしている人もいるけど、それぞれの宗教に敬意を示すのが大切だと思う」と述べた。

私がもし彼女と同じように、その場で一人だけみんなと違う宗教を信じる立場であったらどうだろう。彼女のように堂々と自身の宗教について語り、隣の人の信じる宗教に、面と向かって敬意を示すことができるだろうか。

もちろん、同じクリスチャンでもキリスト教に対する考え方はさまざま。7人の高校生の話し合う姿勢からは、ムスリムの彼女が言うように、お互いの宗教観に対する敬意をしっかりと感じることができた。

そしてそれは、私が日本の宗教の話をする際も同様であった。日本の神道・仏教、神社やお寺、宗教にまつわる慣習について話すと、高校生たちは興味深そうに聞いてくれた。

特に結婚式について「日本では原則、神社でも教会でも個人が自由に選ぶことができて、私の周りではクリスチャンじゃなくても、教会で挙げる人の方が多い感じがする」と話すと「神道を信じていても教会で挙げられるの!?」と驚きを見せる者もいた。


個人的な神道・仏教との距離感としては、クリスチャンの高校生が話したように「文化的なもの」という感覚に近い。神社に行く機会と言えば年に一度お正月に行く程度。ただ「神道や仏教が日本社会に通底する価値観であると実感するか」と言われればどうだろう… そこは少しクリスチャンの高校生の感覚とは違う気がする。

そもそも私自身、宗教に関してあまりに知らなすぎるなと改めて感じた。もっと神道や仏教について学んだら、先ほどの問いへの答えも変わってくるかもしれない。

また、ムスリムの高校生の話を聞いて、少しだけ羨ましさを覚えた。彼女にとってイスラム教は「どのように生きるのか」の羅針盤のようになっていて、そういうものを「宗教」という形では持っていない私にとっては、生き方に迷ったとき「何を拠り所にすればよいのか」と悩むこともある。

とはいっても、クリスチャンの高校生もイスラムの高校生も「願いを叶えたい時に何を使いますか?」という質問には、(少し神様にお願いすることもあるけど)「自分の頭で考えて行動する」という意見が多く、結局拠り所にすべきは自分自身なのか… と思い直した。

デンマークの若者の宗教観、そして、自分と宗教との関係性についても見直す貴重な機会となった。

【参考文献】
Danmarks statistik, 2022, "Laveste antal udmeldinger af folkekirken i 15 år.", (Retrieved February 25, 2022, https://www.dst.dk/da/Statistik/nyheder-analyser-publ/nyt/NytHtml?cid=38368#:~:text=faldende%20andel%20folkekirkemedlemmer-,1.,andelen%20af%20folkekirkemedlemmer%20v%C3%A6ret%20faldende.)

Tjekdet, 2020, "Hvor mange muslimer er der i Danmark?", (Retrieved February 25, 2022, https://www.tjekdet.dk/indsigt/hvor-mange-muslimer-er-der-i-danmark)

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