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【連載小説】「執事はバッドエンドを導かない」第十七話

 朝七時。カインはレイラの部屋へ朝食を持参した。

「おはようございます。レイラお嬢様」
 銀のプレートの上には、今朝もセオの用意した温かい朝食が並ぶ。焼きたてのクロワッサン、スクランブルエッグ、そして特注のクラムチャウダー。レイラが偏食なのか、滅多に島に食料が調達されないためか、食事のメニューは変わることはない。

「……」
 紅茶を白磁のティーカップに注いでいるカインの横顔を、ベッドから上半身を起こしたレイラがじいっと見つめた。

「ねえ、今日は何をするの?」
 レイラの「本」を握る手に期待を込めた力が入る。

「今日も変わらず、仕事を全うするだけですよ」
「たまには、一人で外に散歩にでも出掛けてみたらどう? 崖に上って際から海を覗いてみると、波が弾けているのが見えて綺麗だと思うの」

「残念です。昨夜すでに散歩に行き、崖から花を摘んできたばかりです」
「それじゃあ、古代のオリエンタルな壺が並ぶ部屋の掃除はどうかしら。木乃伊ミイラを作る時に臓器を分けて保存していた壺があって、壺の頭には神々の顔が彫られているのよ。とても素敵だと思わない?」
「きっと背筋が涼しくなるような空間ですね。けれど、申し訳ありません。本日は、新しいハウスメイドに屋敷を案内し、仕事を説明しなければなりません」

「新しいハウスメイド?」
「ええ。朝食後、ぜひお嬢様に挨拶をさせてください。アメリアと言います」
 カインが「アメリア」と名を呼ぶと、レイラは胸部の中心に違和を覚える。いつの日か父が持ちかえった薔薇の花の棘を指先に刺した時のような、一瞬の小さな痛みだった。

「いいわ。朝食はもういいから、そのハウスメイドを呼んで」
「かしこまりました。少々お待ちください」
 レイラがアメリアに全く興味を示さないことも想定していたが、どうやらそうでもないらしい。カインは朝食の皿を全て回収すると、深くお辞儀をしてから部屋を出た。

「カインさん、お嬢様の様子はどうでした?」
 扉の目の前で待ち構えていたのは、セオだった。

「どうやら、新しいハウスメイドに興味はおありのようで。もし、『何かありましたら』私が対応します」
「いやあ、カインさんがいてくれて、本当に心強いですわ。オイラは安心して畑の手入れに集中できます。こう雨が多いと、貴重な野菜も湿気にやられちまいますからね」
 カインに任せられると踏むと、セオは満面の笑みで「それじゃあ、今日も頑張りましょう」と言って、朝食の残りが載ったプレートを丸ごと引き受ける。

 鼻歌混じりに去っていくセオの残り香には、微かに甘い香りが混じっていた。それは常人には感じられない程度のものだが、カインはその香りと同じものを、これまでにもレイラの部屋でほのかに感じた気がした。


「それにしても、可愛らしいお嬢様でしたねぇ。お会いできて、嬉しかったな~」
 栗色の髪をお団子に結い、ハウスメイド姿に着替えたアメリアは、カインの後を歩きながら、レイラと挨拶した時のことを思い返して愉悦に浸る。

「そうですか……」
 レイラがアメリアによい顔をしていなかったことは、カインの目にも明らかだった。
 レイラは闇夜色の瞳に殺意に近いものを宿し、最初から最後まで彼女を睨みつけていた。呼び出したにも関わらず一切口をきかず、終いには昨日活けたばかりの「ロンドローザ」の花を投げつけ、カインともども部屋から追い出してしまう始末だった。
 だが、どうやらアメリアにとってはそれも熱烈な歓迎であり、ウェスト卿の一人娘に会えた喜びがどんなことも肯定的なものへと変換してしまうらしい。今、この瞬間も、レイラがよからぬ視線で二人を追いながら、例の「本」に何かをひたすら書き込んでいることを彼女は知らない。

「アメリア、そちらではありません」
「ああ、すみません! 珍しいものがあって、つい~!」

 彼女はセオと同様、ウェスト卿にはただならぬ想いがあるようで、彼に似た肖像画を見つけると勝手に吸い寄せられていった。絵の前で何かをぶつぶつと呟いては、丁寧にハンカチで額縁の埃を拭い始める。
 見かねたカインが「それでは、先にこの階にある旦那様の部屋を案内しましょうか。清掃を担当していただけますか」と言うと、彼女は突然泣き出してしまった。

