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紅クラゲの午睡 16.

第1話から読む

おぼろ月夜(湘南の海岸にて)

 スミレ(のご両親)のマイカー、ミニ・コンバーチブルでやや日が傾き始めた国道135号線を走る。
 ほぼペーパードライバーの僕だったけど、スミレやエミに買い物や送迎を頼まれ、このイギリス車の運転にも慣れてきた。今日、エミは家で留守番している。
 先週、大野店長は『セカンドオピニオン』だと言って、スミレが以前診察を受けた病院とは別の病院に連れて行き、検査を受けさせた。店長がツテを辿って探した鎌倉市にある病院だ。今日は検査結果の報告と診察に僕が付き添う。
「僕なんか、一緒にいってもいいの?」
「うん、今日は千沙店長はお店を離れられないし、一緒に来て欲しいの。診察結果を一緒に聞いて欲しい。・・・それに、この格好だと、車の運転はさすがにまずいでしょ。」
 多分、今の身長ならスミレも何とか運転できるだろう。しかし、パトカーとすれ違ったら、サイレンを鳴らして引き返してくる可能性は高い。それくらいにスミレの見た目は、すっかり少女になってしまっていた。


「内科はもちろん、脳神経、循環器、外科など、それぞれの専門スタッフと連携して、検査を行ったけど、残念ながらこの症状の原因として特定できるものはなかったわ。」

 スミレの担当医である、総合内科チーフの女医は、パソコンの画面に移したレントゲンやMRIの画像を見せながら診察結果をスミレと僕に伝えた。
「何かここが怪しい、というものも見つからなかったんでしょうか?」
 付き添いの身ながら僕は尋ねた。スミレの姿が日を追って変わっていくのに、何も悪いところが無いなんて信じられなかった。
「ええ、どの検査結果を見ても異常はなく、むしろ良好な状態といっていいくらい・・・どんどん若返っていくという時系列的な変化を除けばね。」
 スミレは黙っている。前の病院でも、きっと同じような診察だったのだろう。代わりに僕が聞く。
「若返りの進行を止めたり、成長を促すことはできないんですか?」
「残念だけど、原因が特定できない限り、迂闊な処置はできないわ。」

 スミレは元々何も期待していなかったのか、表情を変えずに担当医の話を聞いていた。
 簡単な問診を終え、一応次の検査と診察日を予約し、スミレと僕は席を立つ。

 そのタイミングで担当の女医が話しかけてきた。
「正直、この状態がいつまで続くのか、どこかで止まるのか、わからない・・・でもね、あなたの体の健康状態をみるとね、これは病気なんかじゃないと私は思っている。気休めにもならないかも知れないけど、いつか、いい方向に向かう。そう信じて毎日を過ごして欲しいの。」

「はい、ありがとうございます。」
 スミレはようやく口を開き、担当医に笑みを見せた。

 病院を出て駐車場に戻ると、スミレからのリクエストがあった。
「ねえ、ここから湘南の海、近いんでしょう。海が見たいの。ちょっと遠回りしてもらっていい?」

 やや陽が落ちてきたが、国道135号を走るオープンカーには心地よい春風が吹き込む。スミレは目を閉じてその風を浴びている。

「そう言えば、ここからエミが行きたがっていた、江ノ島の水族館、近いけど・・・下見方々行ってみる?」
「・・・今日は遠慮しておく。そんなの知ったらエミが大激怒するわ。」
「はは、それはそうだね。」

 しばらく海沿いを走っていると、県営の駐車場が見えたので、車を停め、自販機でスミレはオレンジジュース、僕はコーラを買った。
 駐車上の脇は、遠くの岩場まで続く砂浜となっていて、海には多くのサーフボードが浮かんで波待ちをしている。
 砂浜の上部にベンチが三台、横一列に据え付けられている。その一つに並んで座る。夕陽はゆっくりと水平線から右側の緑地の方に向かって動いているようだ。

 スミレがペットボトルから一口ジュースを飲み、ぽつりとつぶやいた。
「原因がないなんて・・・エミが言うように、ベニクラゲが関係しているのかしら?」
「で、でもスミレはベニクラゲを触ったりしたことがあるの?」
「いえ、見たことも、触ったことも・・・もちろん食べたこともないわ。」
 そう言うと、スミレは少し笑った。
「まさかね。」
 そして僕に体をもたせかけてきた。
 僕は、彼女の肩を抱き寄せる。
 少女の肩を抱く若い男・・・傍からどう見えるかわからないが、構うもんか。

