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紅クラゲの午睡 25.

第1話から読む

睦月の出産(二つの産声)

 陣痛が激しくなってきて、いよいよ分娩室に案内された。
 といっても、ずっと苦痛を感じているわけではない。
 強弱のゆらぎがある波のようだ。
 その満ち引きの合間に、短いけど、物語の断片のような夢をみた。
 
 ひとつは、両親を失ったときの記憶。落雷で自分の人生が終わるなんて、誰が予想できるだろうか?
 雷は、大木や周囲を燃やし尽くし、父、母の遺留品は、焼け焦げた衣類の一部だけだった。両親の遺体も遺骨もない中で葬儀が行われた。私は独りぼっちになった。周囲の方々が心配してくれて、大野店長は一緒に暮らさないかとまで言ってくれた。私はそれらの申し出を頑なに拒否した。だから正確に言うと、みずから独りぼっちの状態を作り出したのだ。
 
 もうひとつの夢は、一時居候をしていたエミと私と、陽君が一緒に暮らす夢。実際に三人はほとんど一緒に暮らしていたも同然だったが、夢の中では、人間関係の『設定』が違う。私とエミは幼い姉妹で、陽君は私たちのお兄さん。事故で両親を失った私たち兄妹は、狭いアパートで暮らしていた。兄は高校を辞め、私たちを育てることに専念しようとする。
ある日、私とエミは養育家庭に引き取られ、そこで育てられることになった。そのことを知った姉妹は、大泣きし、兄と別れることを断固拒んだ。その甲斐あってか、めでたく私たち三人は離ればなれになることなく、今まで通り一緒に暮らすのだが、なんとも悲しく切ない夢だ。
 夢の中では兄だった陽君は今、私の夫としてこの病院のどこかでじっと待ってくれているはずだ。
 
 そして、もう一つの夢。
 海中をゆっくりと泳いでいる夢。海水は冷たくなく、まるで羊水をイメージさせた。やや視界の悪い水中を進んでいくと、海草の林にたどり着く。そこでは無数で多様な種類のクラゲがプカプカと漂っている、海の林の中では、卵から幼生、幼生から子クラゲへと順々に成長していく様子を動画の早送りのように眺めることが出来た。その中から二つの幼生が私に向かって飛び出してきた。ぶつかる、と思った瞬間、それは私の体にスッと入り込んだ。
 大野店長が持ち込んだクラゲの写真の影響か、はたまたその写真を気に入って、クラゲファンになり、水族館で働くことを目指しているエミの影響か。
 
 夜の10時ごろ分娩室に入って、今は朝の5時ごろ。
 やがて陣痛の「谷間」が無くなり、絶えず重み、痛みがぐいぐい襲いかかってくる。
 エコー検査で既に知っている。これから生まれ出ようとしているのは、双子の赤ちゃん。やっぱり二人分だと、生みの苦しみも倍なのだろうか? ちょっと怖い。徹夜でつきっきりの看護師さんは、疲れを見せることなく世話をし、励ましてくれる。
 
 分娩室に入る前、私の不安げな表情を読み取ってか、陽君は手を握って声をかける。
「大丈夫、なにもかもうまく行くよ。・・・そういうことになっているんだ。」
 私はありがとう、と笑いながら返した。
 根拠のない楽観的な励まし。でも彼にこう言ってもらえると、何となく納得し、安心する。
 
 時を置かずに、生みの苦しみ・痛みを身をもって知ることになる。今まで経験したことのない激痛と嘔吐感・・・ここまでとは想像もできなかった。 
 でも、私が経験した心の痛みや苦しみに比べると、十分に耐えられる。私は耐える。二人の子のためなら、なんだって耐えてみせる。
 
「おぎゃ」「ふぎゃ」
 
 可愛い二つの産声が分娩別に響き渡る。
「男の子と女の子よ。よくがんばったね」と看護師さんが声をかけてくれる。
 
 お産直後の諸々の処置を終え、看護師さんに車椅子を押してもらい、知らせを聞いた夫に付き添われ、自分の部屋に戻る。
 
「スミレ、がんばったね・・・子供と僕らのためにがんばってくれて、本当にありがとう。」
 陽君は私の手を握り、ねぎらいと感謝の言葉を贈ってくれた。
 あの苦しみをどんなに言葉で伝えても、彼にはほとんど伝わらないだろうな。
そう思うと、心に優越感と余裕が生まれ、緊張感がほどけた。少し涙が出る。
 
 彼は顔がニヤつくのを隠さずに尋ねる。
「二人のちびちゃん達は、スミレと僕、どっちに似ていたかな?」
 双子の赤ん坊は今、新生児室で寝ている。
 
「ごめん、生まれてすぐに抱っこさせてもらったけど、どんな顔をしていたか、はっきりと覚えてないの。二人ともすごく皺くちゃな顔して泣いてたし・・・そうね、男の子はパパ似、女の子は私似だと、美男美女ね。」
「・・・まあ、そういうことにしといてください・・・」
 
 陽君は、夜通し付き添ってくれたが、そのまま職場に向かった。
「大丈夫? 無理しないでね。」
「うん、大丈夫だよ。今、すごく嬉しいから、いくらでも働ける。」
「だから、無理しないでって!」
 私の夫は、わかったと手を上げて、病室を出て行った。
 
 その後、病室で二晩、一人で過ごす。
 夜になると、陣痛の合間に見ていた夢を思い出す。そこには恐怖や不快感はまったくなかった。
 
 2日後。
 陽君が部屋に入ってくるのとほぼ同時に、助産師さんと看護師さんが私たちの赤ちゃんを連れてきてくれた。コットと呼ばれる2台の移動式のベッドに寝かせられている。
 女の子は淡いピンク、男の子は明るいブルーの触り心地よさそうな産着姿。
 
「それではごゆっくり、家族水いらずのひとときをお楽しみください!」
 助産師さんたちは簡単に連絡事項を説明すると、気を利かせて一旦部屋から出ていき、私たち家族4人となった。
 
 私と陽君は赤ん坊の傍に寄り、双子のお顔を拝見する。
 出産した日から何度も新生児室の窓から覗いてみたが、少し遠くて顔つきや表情まではよくわからなかった。
 
 男の子。
 生まれたばかりなのに黒髪フサフサで、やや精悍な顔立ちかな?
 
 女の子。
 金髪! まだ長くはないが、私の髪の色よりもずっと明るく輝いている。
 
 二人ともスヤスヤと寝ていたが、女の子がゆっくり目を開けた。
 やわらかなブルーの瞳がキョロキョロと外の世界の様子をうかがっている。
 確か、生まれてすぐは、ほとんど視力がないはずだ。
 生まれたての青い瞳を何度か瞬かせ、その後、しばらく私のいるあたりをぼーっと眺めている。
 
 そして。
 口を開いた。
 
「・・・ミ、ちゃん。ス、ミ、ちゃん、マ、マ・・・」
 たどたどしいが、確かにそう聞こえた。
 私と夫は顔を見合わせる。
 
 その子の小さな手に、人差し指を差し出すと、ぎゅっと握ってくれた。

#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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