承認欲求1

自分の感情や思考の整理をしていると、何となくスルーしてしまうこととか、もっと深いところへ…とこだわってしまって、なんなら、深く潜ることが目的になってしまって、ふと湧いた感情や感覚や思考をないがしろにしていることがある。
だから気付けることもあるし、それが悪いことではないのだけれど。
スルーしていることは永遠にループして手を変え品を変え目の前に現れるわけで。
その最たるものが私の場合、
「承認欲求」。
インスタの投稿でも、何回でてきたかわからないくらい承認欲求に関する気付きは多い。
のに、そこをまだサレンダーしてないので現実として現れている…

今回、承認欲求をもう一度取り上げようと思ったのは、私の中で
承認欲求≒かまってちゃん≒ネガティブイメージ
だったことに気がついたからだ。
「承認欲求がある私」を私が認められていなかったのだ。
冷静に考えた時、頑張っていることを誰かに認めてほしいって思うことは至極普通のことなのでは?と思ったのだ。
それは良いことでも悪いことでもない、私の感情と感覚であって。それを、誰かに押し付けるから「かまってちゃん」と私が認識していたのだと思う。
承認欲求を満たしたいなら自分で満たせばいい。ただそれだけ。
承認欲求が悪いわけじゃない。
その出し方や満たし方が大切なのだ。なんだかすごく当たり前のことなのに、承認欲求≒ネガティブイメージ になっていて、湧いてきた瞬間無意識のうちに感情から消去していたな、と、思った。

今日も働いた私、がんばったね。
今日も家事した私、がんばったね。
今日は身体を休められた、自分を労って偉いね。

いくらでも自分を認めて、癒して、愛してあげればいいじゃないか!
そんな、気づき。

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