 スミレが上目遣いで僕を見上げる。
「ねえ、何で私が高野君といっしょにいるか、話したことあったっけ?」
「え? いや、聞いたことないと思うよ。」
「何でだと思う?」
「うーん・・・確か前に話したけど、バスや電車で一つおきに空いてる席が埋まってくると、男女問わず、みんな僕の隣りに座ってくるんで、多分『人畜無害感』が半端ないのかと・・・」
 スミレが僕の言葉を遮る。
「そんなことじゃないの!」
 彼女は状態を起こし、僕の腕をぺちっと叩く。

「そんな事じゃないの・・・高野君、君が初めてヘアサロンに来てくれた時ね・・・私の中で、何かが響いたの。」
「響いた?」
「うん、自分でそう思ったのか・・・誰かがつぶやいたような気もするんだけど・・・なぜか響いたの。」
「何が響いたのかな?」
「声が響いたの。『この子だよ。』って。」
「この子?」
「うん・・・だから私はそうなんだって思った。そして今もそう思っている。」
「不思議な話だね。」
「うん。何が『この子だよ。』なのかが自分でもよくわからない・・・でも私とずっと、いてくれるんじゃないか、私を変えてくれるんじゃないかって思っている・・・今のこの状態も。」

 僕は何も言えなかった。確かにそうして上げたい。でもこの不思議な現象を前に僕には、なすすべもない。
 代わりに僕は彼女を抱きしめる。
「あと、誤解してほしくないんだけど、別に何とかして欲しいって望んでばっかりじゃないの・・・私にとって大切な人、それが高野君だからよ・・・ただそれだけ。」
「わかった、ありがとう・・・でも、僕なりに何ができるか、頑張って考えるよ。」
 彼女は全身の力を抜いて僕の胸に耳をあてる。
「もし、このまま元に戻らなくて、もっと小さな子供になっても、私のこと見捨てないで、側にいてくれる? 家族みたいに。私のお父さんみたいに。」
 僕は少し考える。
「それは、どうかな。」
 スミレが驚いて顔を上げる。
「え、どうして?」
「だってスミレが言ったじゃないか。僕は恋人だって。」
「いじわる!」
 スミレは小さなコブシで僕の胸をポンポンと何度も叩いた。
「あと、今日のお医者さんも言ってたけど、いい方に行くんじゃないかな・・・全然根拠はないけどね。」
「・・・高野君って、なんかそういう楽観的なところがあるよね。」
「そうかな?・・・そうかも。」

 陽が沈み、いつのまにかおぼろ月夜になっていた。

 スミレの家に帰る途中、ケンタッキーフライドチキンで3人分のセットを買った。きっとエミがお腹を空かせて待っていることだろう。

 「遅い!」
 家に着くと案の定、エミのお叱りを受けた。
 彼女はお風呂も済ませたようでパジャマ姿だ。
 3人でチキンのセットを食べた後、エミは歯を磨いてお休みといって2階に上がっていった。 彼女はスミレの部屋を使っていて、スミレは今両親の部屋を使っている。

 2人になるとスミレからリクエストがあった。
「今日、泊まっていかない? ・・・チャップリンの『キッド』をまた一緒に観たいの。」
「わかった。いいよ。」
 スミレがシャワーから上がったあと、僕も使わせてもらった。今度はバスローブではなく、パジャマだった。ネットで注文したんだそうだ。彼女もお揃いのパジャマを着ている。

 飲み物をローテーブルに用意し、上映会の始まりだ。
 2人並んでカウチソファに座る。
 スミレは画面を食い入るように眺めている。
 あの子と自分を重ね合わせて見ているのだろうか。
 僕は彼女の手をそっと握った。

 ドアがそろりと開き、枕を抱えたエミが入ってきた。
「アタシも一緒に観ていい?」

「もちろん。」「おいで。」

 僕とスミレは声を揃えた。
 今日は1人の留守番で少し淋しかったのだろうか。

 僕とエミとでスミレを挟んで座った。
 僕の真似をしてエミがスミレの手を握るのがわかった。
 
 横を向くと、2人の少女の頬が、映像の光に照らされている。
 今では、エミの方がお姉さんっぽい。

 束の間だけど。
 僕たちは、家族なんだ。

#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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