 号泣するアメリアを目の前に、「女は面倒だ……」と心内で呟くと、カインの脳裏でジョーの声がした。

「カイン、執事の仕事は護衛ができればいいってもんじゃない。特に、ハウスメイドや女たちを見ておけよ。情報を握っているのは女だぜ。女は方向と機械に弱い。お前は若くて顔がいいし、困っているところを助ける体で近づけば、向こうから勝手に屋敷内の事情を話して、こちらの思う通りに動いてくれるだろうよ」

 今の会社で働き始めた頃に教育係をしていたジョーは、カインに執事の基本を覚えさせ、加えて金持ちの護衛仕事に特化させるよう指導した男だ。当時三十一歳だった。

「ジョー。偏見はしない主義だって言ってなかったか?」
「いや、これは偏見じゃない。情報集めに近づくにしたって、適当な林檎を差し出したところで『私のこと分かってないのね』なんて思われたら、こっちが見くびられるんだ。女は何が苦手で何に弱いのか、それを把握するのは適切な林檎を渡すためさ」

「女は」と一括りにしている時点で、それこそ思い込みにはまっているのではないか。とカインは思ったが、それ以上は言わず「分かった」とだけ返事した。ジョーが話すことは適当なことも多いが、思わぬところで役立つことも少なくなかったからだ。

──だが、この場合の適切な林檎って何なんだ、ジョー。

 対処が分からないままアメリアに今日四枚目のハンカチを手渡すと、カインはちょうどアメリアの襟元を目がけて天井から伝い降りようとしている小さな毒蜘蛛を数匹見つけた。すぐさま長さ四センチの虫ピンを投げ、標本のように壁に留める。
 すると同時に、アメリアが足を下ろした階段がぐにゃりとひずみ、バランスを崩した彼女の身体がくうを舞った。

「きゃあ!」
 叫び声を上げたのは、レイラだった。

 カインは素早く階段の踊り場へ移動すると、落ちてきたアメリアをふわりと受け止める。
「大丈夫ですか」
「は、はい~! びっくりしましたぁ」
 カインに抱きかかえられたまま、アメリアはほっと胸を撫で下ろした。

 二人の姿を物陰から見ていたレイラは、安心した途端、胸にむかむかしたものが込み上げてくるのを感じる。
 初めて会った時から、ハウスメイドには邪魔なあの豊かな胸が気に入らなかった。ミステリー小説で殺されるのも、誰かに護られるのも、大事な役目はいつも身体にメリハリのある柔らかそうな女だった。カインにとっても、きっと……。

「何よ、仕事だなんて嘘じゃない。……もう知らない!」 

 レイラは「本」を勢いよく閉じると、踵を返して来た道を戻って行った。
 カインはそれに気づいていたが、すぐにアメリアが立ち上がり、さっさと前を歩き出したため後を追わざるをえない。

「さ、カインさん、先に進みましょう~! 旦那様の部屋はこの先なんですよね」
「そうですが……。だから、勝手に扉を開けないでください」
 アメリアはカインの言葉に耳を貸さず、適当な扉を開けて部屋の中へと入ってしまう。

 その時、「まただ」とカインは思った。
 この屋敷には三十近い部屋があるが、それまであった部屋が突然なくなり、なかった部屋がいつの間にか現れることがある。昨日現れた亡霊の図書室も今日は存在を隠し、こうやって新たな扉が姿を見せるのだ。

 アメリアを追って部屋に飛び込むと、四体の鎧像以外には窓も家具も時計もない、白い壁に囲まれているだけの長細い空間があった。妙な気配を感じ取り、カインは急いで今来た道を戻ろうとするが、すでに扉からドアノブが消えている。

「アメリア、早くこちらに。扉の方に戻ってください」
「え?」

 こういった時に待ち構えているもの。──それは「罠」だ。 

 どこからともなく「ズズズズ……」と低い音が聞こえ始めると、天井からぱらぱらと破片のようなものが降ってくる。音はたちまち地響きと化し、部屋の四隅に佇む鎧の騎士らを足元から震わせた。


(第十八話へ続く)


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