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【連載小説】「執事はバッドエンドを導かない」第七話

 翌朝、早朝に目覚めたカインは、ベッドから起き上がるとすぐに執事服に袖を通して身支度を整えた。

 空模様は相変わらず。激しい雨が窓に打ち付け、時折雷が光ると崖から岩が転がり落ちたような音が少し遅れて聞こえてきた。
 嵐の中どこから飛んできたのか、窓の正面にあるモミの木には烏が群れて雨宿りをしている。「カア、カア」と言いながらこちらを覗き見ている姿は、まるで不吉を報せるようだ。

「今日の仕事を始めるか」
 カインは鏡の前で口角を上げてから部屋を出た。

 彼は感情の乏しい男であるが、笑みをうっすらと浮かべることを心掛けている。執事の仕事を始めたばかりの頃、警護対象であった幼い少女に顔を見て泣かれたことがきっかけだった。「お前は殺気が漏れ出てるんだ」と教育係であったジョーに指摘され、微笑みをつくる訓練を始めた。やがて、少女が泣き止むようになると、周りの人々からも話しかけられるようになり、驚くほど必要な情報が集めやすくなった。
「笑顔は仮面だ」とカインは思う。自分の中にある殺気を気取られないための、そして、自分の心の底にあるものに誰も触れさせないためのもの。


 最初に向かったのは、地下一階にあるキッチンだった。
「おはようございます」
 薄暗い階段を下りて顔を出すと、良い匂いの立ち込める厨房にセオを見つける。

「ああ、カインさん。おはようございます。昨日はよく眠れましたか」
「ええ。おかげさまで」

 セオは大きな寸胴鍋とフライパンを火にかけながら料理をしている最中だった。振り返ったセオに微笑みを返しながら、カインは相手の顔を精察する。

 実は昨日、カインはレイラの部屋を訪れた際、彼女の手元の「本」に書き込まれた内容を一瞬で読み取っていた。

『……ここまで生き抜いてこられたのも、彼の生まれ持った強運のおかげ。この日はいつもと違う朝だった。庭師のセオは庭で珍しい草を見つけると、それを朝食のスープに入れずにはいられない。なぜなら、それは彼の故郷で好んで食べた野草であり、彼の好物だったからだ。しかし、野草の見間違いというのはよく起こること。彼がスープを一口味見すると、少し変わった味がする。何か味付けが足りないのかと、二口、三口と味見を進めるうちに、やがて呼吸が苦しくなり……』

 もし、ウェスト卿やセオの言うことが真実で、レイラが書き込んでいたものが例の「本」だとするならば、早ければ今朝、セオは間違って毒草を採取し、スープの味見をしながら苦しむことになっている。

 しかし、見たところセオの顔色も調子も悪くない。何かが起きたという気配は、微塵も感じられなかった。

 思いもしないことが突然起こることはいつの世もあり得ることだが、「本」に書き込んだ話が実現するという話を、カインは未だ信じ切ることはできていない。

「さあさ、オイラたちの仕事は一日が長いですからね。そこのテーブルの席に座って、さっさと朝飯を食べちまってくださいな」
 セオは、部屋の隅に置かれた四人掛け(というには少し狭い)テーブルを指し、奥の椅子にカインが座るタイミングを見計らって一人分の朝食を器に盛り始める。

 まずは、寸胴鍋から野菜の入ったスープを白い陶器の器に注ぎ、次にフライパンから焼けたベーコンエッグを取り出して、スライスしたパンを添えた皿へと手際よく移した。木製のプレートの上に並べた皿からは湯気がまったりと立ち上り、半熟の目玉焼きがテーブルに置かれる瞬間、ふるりと揺れる。卵の下に敷かれたベーコンのこんがり焼けた香りと、一つまみ振りかけられた胡椒の爽やかな香りが、ちょうど席に着いたカインの鼻孔に同時に届いた。

「料理がお上手ですね。お屋敷での食事は、いつもセオさんが?」
 自分の分の食事を手際よく準備するセオに、カインは尋ねる。

「そうですよ。何年も前に、コックはこの屋敷を気味悪がって故郷に帰っちまったんです。今はハウスメイドもいませんし、食事づくりも、掃除も、庭の手入れも、だいたいのことはオイラがやってるんですわ」
「それは大変ですね」
「まあ、プロのように行かなくとも旦那様は何も言わないですし、慣れちまえば楽しいもんですよ」
 セオは鼻根のそばかすあたりに皺を寄せて明るい笑顔を見せる。椅子に座ると、「いただきます」と言ってからスープをスプーンで一気にかきこんだ。

「それは、私も食事をありがたく頂かなくてはいけませんね」
 カインはスプーンを手に取ると、スープ皿から一口分のスープを掬って口に運ぶ。しかし、その瞬間、舌先に鋭い痺れを感じ取り、すぐさま胸元のハンカチを取り出して吐き出した。

「どうかしましたか?」
「……セオさん。スープの中に入っているこの香草は何ですか」
「ああ、『キロトビ』のことですか? にんにくの香りがする栄養満点の野菜なんですよ。今朝、たまたま庭で生えているのを見つけましてね。故郷では春になるとよくスープに入れたもんです。つい懐かしくなって、思い出しながら作ってみたんですわ」

 スープの器の中では、じゃが芋などの野菜と一緒に刻まれた緑色の草がゆらり泳いでいる。カインはスープの中から香草だけを拾い上げ、形、臭い、味をもう一度確かめた。

 確かに、色や形はセオの言う通り『キロトビ』によく似ているが、にんにくに似た香りがしない。無臭の淡緑色の葉。わずかな苦みと舌先の痺れ。
 間違いない、──これは、『ラゴア』の葉だ。

「セオさん、スープを食べて身体に異常はありませんか。この香草は、『キロトビ』ではなく『ラゴア』の葉。毒草です」


(第八話へ続く)


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