【連載小説】「執事はバッドエンドを導かない」第十八話
「じ、地震ですか~⁉」
アメリアは鎧像の一つにしがみつき、涙目になっている。
自身を覆う影が色を濃くしていることに気づき顔を上げると、コンクリートの天井が二人を圧し潰そうと迫っているところであった。
「ぎゃ~~~‼」
アメリアが叫ぶと、狭い室内に悲鳴が反響する。
とうとう扉は消え、四方を壁に囲まれてしまった。カインはアメリアを抱えて部屋から脱出するのを諦め、近くの鎧像の腰から真剣を抜き出す。
「天井を砕く」
そう決断すると、幅三メートル、奥行き五メートルほどある天井の中心点を見定め、顔の前に剣をかざした。
カインが足を踏み切ろうとした、その時──。
それまで半泣きになっていたアメリアが、すっくと立ち上がり、両腕をまっすぐ天井に掲げた。
「──ふん!」
アメリアが気合いを入れると、下へ進もうとしていた天井板が彼女の手のひらの上でぴたりと静止する。
「う~ん……、たぁ~~‼」
肘を曲げて力を溜めると、なんとアメリアはそのまま天井を上階へと投げ飛ばしてしまった。上階では天井板の着地と同時に土煙が舞い上がり、やがて塵がちらちらと細雪のように二人に降り注ぐ。
アメリアは、すぐに「しまった」という顔をカインに向けた。
「あ、あの! その、力持ちってことを隠していたわけじゃないんですよぉ! 旦那様は知ってますし、折を見て話そうって思ってただけで~!」
唖然とするカインの背中側で、出口の扉が開く音がする。
「ひとまず、この部屋から出ましょう。そろそろ、お嬢様の夕食の仕度を始める時間です」
カインはいつもの笑みを作り直すと、剣を鎧像に返し、今日五枚目のハンカチをアメリアに差し出した。
「あ、そうだ!」
何かを思い出したように、アメリアがカインを引き留める。
「これをお嬢様に渡してもらえませんか。お嬢様の好きな小説の最新刊が発売されたので、お土産に持参するよう旦那様から頼まれていたんです」
アメリアはエプロンのポケットから文庫本を取り出すと、カインに手渡した。
「ミステリー小説ですか」
「このシリーズ、知ってます? 隣国同士がまだ戦争をしていた時代が舞台なんですけど、戦火に巻き込まれた少年たちがこの国に逃れ、謎の事件を解決しながら一見平和なこの国の陰謀を暴いていく……、というストーリーなんです。もう十年も続刊しているんですよ」
「かしこまりました。必ずお渡ししましょう」
パラパラと小説のページをめくると、ようやく彼は、ある「確信」を得たのだった。
「それでぇ、旦那様はこう言ってくれたんですよぉ。『この国は幸い戦争に巻き込まれなかったけれど、まだまだ不安定な時代が続くから君のような子が必要なんだ。平和な時代を迎えるには、君がいてくれたらとても心強い』って。まだ十歳だった私の怪力を見ても旦那様は恐れずに、むしろ、その可能性を信じてくださったんです~! 私は、それはもう嬉しくて。あの時のことは、今でも忘れません~」
カインがキッチンで遅めの食事をとっていると、アメリアは赤ワインを片手に昔話を始めた。グラスの半分ほど酒が入ると、彼女は饒舌になり、泣き上戸を見せる。
「私が一番嫌だったのは、私の力が『普通じゃないこと』を八歳になるまで家族に隠されていたことなんです。随分田舎で暮らしていたので、それまで自分が『普通じゃない』なんて、気づくことができなかったんですよぉ。だから、父や母が私のことを恥ずかしいと思っていることを知った時の悲しさと言ったら、それはもう。ぐすっ」
「けれど、ご両親が告げなかったのは、あなたを傷つけないためでは」
「そうかもしれませんねぇ。父も母も優しい人ですし、責めるつもりはないんですよ。でも、美人な姉と比べられて、恥ずかしい子どもだって思われているに違いないって思ったら、うまく人と話せなくなってしまって。隠し事ばかりじゃ友達もできません」
「それは、自分が傷つくと分かっていても、本当のことを知りたかったということでしょうか」
「う~ん、そうですねぇ……。もし旦那様と出会えてなかったら、男の人よりも力があることに失望して『お嫁にいけない』なんて、ずっと田舎で泣いていたかもしれませんね。でも、この力のことを知って後悔することはなかったんじゃないかなぁ。他の人より力持ちだったとしても、ほら、さっきみたいに『こんな私でもできることがある』って思えたら、それは私の『誇り』になるんです。自分の嫌いを好きになると、不思議なことにもっと力が湧いてくるんですよ。だから私、本当のことを知れてよかったですし、もう隠そうとは思わないんです。この力のことを、お嬢様にもお話しようと思っているんですよ」
「何か酷いことを言われるだけかもしれませんが……」
「あら、それは分かりませんよ。私のことを話したら、お嬢様も自分のことを話してくれるかもしれないし、それに、どんなことを言われても、私はもう私自身を恥ずかしいとは思わないと決めているんです。だから、大丈夫なんです」
いつの間にかアメリアの涙は止まり、代わりに満面の笑みをカインに向けていた。
カインは、ぼんやりと昨日見た妹の亡霊を思い出す。
あの子は、どうだっただろう。貧しい中で俺がどうやって食べ物を持ちかえることができたか、その理由を知りたかったか。自分の運命を、俺の口から知らせてほしいと思ったか。
──あの子の名を思い出せないのは、肝心なことを告げなかった俺への報復だろうか。
静かに夜は更けていく。今夜は半年ぶりに爪先ほどの細い三日月が雲の隙間から顔を見せていた。
その晩、レイラはカインを部屋に入れず、一人、鏡の前で自身の顔を見つめていた。昼間目の当たりにした、カインがアメリアを抱きかかえる姿が脳裏から離れず、未だ眠りにつくことができないでいる。
「静けさも暗闇も雷鳴も。今までずっと、私のものだったのに……」
カインが屋敷に来た日から、レイラは自身の心臓が脈打っていることを自覚せずにはいられなかった。
銀色の前髪の隙間から覗く銀灰色の瞳の奥には、闇よりも深い、永遠の如き時間が秘められて、視線を感じるだけで胸が苦しくなる。美しく、恐ろしい彼が姿を現わすと、切なく、苦しく、そして、嬉しくて仕方がなかった。
これまで過ごしてきた時間は、一体何だったのか。これが「生」なのだと、生まれて初めて思い知らされた。
それなのに、ハウスメイドの女が現れてからはどうだろう。彼が「アメリア」と彼女の名前を呼ぶと、傷みばかりが心を侵す。彼らは館に散りばめられた陰気な雰囲気をぶち壊し、極上の暗幕を無慈悲にも陽に晒すような、強烈な衝撃をレイラに与えた。
「……これは、毒だわ。カインも、この味を知ればいい」
レイラは机上に「本」を広げると、万年筆を握りしめる。傍らには、密陀僧の色をしたハーブティーが今日も添えられていた。
レイラは睡魔が訪れるまで、ひたすらに物語を書き続けた。
(第十九話(Ⅵ 天使の呼び声)へ続く)
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