私が働く理由

小さい頃から、「手に職をつけなさい、何かあっても困らないから」と言われて育ち、一応、国家資格を取得して、10数年医療現場で働いている。
両親からの導き?もあってか、「働きたい」「稼ぎたい」「社会に出たい」「自立したい」と中学生くらいから思っていた。少なくとも幼き私の選択肢に「専業主婦」はなかった。(今では憧れもあるけれども…)

働き始めた10数年前、私は口では「名を馳せるとかそんなたいそうなこと…細々と長く働ければ満足です」と言っていたのだけれど、心の何処かでは「私はこの職場で必要とされる存在になる!!!職場の中で選ばれる人間になる!」と野心を燃やしていた🔥
そんな思いもあってか、積極的に勉強会に出た方だし、社会人になってから大学院に行き直したりもしたのだ。(もちろん、私よりすごい人、知識の深い人なんて五万といるのは承知。)

ずっとずーーーっと何かに追われるように働き、学び、それでもどこかで満足できず、不満が爆発して「何のために働いてるのか?」と自問自答を繰り返す日々。
承認欲求も爆発してたのも事実。
でもそれ以上に、ホントのホントのホントの意味で「働く意義」を理解してなかったのだ。
「ホントのホントのホントの意味で」って頭で理解するとか理由を見つけるとかそういうのではなく。
「これがしたいから後のことは別にどうでもいい」って思える感覚。
例えば、「お金を稼ぎたい」というのが自分のホントの働く意義だったとしたら、働く環境や手段は気にならない、我慢してる感覚にもならない、そんな感覚といえばいいのだろうか。
この感覚がふと湧いた、「私が働く意義」は「全力で目の前の患者さんと関わり、サポートすること」だった。
え?医療職として当たり前じゃない?
と思った方もいるだろう。私自身もそう思う。
でも、日常に追われたり、(無意識にでも)視点が外に向いていると、そんな当たり前のことでさえ忘れてしまうのだな、と。
働いていて苦しいとか、お金もらってるんだから我慢は当たり前だよね、とか、完璧な職場なんてないしとか、これまで、自分なりにいろんな分析もしてきたけれど。結局、自分が何を見ているのか、何を見ようとしているのか、そこにしか答えはないのかもしれない。
その答えは、実はとてもシンプルで、誰かから何を言われようとも揺らがないもの。
そこにいいも悪いもない。(例えば、「お金を稼ぐため」って何となく言いづらい風潮がある気もするが、本気でお金を稼ぎたいと思ってるならそれでいいじゃないか!そんなイメージと言えばいいのだろうか?)
働きたいから働いている
やりたいことがあるから働いている
私の答えは実にシンプルだった、そんな気付き

あ。だからと言って、何にも腹が立たないとかそういう意味ではないのであしからず。
人間だもの、同僚や会社のシステムに腹が立つこともあるが、ソレに振り回されなくなった感覚なのだ。理解し合おうとして手を尽くしても無理な時、自分の働く理由を思い出して次の行動をとればいい、そんな軽やかさも同時に手に入れたのかもしれない。


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