【連載小説】「執事はバッドエンドを導かない」第十三話
午後になると雨風が止み、珍しく曇り空となった。
「肖像画の手入れをするか……」
風のない日であれば窓を開け、絵画の塵や埃を払いながら、薬剤を使った簡単な修復作業ができる。気が抜けない仕事となるため、面倒なのは……。
カインは屋敷中を歩き回り、暫くレイラに後をつけさせると、一階の階段付近で忽然と姿を消した。
「ちょっと、どこに行ったのよー‼」
レイラは階段下にある玄関広間で右往左往し、カインの姿を探し回っている。しかしその頃、彼はすでに二階の十一番目の部屋に辿り着き、肖像画の手入れに取り掛かろうとしていた。
カインは窓を開け放つと、黒い木製の額に入った一枚の絵を壁から外し、大きな布を広げたテーブルの上に静かに寝かせた。
「さて、どこから始めるか……」
三十号サイズはある古い油彩画を、様々な角度から眺めて状態を確認する。
屋敷に存在する数多の絵画の中でも、カインは黒い地味な額に収められたこの肖像画のことを気に掛けていた。
痩せた髪の長い女が両手を重ねて長椅子に腰掛けており、全体的に黒みを帯びた絵の中で、背景にひっそりと描かれた花瓶の花だけが唯一鮮やかな紅色を放っている。肖像画でありながら、顔は不明瞭でそれが誰だか分からない。
「ああ、そんな絵がありましたっけ。もしかしたら、十年以上前に描かれたものなのかもしれませんね。オイラは不器用だから、絵を傷つけそうで触れられなくって。あまりにも手に負えないものは、そのままにしてあるんですよ。ぜひ、カインさんの手で綺麗にしてあげてくださいね!」
先日、セオに絵のことを尋ねると、そう返ってきた。
確かに、この絵は全体が埃に塗れているだけでなく、特に人物の顔部がひどく黒ずんでおり、下手をすれば絵の大事な部分を損ねてしまいかねない。
絵画修復に必要な専用の薬品や器具が限られている中、どこまで手に負えるか分からないが、見たところ絵を保護するために塗られたワニスが若干変色している以外には、目立ったひび割れや剥落などの傷みは見当たらない。まずは、長年積もった塵や埃を含めた汚れを取り去ることが必要だと、カインは判断した。
「ひとまず、やってみるか……」
カインは屋敷に持参した絵画修復用の革鞄から、清潔な柔らかい布、リス毛、豚毛などの様々な大きさの筆を取り出すと、まずは筆跡や絵の具の凹凸に合わせてカンヴァス上の埃と塵を拭っていく。
次に、竹串に厚みのある医療用脱脂綿を巻き付けた綿棒を何本も作り、松精油とうすめ液を混ぜた液体に浸しながら、表面に塗られたワニスと一緒に汚れを取り除いていった。
何度も何度も新しい綿棒に取り換えて、それでも取り切れない細部に詰まった汚れは、先の細いメスを使って泥をこそぎ落とす。
慎重に作業を続けていくと、やがて暗さを帯びていた絵が徐々に明るさを取り戻していった。紅色の花を照らす窓辺の光は、青色と黒色が混ざり合い夜の訪れを告げる。煉瓦色の背景から、女の纏う藍色のドレスの輪郭がくっきりと浮かび上がった。
『おにい……ちゃん』
手入れも半ばに差し掛かった頃、突然妙な感覚がした。幼い少女の声が聞こえた気がしたのだが、辺りに人の気配はない。
「気のせいか……?」
筆を取り、絵画の中央部、顔の辺りに着手しようとすると、どこからか微かな風が吹いてきた。
窓の外は穏やかなもので、葉の一枚さえ揺れていない。
風の吹いてくる方角を探ると、部屋の後方に奥へと続く扉があり、その開いた扉の隙間から風が入り込んでいるようだった。
「こんなところに部屋があったか……?」
カインは筆を置き、扉へと近づいていく。部屋の中を覗くと、そこにあったのは──。
「図書室か」
部屋の中は数少ないランプがほのかに照らしているだけだが、壁一面が本で埋め尽くされているのが見えた。本棚と本棚の間にある小さな隙間には小花柄の壁紙が張られており、赤ん坊を抱えた母親や、若い女の肖像画が小さな額の中に飾られている。備え付けの家具の端々にはレースの羽根が生えていて、まるで人形の部屋のような雰囲気だ。
カインは中に誰もいないことを確認すると、するりと中に身体を滑り込ませて扉を閉めた。
本棚には、随分年代物の書籍が並んでいる。試しに何冊か手に取ってみると、法律学や解剖学に関するもの、薬の調合や黒魔術に至るまで様々な分野の本があり、カインも読むことのできない古い文字で書かれたものまであった。
「……ここなら、呪いについて何か分かるかもしれない」
そう思い、端から背表紙に書かれたタイトルを一つ一つ指先でなぞっていくと、ふと鷲と烏の絵が描かれた薄い冊子を見つける。
「お嬢様の『本』の表紙に描かれているものと似ている……?」
本棚から引き出してページを開くと、そこには手描きの挿絵が添えられた、ある烏の物語が綴られていた。
※絵画の修復についての描写を追加・修正しました(2024.5.17 21:57)
(第十四話へ続く)
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