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脳の多様性を認めるってどういうこと?

脳の多様性を認めるっていうことは、
「発達障がい」は存在しない、と考えるってことです。

えっ、だって世の中は「発達障がい」がどんどん増えてるんじゃないですか?

発想の逆転ってことですね。

脳の多様性を認めることで、
従来までは「発達障がい」とされる特性を、個性として捉えることで、
社会が受け入れていくベースをつくっていく、という意味があると思います。

というのも、これだけ「発達障がい」という人が増えてくると、
「障がい者」だらけということになってしまう、
そこで、「発達障がい」もひとつの個性と認めないとならなくなってきた
というと皮肉にすぎるでしょうか。

どれだけ増えたかは統計的には示しませんが、
ここ20年で倍近くになっています。
詳しくは以下のページなどをご参照。
「発達障害の割合は? “増加”とされる背景と、診断や支援の考え方」

発達障がいとされる人が増えてきた要因には、
診断基準が「整備」されたという要因もあるでしょう。
病気は診断基準によって定義されますので。

なんで診断基準が整備されたの? ということも問題になるでしょう。
社会からの必要性があったことと、
診断基準で得をする人もいる、
というのも考えておく必要があるでしょう。
(ここでは深堀しませんが)

「発達障がい」とされる人が増えたのは、
社会構造や労働条件が、昔より生きづらい社会になっている、
ということもあると思います。
その理由は、産業構造の変化が大きいと思います。

ほかに、発達障がいとされる人が増えてきた要因には、
環境毒素とか、環境ホルモンとか、言われている化学物質が
ばらまかれている要因があることも、見逃せないことです。
農薬とかですね。これはこれで非常に問題だと思います。

しかし、現状増えてしまった「発達障がい」に対しては、
すぐに減らすということはできません。

ではどうやって社会が受け入れられるように対応すればいいのか、

そこで、脳の多様性、あるいはニューロ・ダイバーシティの登場です。

繰り返しになりますが、
これは、神経系や脳の機能の違いを、個人の特性や個性として尊重し、
多様性の一部として捉える考え方を表す言葉です。

つまり、ニューロ・ダイバーシティは、
神経学的な違いを持つ人々の多様性を尊重し、
その違いを病気や障害として(だけ)でなく、
単なる人間の多様性の一部として捉える概念です。

この考え方は、自閉スペクトラム症(ASD)、注意欠陥・多動性障害(ADHD)、学習障害、トゥレット症候群などの
神経発達や神経精神的な状態に関連しています。

いろいろな人の脳や神経の特性を、個性として考えることは、
個人的にもとてもありがたいことだと思います。
自閉スペクトラム症で言うと、男性の方が女性より4倍、
発生頻度が多い
とされます。

私自身、かなり「個性のかたまり」ですから。
その傾向の例外ではないと思っています。
少なくとも集団に馴染むようなタイプの人間ではないので。
空気を読むのはとんでもなく苦手、
わが道を突っ走るというタイプですね。

それを、脳の多様性とか、ニューロ・ダイバーシティって
言ってくれた方が、傷つきが少ないし、人生に希望がもてる感じはします。

ニューロ・ダイバーシティの概念を最初に提唱したのは、
オーストラリアの社会学者であるジュディス・シンガーです。
1990年代後半に、シンガーはこの用語を用いて、
発達障害や神経の違いを病気や障害として捉えるのではなく、
人間の多様性の一部として捉えるべきだと主張しました。
彼女の考えは、神経の違いを病理化するのではなく、
価値ある多様性として認識することを目指しています。

以下の本を読みながら、
ところで「ニューロ・ダイバーシティ」ってどういうことだっけ、
と思って調べ始めたら、記事一本分になってしまいました。

『発達障がいからニューロダイバーシティへ』
副題:ポリヴェーガル理論で解き明かす、子どもの心と行動
モナ・デフラーク著、花丘ちぐさ訳(春秋社)

この本は、子どもへの見方を神経生理学的な観点に変えれば、
子どもの行動を理解しやすくなるし、対応も変わってくる、
という本です。

この本についてはまた機会をあらためて。

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