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【連載小説】「執事はバッドエンドを導かない」第十五話
「セオさん」
キッチンで夕食の後片付けをしているセオに、カインは声を掛ける。
「はい、どうしました?」
セオは振り返り、いつもの屈託のない笑顔を向けた。
「……誰かをお慰めする時には、人々は何をするものなのでしょう。教えて頂きたいのです」
予想外の問いにセオは一瞬驚いた顔を見せたが、すぐにカインの元へ駆け寄って抱きしめる。
「わあ、初めてオイラに相談してくれましたね! すごく嬉しいです!」
「先日、分からないことは聞いてもいいとおっしゃっていたので……」
セオの両手には洗い途中の皿と石鹸泡のついた束子。カインはセオを避けることもできたが、危害はないと判断してそのままを受け入れた。
「いやあ、何が理由でも嬉しいですわ。やっと先輩らしいことができるというもんです。それより、誰かを慰めたい時にどうするか、でしたね」
セオの腕が、ようやくカインから離れる。
「ええ。要望を聞くこともできるのですが……」
「できれば聞かずに考えたい、サプライズしたいということですね!」
セオは顎の下に指をあてて少し考えた後、何か名案を思いついたとばかりに目を輝かせた。
「例えば、こんなのはどうですか? 花を贈るんです」
「……花」
「そうです。毎日こんな天気ですからね。たまには綺麗な花でも見られたら、気分も変わるというもんですよ」
「セオさん、教えて頂き感謝いたします」
「いいんですよ。これからも、何でも聞いてください!」
「では、行ってまいります」
「行くって、こんな時間にどこへ?」
「少々散歩に」
カインは食事もとらぬまま、雨の降りしきる夕闇へと消えていった。
午後十時。カインはレイラの寝支度を整えるため、彼女の部屋にいた。レイラの長い髪を丁寧に櫛で梳くと、手際よく纏めてシルクのナイトキャップの中へと収める。
「……ねえ、カイン。この花、綺麗ね。そう、確か名前は……『ロンドローザ』」
レイラは『本』を抱えていない方の腕を伸ばし、鏡台の上の花瓶に活けた花の花弁を指で撫でる。
「ご存じでしたか」
「ママは、この花が好きだったらしいわ」
「『ロンドローザ』の花言葉は、『荘厳』。華やかで、岩場にも咲く強い花でございます」
「それに、『危険』という意味もあるわ」
「枝の先に集まる花弁はドレスを広げたように美しく、それは鮮やかな紅色をしていますが、根から茎、葉から花の蜜に至るまで、血圧低下や眩暈、時には呼吸困難を引き起こすことのある毒を含んでいますね」
「そう。きっとママは、そんな気高く美しい人だったの気がするの。昨日のことでさえ、何かをぽっかりと忘れてしまうことがあるのに、おかしな話ね」
「……お嬢様は、時々、お母様を思われて寂しくなりますか」
「寂しい? 寂しいって何? ママとは生まれてすぐに別れているのよ。そんなこと、思ったこともないわ」
レイラは、「そんなことはどうでもいい」とばかりに大きく花の香りを吸い込むと、紅い花をひとつ摘まみ、がくの部分を外してから蜜を口に含んで味わった。
「もう用は済んだから、戻っていいわ」
そのままベッドの中に潜ると、静かに眠りにつく。
──お嬢様は、「別れ」の意味を知らずに生きている。
レイラの寝顔を見守りながら、カインはそう確信した。
彼女がミステリー小説のような不可思議な出来事を書き続けることに何か意図があるのか、それとも、寂しさを知らない彼女にとっては単なる遊びに過ぎないのか、その真意は分からない。
だが、人々が恐れるものを恐れず、ただ無邪気に愛でることのできる彼女がこのままいられるならば、あえてその意味を知るは必要ないのではないか、とカインは思う。
長い間繰り返された隣国同士の戦争のことも、裏の世界を渡り歩いた兄の姿も知ることなく、幼い少女のままこの世を去った名を思い出せぬ妹のように。恐れを知らず、どこまでも清らかなまま……。
「それでは、明日も平和な一日を。おやすみなさいませ」
そう告げると、灯りを消して部屋を出る。
開きかけた記憶の扉に再び鍵を掛け、カインは長い廊下を帰っていった。
(第十六話(Ⅴ 新しいハウスメイド)へ続く)
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