好きなお店の店員になってみて
最近、2か月弱の短期雇用のバイトの契約期間が終了した。気持ちが冷めないうちに思ったことを書いておこうと思う。
好きだったお店の従業員に
今回のバイトは接客業だった。主な仕事内容としては、品出し、レジ打ち、商品の場所を聞かれたときの案内など。入ったきっかけは、単にそのお店が好きだからという単純なものだった。
入ってからというもの、仕事を覚えるのにはなかなか苦労した。特にレジ打ちはかなり苦労した。研修などのご丁寧なものはない。初日から現場のレジに入る。
最初は実際にレジ打ちをしているところを見ながら基本操作を覚え、2,3日目くらいからは、誰かに横についてもらいながら実際に自分で打っていく。決められた手順やマニュアルは特になく、誰かがやっているところを見たり、自分で打ったりしていく中で、覚え、慣れていくしかない。
これがなかなか大変だった。横について見てくれる人が毎回違い、人によって微妙に手順が違う。学習の拠り所になる”バイブル”的な存在がないのは、それなりに痛手だった。
みんなどのくらいで修得できるのか、いつまでに何ができるようになればいいのか、これから先何を習得すればいいのか、まったく目処が立たず、闇雲に操作を覚える日々がしばらく続いた。
結局、レジ打ちはやらず、ずっと品出しと売り場のメンテナンスに専念することになった。それまで色々と悪戦苦闘はあったが、割愛させていただく。
他の人たちもこのように教わったのだろうか。だとしたら、どうやって他のアルバイトの人たちがレジ打ちをマスターしたのか、未だに謎である。
適性について
おそらく私は接客業に向いていない人間なのだろう。よく考えてみれば私は、自分のペースでじっくり考えることが得意で、逆に時間制限が加わるのは苦手だった。スピード勝負の共通テスト型の試験よりも、じっくり考える個別試験型の試験の方が圧倒的に得意だったことからも、明白である。また、同じテーマについて長期間(短くとも数か月、時には数年単位)思案を巡らせることも珍しくない。
しかし、接客の現場で必要な能力はそれとは正反対だった。長蛇のレジ待ちの列を処理するにせよ、お客様からのお問い合わせに答えるにせよ、「自分のペースでじっくり思案を巡らせて」いる余裕はない。現場で戦力となるためには、即座に判断を下す能力が高くなければならない。
今回実際に働いて思い知ったが、どう考えても私は接客業に向いていない。
”将来の夢”に対する危惧
一般に「好きなこと」と「向いていること」は一致するとは限らない。その点で、「好きな職業に就こう!」とする教育界のキャンペーンには好感が持てない。
また、「好きな職業・自分が就きたいと思う職業に就くことが幸せなことである」という思想が蔓延していることも、はっきり言って問題だと思う。好きな職業に就けなくても幸せを見出す方法はあると思う。それに、以前から好きだった職業にやっとの思いで就いて、仮に自分がそれに向いていなかった場合、本当にそれは幸せと呼べるのだろうか。
例えば、日本の吹奏楽人口は120万人に上るとも言われている※1。その人たちはきっと吹奏楽が好きだからやっていることだろう。しかし、その全員がプロの吹奏楽プレイヤーになれるほどの適性・才能を持ち合わせているわけではない。しかし、そんなプロになれない日本中のアマチュア吹奏楽プレイヤーが全員不幸かと言えば、それは全くの誤りである。
「好き」と「できる」は完全に別の問題である。また、それらが一致するかどうかが直ちに幸せに直結するわけではない。「好きな職業に就こう!」キャンペーンは、この点を大きく見落としているように思う。
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